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風切は私に鎌を振り上げた状態で固まる。
それを目の当たりにした湯佐さんは「なにが起こって……」と狼狽を顔に漂わせていた。
私は風切の頬に手を添え、「──本心を聞かせて」と促す。
彼は肩の荷を下ろすみたいに、どこか諦めの滲んだ表情をした。
「本当の主は……こんなふうに誰かを傷つけてまで、自分が幸せになろうとするお方ではないのだ。けれど、家族を失った悲しみに心が蝕まれてしまった。だから、このように恐ろしい計画を……」
そっか、風切の苦しみは命令に従いたくないだけではなく、主を止めたいけど逆らえないことだったんだ。
「──あなたはどうしたいの?」
「……止めたい。止めようとして、私は言葉を奪われた。ただ、主が罪を犯す姿を見ているしかできなかった」
悔しさからか、唇を噛む風切。私は血が滲んだ風切の唇に指先で触れて、自分で自分を傷つけるのをやめさせる。
「──大丈夫、もうあなたは自由だよ。だから、あなたが助けたい人を、あなたのやり方で助けるの」
「え……?」
どういう意味だ?と目で問いかけてくる風切に、にっと笑って見せた。
「──風切、あなたの意思は誰にも支配されない」
強い言葉で、風切に暗示をかける。
これは陰陽師と式神の契約以上に強制力のある、新たな縛り。
だけど主に抗えるようになるから、風切は湯佐さんの命令から解き放たれる。
「……主、もうおやめください」
私に鎌を向けていた風切が、私を庇うように立つ。
自分の式神が裏切るとは思っていなかったのか、湯佐さんは動揺を隠せず後ずさっていた。
「わ、私の式神だというのに、敵になるというのか!」
「いえ、私は今もあなたの式です。あなたが、あなたの誇りを失わないために、こうして相対しているのです」
主に歯向かうのはつらいだろうに、風切は決して湯佐さんから目を逸らさなかった。
「自分の式に諭されて、ほんでもまだ目ぇ覚めへんのか」
安倍さんは歩きながらそう言い、私たちの隣に並ぶ。
「ここまで慕われてるんや、ほんまはこないな非道なことできる人間やないってことはわかる。そこまであんたを認めてくれてる式神を、これ以上失望させるな」
「それでも、私は家族を取り戻したい! あなただって、わかるでしょう! 家族を殺されたことがある、あなたなら!」
安倍さんは、ぐっと拳を握りしめた。
「……死んだ家族は戻らへん。そやさかい、今そばにいてくれてる存在をぞんざいに扱うたらあかん」
安倍さんの言葉が真に迫っているのは、実体験からくる考えだからだろう。
自分の傷を抉ってまで伝えようとする安倍さんの説得だから、湯佐さんの心も動かせたのかもしれない。
「……っ、すまなかったな……すまなかった……」
湯佐さんはその場に泣き崩れた。
風切はすぐに駆け寄り、その傍らに膝をつくと、主の肩をさする。
「風切、お前はいつだってそばにいてくれてたのに……本当にすまなかった……」
謝罪を重ねる湯佐さんに、風切はただ優しく首を横に振る。
そして、どこか憑きものが落ちたような顔つきで、こちらを見上げた。
「あなたのおかげで、私はこれから自分の意思で主を守っていけます」
その言葉が聞けてよかった。
命令と服従で繋がるのではなくて、心で繋がったふたりなら、この先どちらかがまた間違いを犯しそうになっても正しい道を歩いていけるだろう。
「本当、よか……た……」
これはデジャブかと思うほど、私は昨日と同じ勢いでその場にへなへなと倒れ込む。
力を使った反動で、またもや身体が縮んでいき……猫になってしまった。
「お前は学習しいひんな、まったく」
呆れながらも抱き上げてくれる安倍さんは、眉間にしわこそ寄っているが、言うほど怒っていなさそうなので安心した。
本当に嫌だったら、私を放って帰っているはずだ。
こうして、女児誘拐の犯人は湯佐さんであると判明した。
当然、誘拐は犯罪なので逮捕されることとなったのだが、式神を使った犯行だなんて普通の警察では信じてもらえない。
なので、陰陽寮と繋がりがある警察署の特殊な課……つまりはこういったあやかしの関わっている案件を扱う課に連絡をして、連行されていった。
今回、風切は命令されていたために抗える状況でなかったとして、罪には問われなかった。
主が罪を償い、この家に帰ってくるまで家を預かるのだと、寂しそうではあるが、どこか清々しく言い切った風切の顔が脳裏に強く焼きついている。
「ときどき、風切のところに遊びに行ってあげましょうね」
夕暮れの帰り道、安倍さんの腕の中でぐったりしながら話しかけると、指で額を弾かれた。
「痛いっ」
「人の心配してる場合か」
「だって、あんな広い家でひとりぼっちは寂しいですし……」
「まあ、見回りついでに寄るくらいはできるしな」
「安倍さん!」
それはついてきてくれるってことですね!と言わんばかりに感動の声をあげれば、またデコピンされる。
「痛いっ……何度も何度も、凹んだらどうするんですか……」
「いっそ凹ましたろか」
「やめてください……って、そうだ。大変です、安倍さん。私、これじゃあ買い物できません」
それだけで、私がなんの心配をしているのか察したらしい。
安倍さんは「ああ」と思い出したように方向転換して、行き先を変える。
「明日の誕生日会の買い出しやろ。なにが必要なのか言え」
「買ってきてくれるですか? 優しい……安倍さんがむちゃくちゃ優しい……これ、夢? 私、寝てる?」
「失礼なやつやな。俺だって、あいつらの誕生日を祝いたい気持ちはあるんや」
「ふふ、じゃあ、生まれてきてよかったって思ってもらえるように、いっぱいお祝いしましょうね」
そう言って、つらつらと買い出しリストを述べていたら、眠くなってきた。
瞼がくっつきそうだったが、なんとか最後まで材料を伝えきる。
やりきった達成感も相まって、急激に睡魔が襲ってきた。
「安倍さん……ちゃんと、忘れずに……買ってきて……ください……ね……」
「わかった、ええから寝ろ。どれだけ人のことばっかなんや」
眠る間際まで安倍さんの声は呆れ気味で、私は少し笑いながら眠りに落ちるのだった。
***
「ハッピーバースデ~」
急遽計画した誕生日会当日。
べたと言えばべたなのだが、安倍さんが買ってきたチキンにフライドポテトにピザなんかが座卓に並んでいる。 他にも、タマくんお手製の豪勢な料理も。
ポン助の変化ショーなる余興とともに夕食を堪能したあと、私は手作りのホールケーキを手に居間に入った。
「ふたりの年齢、見た目ものすごく子供だけど、十七歳ってことでよかったかな?」
さすがに十七本もロウソクを挿したら、ケーキが穴だらけになってしまうので、【17】という数字の形をしたロウソクを飾った。
水珠と赤珠は興味津々にテーブルに乗り出し、ケーキを覗き込む。
「これ、俺たちの名前か?」
「この茶色いの……光明様が食べてるチョコレートの匂いがする……」
ケーキの中央にあるチョコプレートに、自分の名前が書かれているのに驚いているらしい。
「誕生日ケーキ、見たのが初めてなの?」
「そや、こいつらには毎年服買うて終わりやったし……」
安倍さんは、ばつが悪そうにしている。
提案すれば誕生日会にも協力してくれるし、なにより水珠と赤珠を大事に思っているのは確かなので、安倍さんは甲斐甲斐しさがないわけでもない。
「単に、どう祝っていいかがわからなかった……とか?」
下から安倍さんの顔を覗き込むと、ぐっと悔しげな息を漏らす。
これまでの安倍さんは無表情か物騒な顔をしているのかのどちらかだったので、案外わかりやすい人で安心した。
「さーてと、ふたりともロウソクを吹き消して。その瞬間は、バッチリ私が写真に収めておくからね」
スマホを構える私に、水珠と赤珠は顔を見合わせて、それからふーっと火を吹き消す。
さすがは双子、タイミングまでシンクロしている。
私はシャッターチャンスを逃すことなく、撮影ボタンを押した。そんな私の服をポン助が引っ張る。
「オラにも、いつか作ってほしいポン」
「ポン助、もちろんだよ。ポン助の誕生日でも、ロウソクとチョコレートプレートをつけたケーキを作るからね」
ぱっとポン助の顔が明るくなる。
今度はポン助の顔をケーキで作ってみようかな?なんて想像を巡らせていると、安倍さんがふたりの前まで歩いていった。
そして、大きな包みを差し出す。
「……親父とお袋を亡くしたあと、俺はずっと京都の邸にひとりでいた。祖父母に引き取られてからも、心はずっと空っぽで……その寂しさを埋めるために作ったのがお前らや」
「はい、俺たちは光明様がすごく寂しかったのを知ってます」
「だから私たちは……光明様の心も支えたいと……今日までお仕えしてきたのです」
水珠と赤珠は親を慕うように、はたまた我が子を見守るように、安倍さんを見上げる。
式神と主というのは不思議だ。彼らにしか分かち合えない、強い絆のようなものを感じる。
「仕えるんは仕事のときだけでええ。それ以外のときは家族であり、相棒であり、兄弟であり……ひと言では表せへんけど、俺らは心で繋がった関係やろ」
「「……っ、光明様!」」
涙を浮かべる双子を、安倍さんは抱きしめた。
「あ、鼻水つけるなや。ああ……涙で着物がびしょびしょになったやんか」
文句を垂れながらも安倍さんは、まるで我が子にするようにふたりをあやしていた。そんな彼らを眺めながら、微笑ましく思っていると……。
「きみは……すぐに人の心に入り込むね」
すっと隣に立ったのは、困ったように笑うタマくんだ。
「入り込むなんて……もし安倍さんたちと打ち解けてるんだとしたら、人見知りしない性格のおかげかもね。氷結陰陽師みたいに、難攻不落な相手ほど燃えるんだなあ、これが」
「その氷結陰陽師っちゅうのんは、俺のこっちゃあらへんやろうな」
不機嫌な顔をして、安倍さんがやってくる。
座卓のほうでは水珠と赤珠にちゃっかり混じって、ポン助がケーキを食べていた。
そうだ、安倍さんにちゃんとお礼を言っておかないと。
「安倍さん、物置小屋に閉じ込められたとき、助けに来てくれてありがとうございます」
「なんや、改まって」
「こういうのは、ちゃんと伝えておかないとって思って。あやかしが憑いてて、それでいて前世の妻で……安倍さんからしたら嫌なところしかない私を助けてくれたでしょう? すごく、うれしかったです」
「別に、嫌なんかじゃ……」
もごもごとなにかを言いかけた安倍さんに、私は首を傾げる。そんな私たちを見ていたタマくんは……。
「いつの間に、仲良くなったんだ?」
「誰が、仲がええって?」
不服そうな安倍さんを無視して、私は今日あったことをタマくんに報告する。
「そう、物置小屋に……。嫌なこと、思い出したでしょ」
「嫌なこと? ああ、親に閉じ込められたっちゅうあれか」
「美鈴が話したのか?」
タマくんは驚愕の表情で、私を見る。
「安倍さんの顔見たら、なんだかほっとして……気づいたらいろいろ話してたんだ。それに、安倍さんは私を助けてくれたから、過去を知られてもかまわないよ。別に、隠していたわけでもないしね」
肩を竦めると、タマくんは悔しそうに拳を握り締めた。
「僕がそばにいれば、すぐに助けてあげられたのに……」
悲しげな顔をするタマくんに、私は首を横に振った。
「ありがとう、でも今日は安倍さんが来てくれたから、大丈夫!」
なるべく明るく振る舞うも、タマくんも安倍家さんは深刻な表情で言葉を探している様子だった。
今さらだけれど、こんなにめでたい日にわざわざ暗い話題を投下することもなかったかと後悔する。
「ま、それは遠い日の過去ですし! そうだ、安倍さんのプレゼントってなんですか? いつの間に用意してたんですか? 気になるなあ~」
焦って早口だし、質問攻めだし、話題の逸らし方が不自然も不自然。
とはいえ口から出てしまった言葉は撤回できないので、笑顔で乗り切ることにする。
「新しい着物や。毎年、あいつらに合うものを仕立ててる」
「へ、へえ~、呉服屋さんで?」
「そや」
会話が終了し、気まずくなり、タマくに視線を移して助けを求めた。
タマくんは苦笑いでため息をつくと、ケーキを食べている水珠と赤珠たちに目を向ける。
「変な光景だよね。相容れない人間とあやかし、陰陽師と式神が誕生日会をしてるだなんて」
話題が変わったことにほっとしつつ、私も目の前に広がる景色に頬を緩める。
「あやかしと人は敵対してきたのかもしれないけど、お互いを知ればこんなにも仲良くなれるのにね」
そこでふと、昨日の湯佐さんのことを思い出した。
「討って討たれてを繰り返していたら、復讐は永遠に繰り返されるよね。憎しみの連鎖が途切れない限り、また大切な人の命が奪われて、悲しみが生まれる。どこかで、断ち切れたなら……誰も泣かずに済むのに」
目を伏せれば、安倍さんは「綺麗事やな」と言う。タマくんも否定しないので、同意見なんだろう。
「誰しもが綺麗事だと思うかもしれなくても、世界にはその綺麗事こそ必要なんだよ。でなきゃ一生わかり合えないし、歩み寄れないから」
「……まあ、少しは……お前の夢物語みたいな綺麗事も一理あるな、とも思わなくもない」
「えっ、ついに光明さんが歩み寄ってくれた!?」
嬉しさのあまり詰め寄ると、安倍さんは「お前、今……」とわずかに目元を赤らめる。
そこでようやく、自分が安倍さんを下の名前で呼んでいたことに気づいた。
「あ……ごめんなさい、つい……」
「いや……構わへん。それに、物置小屋の前でも、俺のことそう呼んどったやろ。今さらだしな」
あのときは安倍さんが迎えに来てくれて、ものすごく安心して、勢いで呼んでしまったのだ。
「じゃあ、光明……さん……と呼ばせていただければと」
安倍さんは「ん」と短く答え、私たちに背を向ける。
「ついでに、その鬱陶しい敬語もいらへんさかい、やめろ。──美鈴」
「わかりまし……わかった。って……えっ」
今、美鈴って呼んだ?
夢かと思って頬をつねってみるけれど、ちゃんと痛い。じんじんする頬に、じわじわと現実なのだと感動が込み上げてくる。
思い返してみると、私を助けに来てくれたときも名前を呼んでくれた気がする。
水珠と赤珠のもとへ歩いていく安倍さんの背を見つめながら、ついに『猫又女』呼びから脱出したんだと実感していると、ふふっと笑みがこぼれた。
「うれしい? 安倍さんに名前を呼ばれて」
「うん、それはもちろん」
迷わず答えて隣を向けば、タマくんは少し切なげに笑っていた。
どうしたの?と問うのをためらったのは、どうしてだろう。
自分の気持ちに困惑していると、タマくんは私の変化にすぐに気づいてしまう。
「大事な幼馴染を取られた気分だよ」
「そんなっ、私が誰と仲良くなっても、タマくんがいちばんであることには変わりないよ! これまでも、これからも……」
「うん、そうだとうれしい」
うれしいなんて、これっぽちも思っていないような顔。
私の中のいちばんが、これからもタマくんであるということを信じていないような曖昧な返し。
タマくんの考えがわからないと思ったのは、これが初めてのことかもしれない。
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