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四章 土蜘蛛との因縁
***
あれは俺が十歳の頃の話だ。
陰陽寮の仕事から帰ってきた両親が、原因不明の熱病に倒れた。
北野天満宮の裏手にある塚に、巣を作っていたあやかしを退治したせいだろう。
呪いや毒の類を受け、何日も身の内から焦がされるような灼熱感と激痛に苦しみ、最後は……。
『ああ、なんで消えへんねん!』
床に伏せっていた両親の身体から、火が上がる。内側でくすぶっていた熱が一気に外へ噴き出したみたいに、発火している。
俺は自分の羽織で、何度もふたりの火を消そうとした。そんな俺の努力を嘲笑うかのように、火は強くなっていく一方だった。
『うああああっ、うがああっ』
『ぎゃあああああっ』
耳を塞ぎたいほどの両親の悲鳴。皮膚や肉が焼ける匂い。俺はただ、「どうして!」と繰り返し泣き叫ぶ。
『ぐあああっ、ぁ……こう……めい……逃げるんや……っ』
『なに言うてんねん、親父!』
こんな時まで自分の心配をする親父に、俺は怒鳴る。
『っ、そうよ……どうかあなただけは、無事、に……っ」』
『お袋まで…… !』
おふくろの笑みが炎の中に消えていく。
ふたりを形作る骨や肉までもが炎に溶かされていく様を、俺はなす術なく見つめることしか出来なかった。
両親を無情にも焼いた炎が、住み慣れた屋敷さえも燃やし尽くそうとしていた。
やがて骨も残らず炭になった両親を前に放心していると、辺りに割れたような声が響いた。
『消えぬ……怒りが、憎しみが、悲しみが……』
黒く大きな影が天井に映り込む。その声を聞いた瞬間、虚ろだった心に一筋の光が差した気がした。
俺はゆっくりと天井を見上げ、影を睨みつける。
『許さぬ……我が同胞にした仕打ち、必ずやこの恨み晴らしてみせようぞ。お前たちの血筋の末代まで、呪い殺してくれる』
『俺も許さへん。この恨みを晴らしたる。それまで首を洗うて待っとき』
『面白いことを言う。安心しろ、お前はすぐには殺さない。お前に妻ができ、子ができ、孫ができ……そうして繋がれた命をひとつずつ燃やし尽くして、我らが土蜘蛛の怒りを買ったこと、後悔させてくれるわ』
あやかしは人間の敵。ただ殺すだけじゃ飽き足らず、じわじわと炎で焼いて殺すなんて、どんな理由があったとしても非道すぎる。
──そないなあやかしは、この世から消えるべきだ。
***
今日も光明さんの仕事に付き添って、私はタマくんと一緒に陰陽寮に来ていた。
水珠と赤珠はいつものことだけれど、ポン助もお留守番だ。
さすがに陰陽師がいる陰陽寮に、商店街で盗みをしていたあやかしを連れてくるわけにはいかない。
本人はものすごく、ものすごーく、ついて行きたがっていたけれど。
「というわけで、きみたちには京都に行ってもらうことになったから……って、私の話を聞いてるかな? 光明」
光明さんから応答はない。
さっきから、光明さんは心ここにあらずで、所長さんがこれから担当する仕事の説明をしている間、ぼんやりと湯のみに視線を落としたままなのだ。
「光明さん、光明さん!」
肘で光明さんを突くと、ようやくはっとしたように顔を上げ、「……あ」となんとも抜けた返事をする。
「あ、 じゃないよ、光明。私の話、ほとんど聞いてなかったでしょ?」
「……すんません」
「まあ、無理もないよね。今回の仕事は、光明にはかなり苦しい案件になるだろうし」
光明さんにとって、苦しい案件?
私はタマくんと顔を見合わせる。それから、隣に座っている光明さんに視線を向けた。
光明さんはいつも以上に無表情で、誰にも自分の感情を悟られまいとしているかのようだった。
「京都にある光明の屋敷にねえ、土蜘蛛の巣食う塚ができちゃったらしいんだよ」
「土蜘蛛?」
どこかで聞いたことがあるな、と記憶の引き出しを頭の中で引っ張り出していると、ポンスケの言葉を思い出した。
『あなた様は鬼(おに)、妖狐(ようこ)、烏天狗(からすてんぐ)、大蛇(だいじゃ)、猫又(ねこまた)、土蜘蛛(つちぐも)、犬神(いぬがみ)……あやかし七衆(ななしゅう)の頭首のひとりであらせられる猫又の姫様にございますポン!』
そのあやかし七衆とかいう頭首のひとりに、土蜘蛛がいたな。ということは、私は前世で仲間だったのだろうか。
「土蜘蛛は名前の通り、蜘蛛のあやかしだよ。あれは吐いた糸で死体を操り、毒で身体に異常を起こす力を持ってる。土蜘蛛の塚の近くに植えられていた木を伐採した者は、病死したって事例もあるんだ」
「その土蜘蛛は、どうして光明さんの屋敷に?」
「……私の口から話していいのかい?」
所長さんは、わずかに首を傾ける。光明さんは横目で私を見るや、「別に構わへん」と答えた。
「俺だけが話さへんのも、不公平やからな」
私が両親にされたこと、暗闇が怖いこと、それは私が勝手に話したことだ。
だから、義理を感じることはないし、出会った頃の光明さんなら、お前には関係ないと突っぱねたはず。
でも、私には知られてもいいって思ってくれたんだ。少しは光明さんに気を許してもらえたって自惚れても、いいのかな?
「そう? じゃあ、私から話すけど……屋敷は光明のご祖父母が管理していたんだ。ほら、ご両親は亡くなっているからね」
あやかしに殺されたんだよね……。
少しだけ重たい空気が、私たちの間に漂う。
「管理しとった言うても、屋敷は半分以上燃えて住める状態やないけどな」
「じゃあ、どうして管理を……」
「……焼け焦げてようが、俺の帰る家やさかい。ほんまは自分で管理したかったんやけどな、俺は呪いのことがあったさかい、こっちの別荘に移り住まなあかんかったんや」
「それでおじいちゃんとおばあちゃんに、屋敷を任せてたんですね」
納得している私の横で、タマくんが「んー」と難しい声を漏らした。
「その住めなくなった安倍さんの家に、なんで土蜘蛛の塚が? あやかしは、あまり人里を好まないだろ。わざわざそこに巣を作る目的に、見当はついてるの?」
「……ついてる。そやさかい、この案件を俺に任せたんやろう、所長」
光明さんの視線を受けた所長さんは、「そうだよ」と頷いた。
「光明の親を死に追いやった、あやかしの仕業かもしれないからね」
「えっ……そんなつらい案件を光明さんにさせるなんて、酷すぎます!」
思わず立ち上がった私を、光明さんはため息をつきながら見上げる。そして、「座っとき」と言い、私の腕を引いてソファーに座らせた。
「俺はずっとこの日を待っとったんや。いつか、親父とお袋を殺したあやかしを見つけて、滅したるって決めとったさかい。向こうから会いに来てくれて、むしろうれしいくらいだ」
光明さんが浮かべた笑みは、見ているこっちが凍りつきそうなほど冷たいものだった。
「じゃあ、出張に行ってくれるってことでいいね?」
「はい、すぐにでも立ちます」
すぐにでもって……。
「目的地、京都だよ?」
「もう忘れたのか? 喰迷門を使えばすぐやろ」
「それは嫌っ、それだけは絶対に嫌っ」
「わがまま言いなや」
「だって、口の中に入るなんて、生理的に受け付けないんだもん! こう、ぞわぞわっと鳥肌が立つっていうか!」
腕をさすりながら抗議するけれど、光明さんはつんと顎を上げて言い放つ。
「お前の選択肢はふたつにひとつだ。おとなしゅう喰迷門で行くか、俺に気絶させられて喰迷門で行くか、選べ」
「どっちも大差ないじゃん!」
お笑い芸人のノリツッコミみたいに、コントを繰り広げる私たちを所長さんは呑気にお茶(ちなみに激辛)をすすりながら、タマくんは苦笑いしながら眺めている。
「私は絶対に新幹線で行くからねーっ、I LOVE文明の利器!」
陰陽寮には、私の絶叫が響き渡った。
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