四章 土蜘蛛との因縁

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***  抗議も虚しく、私は無理やり喰迷門に落とされて、京都にある光明さんのご祖父母の屋敷にやってきていた。 「大丈夫? 美鈴」  手で口を覆いながら「うっぷ」嘔気を催している私の背を、タマくんがさすってくれる。 「タマくんは、なんで平気なの……?」  喰迷門を通って、ケロッとしているタマくんを尊敬する。 「軟弱やな。 お前、猫やろ。猫はどないな高さから落ちても、華麗に着地できるんちゃうんか」 「光明さん、私は猫じゃなくて猫〝憑き〟」 「どっちも一緒やろ」 「全然違う!」  屋敷の門の前でガヤガヤ言い合っていたら、中から八十代半ばぐらいの白髪の女性が出てきた。 浅葱色の着物に身を包み、髪も綺麗にまとめられ、どこか品のある方だ。 「なんかやかましいな思たら、光明、帰っとったんやなあ」 「ああ、ばあさん。久しぶりやな」  柔らかな笑みを浮かべる白髪の女性は、どことなく光明さんに似ている気がした。 まじまじと女性を眺めていると、隣にいたタマくんが耳打ちしてくる。 「あの人が安倍さんのおばあちゃんみたいだね」 「うん、美形は代々引き継がれてるんだね」  コソコソと話していたら、安倍さんのおばあちゃんがこちらを向いた。 「そちらさんが、今回の案件を一緒に受けてくれはる……」 「猫井美鈴です」 「魚谷玉貴です」  自己紹介をした私たちを、光明さんのばあちゃんは品定めするようにじっと観察してきた。なにかを見透かそうとする目に、 全身に嫌な汗をかく。 「私は安倍雪路(ゆきじ)です。なんだか、けったいな気配のするおふた方やなぁ」 「……!」  私たちが猫憑きだって、お見抜きになってる!?  穏やかそうな雰囲気に反して、鋭い眼光に真っ向から射抜かれる。思わず圧倒された私は、ごくりと息を呑んだ。 「ばあさんは、元陰陽師なんやで」 「ふふ、とっくに引退してるけどなあ」  頬に手を当てて、雪路さんは可愛らしく小首を傾げる。 「ばあさん、こいつらはあやかし憑きだ」 「どうりで……やけど、人にしては妖気強すぎる気もするわねえ」 「そっちの男のほうはわからへんが、女のほうは安倍晴明の妻の生まれ変わりだ」  それを聞いた雪路さんは両手をパンと合わせて、花が咲いたように笑う。 「そうやってん! 前世の奥さんを見つけて呪いが解けたって話は聞いとったけど、そう、あなたが……」  なんでだろう、光明さんとはかりそめ夫婦なのに、 結婚の挨拶に来たみたいな緊張感があって、胃が痛い。 「立ち話もなんどすさかい、中へどうぞ」  雪路さんに案内されて門の中に入ると、屋敷の中は思った以上に広かった。広大な庭には松の木が植えられ、池には鯉が泳いでいる。  石畳の道を歩いて屋敷の玄関まで来たところで、ふと光明さんが「じいさんは元気か?」と尋ねた。その瞬間、雪路さんの顔が強張る。 「そら……直接会うて、確かめてもろうたほうがええ」  どこか歯切れの悪い物言いに、胸には一抹の不安がよぎった。 「 これは……」  光明さんは寝所の布団で横になっているおじいさんを見下ろし、言葉を失っている様子だった。  それもそのはず、初めてお会いした光明さんのおじいさんは生気を感じられないほど青白い顔をしており、食事が食べられないのか頬もこけ、熱のせいでうんうんとうなされていた。 「あのときと……親父とお袋のときと一緒や」   耳に入ってきた呟きに、私は「え……」と光明さんの横顔を見上げた。 「俺が十歳の頃、陰陽寮の仕事から帰ってきた親父とお袋が原因不明の熱病に倒れたんや。退治したあやかしのせいや思う。何日も身体の中から焦がされるみたいな灼熱感と激痛に苦しんで、最後は……」  その先を聞くのが怖くて、 息もつけずに光明さんの言葉を待つ。 「身体から火ぃが上がって、骨も残らへんかった」  呼吸が止まってしまいそうなほどの衝撃だった。どんな言葉をかければいいのかわからなくて、 代わりに光明さんの手を握った。  震えてる……これが光明さんの中にある傷と闇なんだ。  私にもある、どんなに平気なふりをして偽っても、忘れたふりをしても、ふとした瞬間に痛み、心を真っ黒に覆いつくそうとしてくる過去……。 「おじいさんね、あなたの屋敷の庭を掃除してるときに、土蜘蛛の塚に近づいてもうたみたいやで」  雪路さんは言いにくそうに切り出した。 「じいさんが結界張っとったはずやろ? それ破って侵入できるあやかしは、一匹しか思い当たらへん」 「それって……光明さんのお父さんとお母さんを殺した……」 「そうや、あいつは十年前に言うたんや。俺の血筋の末代まで呪い殺すってな。そやさかい、じいさんも狙うたんやろ」  実際にあやかしの恨みを買ったのは光明さんじゃなく、ご両親だ。それなのに、どうして光明さんが苦しまなきゃいけないの?  この間の湯佐さんのときもそう、無関係の娘さんや奥さんが復讐の標的になった。 「あやかしだって、理由なく殺したりはしない。きみの両親は、土蜘蛛になにをしたんだ?」  タマくんは露骨に眉間にしわを寄せる。 「なにをしたって、仲間の土蜘蛛を滅したんやろ。それで安倍家の陰陽師を恨んで、うちまで押しかけてきたとしか考えられへん」 「それはありえないですポン!」  突然、どこからかポン助の声がした。みんなで「ポン?」と声を揃えて首を捻ったとき、私のキャリーバッグが暴れだす。 「嘘っ、まさか……!」  慌ててキャリーバッグのチャックを開けると、中から茶色い物体が飛び出してきた。 「ポン助だポーンっ」 「ポーンじゃないよ! ここ、陰陽師の住んでる屋敷なんだよ? 危ないからお留守番しててって言ったのに、荷物に紛れ込んでくるなんて……」  全然気づかなかった。ちょっと重いなとは思ってたけど、ここまで気配消せるって、ある意味ポン助は最強かもしれない。 「あ、あやかしですか?」 「ばあさん悪いけど、ツッコミ間に合わへんさかい、見ーひんかったことにして」  疲れ切った顔で、光明さんは手で額を押さえている。あとで、しばかれるかもしれない……。  これからのことを思うと胃がキリキリするが、とりあえずポン助の前にしゃがみ込む。 「ポン助、この際、ここに来た理由はもうどうでもいいよ。さっき言ってた『それはありえない』っていうのは、どういう意味?」 「土蜘蛛は毒なんてものを扱ってはいるポンが、温厚なあやかしで有名ですポン。これまで陰陽師に仲間を殺されることは何度もあったと思いますポンが、一度たりとも反撃したりはしてないんですポン」  両腰に手を当てて、得意げに胸を張って話すポン助。 「なんでお前が、そんなこと知ってるんや」 「土蜘蛛は、あやかし七衆に組してたあやかしですポン。オラみたいな下級のあやかしたちを導いてくれたあやかし七衆の方々は、あやかし界の中で有名なんですポン」  また、あやかし七衆……。 「そのあやかし七衆に、前世の私も入ってたんだよね?」 「そうですポン! あやかし七衆の中でも、猫又と土蜘蛛は人間と和解して共存することを望んだ和平派、鬼や大蛇、そして犬神は人間を討つべきだとお考えになっていた過激派、妖狐と烏天狗は中立派だったとお聞きしてますポン」 「だから温厚派の土蜘蛛が光明さんの家族を殺すことは、ありえないってこと?」  ポン助は「そうですポン」と自信満々に頷いているが、タマくんは険しい顔つきのままで腑に落ちていなさそうだ。 「そう決めつけるのは早いんじゃないか? どんなに温厚なあやかしでも、我慢の限界を超えたら、なにをするかわからない」 「そう、だよね……」  もし自分の大事な人の命を奪われたりしたら、私だってなにをするかわからない。恨みを持たない人間なんて、あやかしなんて、いないのだから。 「お前らは親父とお袋が恨みを買うようなことしたさかい、殺されたんちゃうかって言いたいんか?」 「そういう可能性もあるって話だよ。むしろ、その可能性を除外している時点で、人間中心の考え方だとは思わないのか? 人間は都合が悪いことがあると、すぐにあやかしのせいにする。傲慢にもほどがあるな」  光明さんとタマくんの間に、ピリピリとした空気が流れる。 「ふたりとも、落ち着いて。光明さんの話が本当なら、このままだとおじいさんの身も危険ってことだよね? だったら、言い争ってる場合じゃないよ。あやかしを見つけて、毒の消し方を教えてもらわないと……」 「毒の消し方を教えてもらう? そないな必要はあらへん。滅したら、済む話や」 「そうやって滅した土蜘蛛の仲間に、今度は安倍さんが恨まれるつもり?」  復讐には終わりがない。延々と永遠と殺し殺され、 ただ悲しいだけ、ただ苦しいだけ。 どこかで断ち切らなくちゃ、また新たな悲しみが生まれてしまう。 「自分じゃなくて、自分の大切な人たちが、その憎しみの犠牲になるかもしれないんですよ?」  どちらから始めたのか、どちらの方がひどいことをしたのか、 もうそれを比べる段階にもない。 手をかけてしまった時点で、罪の重さは同じになってしまうのだから。  光明さんは目を伏せ、口を噤み、俯いていた。 「光明、美鈴さんの言うてることは正しい」  沈黙を破ったのは、雪路さんだった。 「私たちは知らなあかんのかもしれへんね……十年前になにがあったのか。ここで憎しみを精算できな、おじいさんも、それから光明の奥さんも子供も、そのまた孫も、苦しむことになる」  雪路さんも元陰陽師だと聞いていたけれど、 頭ごなしにあやかしを敵視しているわけではなさそうだ。 「俺はそないなふうに割り切れへん。親父やお袋だけでのうて、じいさんもこないなふうになって、 憎しみを精算する? そんなん、できるわけあらへんやろ」  わかってる。私の意見は部外者だから口にできる綺麗事であって、当事者からしたら簡単に言うなって思うだろう。 だけど部外者だからこそ、物事の全体像が見える。  前世はあやかしで、今は人間。その狭間にいる私の目には、人間もあやかしも、どちらも善で悪に映るのだ。 「俺は刺し違えてでも、俺の大事な家族をこんな目に合わせた土蜘蛛を殺す。たとえ刺し違えてもな」  意思は変わらないとばかりに二度言い、光明さんは行き場のない怒りを表すかのように大きな足音を立てて寝所を出て行ってしまった。
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