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「この声……タマくん?」
信じられない思いで、私は猫又を見つめる。そこへ赤珠と水珠が駆け寄ってきて、安倍さんを守るように前に立つ。
「光明様、あいつ片付けますか?」
猫又を睨みつけながら、ぼわっと赤い炎を身に纏う赤珠。それに対し、
「光明様のお嫁様は……私が守ります」
と、いくつもの水の球体を周囲に浮かせる水珠。
──なにこれっ、式神の術!?
一瞬、驚きに思考を断ち切られるも、すぐに庭にいる猫又に目を戻す。
見たこともない獣の目は、私のよく知る柔らかな光を宿している。やっぱり、彼で間違いない。
安倍さんの腕の中から出ると、「おいっ」と呼び止められた。けれど、どうしても確かめたかったのだ。
振り返らずに裸足のまま縁側に出て、大きな猫又の前に立つ。
「……タマくん、なんでしょう?」
そう尋ねれば、猫又は項垂れた。そして、ボンッと白い煙を立てながら、人の姿を象る。
「黙っててごめん」
俯きながら謝る彼は、紛れもなくタマくんだった。
「タマくんも、猫憑きだったんだ……」
「……うん」
「なんで、今まで話してくれなかったの?」
「……美鈴、一時期……猫憑きの自分のこと、すごく嫌ってただろ? だから、言い出しにくくて……」
あ……それはたぶん、私がおばあちゃんの家に越してきてすぐの頃のことだ。
両親に物置小屋に閉じ込められたのも、化け物だと罵倒されたのも、愛されなかったのも、全部……猫憑きのせいだって、そう思ってたから……。
「同じ境遇の人がいたってわかったら、私、もっと安心したのに」
「そうだよな……ごめん。けど、お前に嫌われたくなかったんだよ」
切なげに笑うタマくんに、胸がきゅっと締め付けられる。思わずその手を握れば、タマくんは目を見開いた。
「美鈴……?」
「私、人と違うからって理由だけで、誰かを否定したりしないよ。それが大事な幼馴染なら、なおさらね。タマくんが悪人だって、どうしてそんなことをしたのか、理解したいって思う。だから、もっと私を信じて、頼ってよ。ひとりで私のことを守ろうとしないで」
「……っ、うん。ありがとう」
手を握り返してくれたタマくんは、眉尻を下げながら微笑み、頷いた。
「話は終わったか?」
縁側で腕を組み、威圧的な眼差しでこちらを見ている安倍さん。すかさず、タマくんが私を庇うように立つ。
「悪いけど、きみへの追及はこれからだよ。なんで美鈴を攫った?」
「そっちこそ、まっ先に俺を陰陽師と見破ったな。それに、猫憑き……な。それにしては、妖気強すぎやしいひんか」
すっと、安倍さんの目が細まる。さながら、尋問官のようだ。
「あの、ようき……っていうのは?」
耳馴染みのない単語だった。それが強いとなにがいけないのか、大事な幼なじみのことだ、気にもなる。
安倍さんはタマくんから視線をそらさずに、
「あやかしの気配のこっちゃ。それが異様に濃い。何者なんや?」
と言い、警戒心を隠しもしない。
あやかしの気配が濃いのは、猫憑きのせいだからだと思うけど……安倍さんが陰陽師だってわかったのは、なんでだろう?
疑問に思う私の心を見透かしてか、タマくんは私を振り返る。
「ばあちゃんが、猫憑きのお前を霊能者に見せたことがあっただろ?」
「ああ……うん、私が生まれたときから猫憑きだって言った人だよね」
と言っても、私は霊能者の顔は見ていない。人と違う自分を嫌っている私が気にしないようにと、おばあちゃんはわざわざ夜にその霊能者を呼んだらしいから。寝ているときに私の霊視をしてもらったのだと、高校生になってから告げられた。
「その霊能者、実は陰陽師だったんだよ。けど、陰陽師とか……なんか胡散臭いだろ?」
「胡散臭くて悪かったな」
不愉快そうに口を挟んだ安倍さんを無視して、タマくんは続ける。
「その陰陽師の言葉が真実かどうかは別として、猫に憑かれてるだけで人間だってわかれば、お前も安心するかと思って、ばあちゃんと相談したんだ。まだ霊能者のほうが実際にいそうな気がするし、お前が信じられるように濁そうって……」
霊能者も十分に胡散臭いけど、陰陽師だって言われてたら、その人のこと中二病だと思っただろうな。
「その霊能者……じゃなくて陰陽師と、そこの男の気配が似てるから……だから、陰陽師かもしれないって思ったんだよ。なんで俺にわかったのかはわからないけど、俺の猫憑きの力なのかなって」
私には気配があやかしのものなのか、人のものなのかを判別することはできない。
でも、タマくんは憑いてる猫又の妖気が強すぎるゆえに、感じ取ることができるとか……?
じっとタマくんを見つめていると、タマくんは肩を竦めながら私に笑いかけ、視線を安倍さんに戻す。
「……これでいいだろ、今度はそっちが質問に答える番だ」
そう言われた安倍さんは、面倒くさそうな顔をした。
いろいろ事情が複雑なだけに、説明が手間なのはわかるが、無愛想すぎやしないだろうか。
安倍さんはため息をつくと、私を指差した。
「俺とあいつ、前世で夫婦。……で、今世でも結ばれへんと、俺が呪いで死ぬ。そやさかい、とりあえず呪いが解けるまで、俺らかりそめ夫婦になった。以上」
「──いや、語彙力!」
と、間髪入れずに突っ込んでしまった。端折るにもほどがある。
タマくんも唖然として固まっており、今度は私がため息をつく羽目になった。
「タマくん、実はね……」
夫婦になったいきさつをかいつまんで伝えると、タマくんはこめかみを押さえていた。
「……つまり、その【呪約書】とかいう契約書のせいで、夫婦にならないと、あそこの陰陽師が死んじゃうわけか……」
「さっきから、そう言うてるやろ」
「言ってないよ」
タマくんにしては珍しく、語気を強めて言い返す。
「毎日一緒の布団で寝ろだなんて、あいつも男だし、危ないって」
「安心しろ、猫憑きの女襲うほど、女に困ってへん」
「そうか、きみの目が節穴で安心したよ。でも、そうなると、美鈴はこの屋敷で暮らさないといけなくなるよね」
あ、タマくんに言われるまで気づかなかった。ここってどこなんだろ、寝に通える距離なの? 会社から遠かったら困るなあ……。
呑気にそんなことを考えている間にも、ふたりの会話は続いている。
「美鈴は俺にとって、妹みたいな存在なんだ。どこの馬の骨とも知れない男の家に、ひとり置いていくことはできない」
「大袈裟なやつやな」
「きみが無神経すぎるんだ。彼女がこの家で暮らすなら、俺もここで暮らす。でなければ、美鈴は連れて帰る」
「猫又のなりそこないが、この俺から逃げられる思てるんか?」
またバチバチしだすふたりの間に、私は「ちょっと待った!」と割って入る。
安倍さんならまだしも、温厚の申し子みたいなタマくんまでイライラしてるなんて、このふたり相当相性悪いかも。
「夫婦生活をするにあたって、私から条件があります! タマくんも同居させてあげてください!」
「寝言は寝て言え」
「私のお目目、ぱっちり開いてるじゃないですか! タマくんは、私の大事な家族で幼馴染なんです。できるだけ心配かけたくないので、お願いします」
背後で「美鈴……」とタマくんの声がする。振り返ると、いつもの優しい笑顔に戻っていた。普段怒らない人が怒ると、百割増しで怖いので、ほっとする。
「光明様……」
ふと、水珠が安倍さんの着物の袖をついついと引く。
「断ったら、お嫁様に逃げられてしまうかもしれません……」
「ぐぬぬっ……俺は認めてないけどなっ。光明様の呪いが解けるまでは、あの女をそばに置いとかないとですよね……」
赤珠も苦い顔をする。
安倍さんは「うっ」とうめき、諦めたように息を吐くと、背を向けた。
「勝手にせえ」
それだけ言って、中に入っていってしまう。残された私はタマくんと顔を見合わせて、苦い笑みを交わした。
こうして……猫憑きと陰陽師、そして式神の奇妙な同居生活が幕を開けたのだった。
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