二章 魔性の瞳

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***  その夜、俺の部屋には猫又女の幼馴染──魚谷がおった。 「くれぐれも、美鈴に手を出すなよ」 「それだけはあらへんさかい、安心しろ。ええさかい、お前は早う出ていけ。いつまで経っても、俺が寝れへんやろ」  あやかしに欲情するわけがあらへんやろ。この幼馴染は過保護すぎるんや。  立ち上がって襖へと歩いていく魚谷を鬱陶しく思いながら、隣の布団に視線を移す。そこには丸くなって眠っている赤毛の猫がいる。  この仕事をしてると、あやかし憑きの人間に出会うことは少のうない。 そやけど、憑かれてるあやかしそのものに変われる人間に出会うたのは、この女と魚谷が初めてやった。 「お前らの妖気は普通ちゃう。特にこの女が魔性の瞳を使うたとき、高位のあやかし以上の妖気を放っとった。あの力を使い続ければ、この女はどないなる?」  部屋の扉に手をかけた魚谷の動きが止まる。 「力の動力源は妖気だ。人間が鍛えて肺活量や筋力を上げるように、彼女も力を使えば使うほど、その源である妖気を強めることができる。いずれ、彼女は覚醒するってことだ」  こちらを振り返らずに、淡々と答えた魚谷。表情が見えないせいか、底知れないものを感じた。 「つまり、あやかしに近づくってことやな? それがわかっとって魔性の瞳を使わせたのか?」 「使わせた? あれは彼女が自分の意思で使ったんだ」 「しらばっくれる気か? せやったら、質問を変える。お前はこの女があやかしになるかもしれへんとわかっとって、なんで魔性の瞳を使うのを止めへんかった」  この女が大事なら、あやかしにならへんように止めるはずだ。やけど、そうしいひんかった。その真意はどこにあるんや。  目的を探っていると、魚谷が振り返った。 「……あのときは、そうするしかなかっただろ?」  全てを覆い隠すような笑みだった。食えへん男や。 「お前は、この女をあやかしにしたいのか?」  その質問には答えず、魚谷は襖を開ける。 「俺はいつでも美鈴のために動いてる」  それだけ言い残して、部屋を出て行った。 「やっぱし食えへんやっちゃな」  俺はどっと疲れてため息をこぼす。そのとき、猫又女が苦し気にニャーと鳴いた。 どいつもこいつも鬱陶しいと、猫に背を向けて布団に横になるが、後ろでニャーニャー鳴くものだから気になって仕方ない。 「だぁーっ、もう、やかましい!」   俺は自分の布団をバサッと剥ぎ、猫又女の布団へ入ると、その小さな身体を包み込むように抱きしめた。 「熱いな……いけ好かへんあの幼馴染は、力を使うた反動や言うとったが、こらきついやろ」  あやかしは俺の大事な者を奪うた。そやさかい、この世界からいーひんようになったほうがええ。その考えは変わらへん。  そやけど、あやかしが皆、人間に危害を加えてくるわけちゃう。この猫又女からしたら、俺が一方的にあやかしを嫌うてる悪者に映るんやろうな。  こいつの非難の眼差しが、どうも胸をチクチクと刺してくるさかい嫌になる。 「……こうしてみると、ただの猫なんやな。尻尾も二又に分かれてへんし……」  やけど、あの幼馴染は尻尾分かれとったな。あら完全に猫又の姿や。この猫又女も、妖気強なれば、あやかし本来の姿に変わっていくんやろうが……。  そこではっとする。  なんで、あの幼馴染はあやかし本来の姿になれる……?  ますます怪しいやつやな、と内心で呟いたときだった。腕の中の赤猫がふーっと苦し気な息を吐き、身じろいだ。 「手のかかるやつや……臨(りん)・兵(ぴょう)・闘(とう)・者(しゃ)・皆(かい)・陣(ちん)・列(れつ)・在(ざい)・前(ぜん)。封ぜよ、急急如律令」  静かに呪文を唱え、妖気を鎮めていく。  あやかしにとって妖気は生きる源。それを清めたり、無理に封じたりすれば命に関わる。  こいつはあやかしちゃうが、限りのうあやかしに近い、あやかし憑きだ。  やさかいゆっくりと、一晩かけてこの女の身体に満ちてる妖気を封じていく。 「安心しろ、すぐに楽になる」  こら猫や、ただの猫……。弱った動物に優しゅうするのは、人間として当たり前の行動やさかいな。  自分に言い聞かせるように赤猫の背を撫でてやれば、呼吸が落ち着いてくる。それに気づいた途端、胸に込み上げてきたのは……。 「ほんまに、しゃあないな」  どうしようもなくか弱い者を守りたいという、保護欲だった。
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