三章 水珠と赤珠

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三章 水珠と赤珠

 なんか、スース―する。  眉を寄せて身じろげば、すぐそばに温もりを見つけたので、すり寄る。 「んなっ──」という誰かの言葉にならない悲鳴が聞こえたような気がしたが、私はあったかいので満足だ。  でも、身体が軽いような……いや、心もとない……?  奇妙な感覚で意識がはっきりしてきた私は、ゆっくりと瞼を持ち上げる。 眩しい朝日が視界を白いフィルターで覆っているみたいで、はっきり輪郭を掴めないけど……。  たぶん、タマくんだろう。私を起こしに来てくれるのなんて、幼馴染の彼くらいだ。 「おはよう……タマくん……」  へらっと笑えば、目の前の彼が息を呑んだのがわかった。 首を傾げると、私がしがみついているものが人だと気づく。  ああ、私……タマくんを抱き枕にした?  だが、どうも頭がはっきりしない。朝は苦手なのだ。  私にしがみつかれているタマくんの身体は、カチコチにして固まっている。 「タマくん、あったかい……」  ぬくぬくしながらも、少しずつ光に目が慣れてきた。  あれ、タマくんの髪が黒い。目も金じゃなくて青いし……。  そこでようやく、自分がとんでもない勘違いをしていたことを知る。 「あ、れ……タマくんじゃ……ない?」  私がしがみついていたのは、表情を凍りつかせている安倍さんだった。サーッと血の気が失せ、私は勢いよく飛び起きる。 「アホ! その格好で起き上がったら……」  ふぁさりと掛け布団が肩から滑り落ち、外気を肌に直接感じた。自分の身体を見下ろせば、まさかの素っ裸。 「な、なな……」  なんでこんなことに?  そういえば昨日、猫になったんだっけ。それで服も着られなかったから……ってことは一晩中、裸で安倍さんと眠ってたってこと? 「いやあああああああーっ」  両手で胸を隠しながら絶叫すると、誰かが走ってくる音がして──。 「美鈴!」  シュタンッと開いた襖の向こうに息を切らしたタマくんが立っていた。  タマくんは私と安倍さんを交互に見るや、じわじわと黒いオーラを漂わせ始める。 「くれぐれも、美鈴に手を出すなよって……俺、言ったよな」 「俺はなんもしてへん。起きたら、こいつが裸で横に寝とったんや」 「この際、経緯なんてどうでもいいよ。美鈴のあられもない姿を見たことに変わりはないんだからな」  裸の乙女をそっちのけに口喧嘩する、無神経な男二名。 私は布団を引き寄せ、身体を隠しながら息を吸い込むと……。 「もう、いいからふたりとも……出ていってーっ」  居候生活二日目の朝食の席は、それはもう葬式かのように重たい空気に満ちていた。  原因は今朝の一件なのだが、さすがにこうも沈黙が続くとご飯がまずくなる。 「このカレイの煮つけ、美味ですポン」  沈黙を破ったのは、昨日助けた化け狸だった。 「化け狸くん、なぜここに?」  虫の居所は悪いままだが、さらっと食卓に混じってカレイを食べる狸。この絵面に突っ込まずにいるほうが難しい。 「そんなぁ、姫様忘れたポン? オラが姫様の家来になるのを許すって、言ってくれたポンに……」 「そういえば……」  言ったような……『よかろう、私の配下となることを許す』って。時代劇か! 「でも、よく安倍さんが許してくれたね。あやかしなんぞ!って感じで、めちゃくちゃ毛嫌いしてるのに」  今朝、あれだけ怒っていたのに、自然と安倍さんの話題を出してしまった。 おずおずと向かいの席を見れば、安倍さんはそっぽを向いたまま……。 「それ、俺の真似か。まったく似てへん」  と、珍しいことに雑談に混じってきた。 「真似、とかじゃないんですけど……なんで化け狸くんが家に?」  意外で話を続けると、安倍さんは綺麗な所作で五目豆煮の豆を箸で摘まみ、口に運びながら言う。 「化け狸を追い出したら、お前がまた力を使う可能性があったさかい、しゃあないやろ」  しゃあないって……じゃあ、化け狸くんも居候にしてくれたってこと?  私が寝込んでる間に術で無理やり追い出すこともできたはずなのに……安倍さんはそうしなかったんだ。 「ありがとうございます、安倍さん」 「礼を言われるようなことはしてへん」  素っ気ないけど、いつもみたいに冷たく突き放されない。 それに胸がじんわりとして、私はその場に勢いよく立ち上がる。 「そんなことないです! 裸を見られたこと、化け狸くんを居候にしてくれたことで帳消しにしてもいいやってなりましたし!」  訪れる静けさに、襲ってくるのは後悔の波だ。  ああ、なんで気まずい話題をまたぶっ込んじゃったんだろう! 自分で墓穴を掘ったっ。 「あ、あー……よかったね、化け狸くん……って、なんか呼びづらいし、名前は?」  笑顔を引きつらせながら、私はその場に座り直す。 「名前……みんなはオラのこと、化け狸って呼びますポン」 「それは名前っていうより、名称じゃないかな? 私たちでいう人間、的な……。呼びにくいし、名前をつけてあげる!」 「なんとっ、姫様に名前をつけていただけるなんて、光栄至極ですポンっ」  両手を握り合わせて、瞳をキラキラさせている化け狸くんのためにも、可愛い名前を付けてあげないと。 「責任重大だなあ……た、太貫(たぬき)とか?」 「漢字変えただけかよ!」  すかさず、赤珠のツッコミが飛んでくる。 「それなら、みんなの知恵も貸してよ。なにか、案ない?」 「んー、怪盗ポン太でどうだ!」  自信満々に化け狸を指を差す赤珠。もしかしなくても、商店街で盗みを働いていたからなのだろうけれど……。 「通り名、みたいだね」  苦い笑みを浮かべるタマくんに、赤珠はムッと頬を膨らませる。 「そう言う魚谷は、いい案があるんだろうな!」 「俺は……名前とか付けるの苦手だから。ここは女の子たちの意見を取り入れたほうがいいんじゃないかな?」  タマくんが肩を竦めたとき、ふとあくびをしている安倍さんが目に入る。 「安倍さん、寝不足ですか?」 「朝弱いだけや」  でも、昨日は朝から言葉の切れもよかったし、テキパキしていたような……。  なんとなく誤魔化されているような気がして首を傾げていると、水珠がそろりと安倍さんの顔を見上げた。 それから手元のお味噌汁に視線を落とし、意を決したように私を見る。 「……光明様は……お嫁様のために一晩かけて、身体に満ちている妖気を……封じていたのです」 「え……」  寝耳に水だ。どういうことですか?と安倍さんに視線で訴えれば、すぐに目を逸らされた。 話してくれそうにもないので、私は水珠に「どういうこと?」と説明を求める。 「あやかしにとって妖気は命の源……。お嫁様はあやかしではありませんが、お嫁様の妖気もそれに近いだろうと光明様は考えられて……。一気に妖気を封じれば、お嫁様のお身体に障りますから、負担がないようゆっくりと……一晩かけて封じていたのです」 「そうだったんだ……」  だから、いつもなら力を使ったあとは何日も寝込むのに、たった一日眠っただけでこんなに身体が軽いんだ。  そんなこと、安倍さんはひと言も話してくれなかったから……。助けてもらったのに、朝は裸を見られたからって酷い態度をとっちゃった。   同じ布団で寝ていたのも、私の妖気を封じ込めるためだったんだよね、きっと。 「ありがとうございます、安倍さん。化け狸くんのことも、いろいろと」  あふれてくる温かい感情を大切にしまい込むように両手で胸を押さえながら、私は笑みを返した。  安倍さんは後頭部に手を当てながら、やっぱり顔を背けて「……調子狂う」と呟く。 「ほら、そこの盗人狸の名前決めてるとこやろ」 「ああ、そうでした! えっと、じゃあ……」  悩みながら視線を彷徨わせたとき、座卓にあるポン酢の瓶に目が留まった。 「ポン酢……ポンず……ポン助? あ、ポン助よくない?」  我ながらナイスネーミング!と人差し指を立てると、タマくんは眉を下げつつ笑う。 「ポン助……案を出してない俺が言うのもなんだけど、ちょっと平凡過ぎないか?」 「平凡だけど、周り回って、その平凡さが可愛いと言うか!」  パンッと両手を叩けば、化け狸もといポン助が「可愛いポンっ」と私の手を握った。 ふたりで「可愛いねーっ」と声を揃えてはしゃぐ。居候がひとり増えたので、安倍家の朝は一段と賑やかになった。 「本人の同意が得られたので、化け狸くんは正式にポン助と名付けることにいたします」  私に合わせて拍手してくれたのは、ポン助とタマくんと水珠だけだった。 「そうだ、水珠と赤珠の名前の由来ってなんなんですか?」 「なんや、急に」 「式神を生み出すのは陰陽師なんでしょう? なら、水珠と赤珠に名前をつけたのも安倍さんなんですよね?」 「そうやけど、んなもん聞いてどないすん?」 「なんとなく、気になって」  面倒くさそうな顔をした安倍さんだったけれど、式神双子からも〝聞きたい〟と言わんばかりの熱視線を受け、諦めたように深く息をついた。 「水と赤は火と水からもじったんや」 「火じゃなくて、赤?」 「そら、俺が火ぃ……いや、火といえば赤やさかいな」  歯切れの悪い安倍さんは、言葉を挟めないようにするためか間髪入れずに続ける。 「正反対やけど違うよさや強さがあって、お互いに補い合える双子であってほしい……そないな意味や」  理由を知った水珠と赤珠は、くすぐったそうに下を向き、モジモジしている。そんなふたりを見つめる安倍さんの眼差しは優しい。  ふたりのこと、大事に思ってるんだな。 「そういえば、お前らが生まれて明日で十七年やな」 「え……水珠と赤珠、明日誕生日なんですか!? そんなの聞いてない!」 「話してへんしな」  もう、そんなあっさりと……。プレゼントを用意してる暇もないし、せめておいしいケーキくらいは作ってあげたいな。  大根おろしの乗った和風の卵焼きを頬張りながら、密かに誕生日会の計画を練るのだった。  朝食後、私は安倍さんの仕事に付き添って古民家の集まる田舎道を歩いていた。  タマくんは急遽、ご両親が揃って実家に帰ってくることになり、家事のできないふたりのために今日だけ家に帰ることになった。  私と安倍さんだけで仕事に行くのがよっぽ心配だったのか、さっきからスマホが数分おきに鳴っている。 もちろん全部、タマくんから届いたメッセージの受信音だ。 「それ、どないかしろ。やかましい」 「たまに過保護なんです」 「過保護どころちゃう、ストーカーか」  迷惑げな表情を浮かべる安倍さんに苦笑いしながら、その前に回り込む。 「安倍さん、安倍さん」 「なんや、その顔。なにを企んでる」  不審がってか、安倍さんは眉を寄せた。 「人聞き悪いですよ。私はただ、手作りケーキとか、チキンとか用意して、水珠と赤珠の誕生日会をやりましょうよーって提案をしようと思っただけで……」 「ええ歳して、なにが誕生日会や」 「年齢なんて関係ないですって! 安倍さんは、ふたりが大切でしょう?」  ふたりの誕生日を覚えていたし、名前の由来を語るときの彼はとても優しい顔をしていた。 それだけで、どれだけ安倍さんが水珠と赤珠を大切に思っているのかがわかる。 「大切な人がいつまでも、そばにいてくれるとは限らないんですよ。明日お別れが来てもいいように、愛してるも好きも、ありがとうもおめでとうも、伝えておかないと」  なんでか昔から、命はとても儚いことを知っていた。 嵐が来れば吹き飛び、水がなければ枯れ、太陽がなければ萎れ、パッと咲いては散りゆく花のようだと。  黙り込んだ安倍さんは、ややあって私から顔を背ける。 「仕事のあとなら、買い物に付き合うてもええ」 「本当ですか! ありがとうございます! なにケーキにしようかなー、やっぱりイチゴと生クリームのケーキが定番ですよね。水珠と赤珠、喜んでくれると嬉しいですね!」 「他人のことなのに、けったいなやつや」  けったいって、『変な』って意味? 他人だなんて、つれないな。 「もう他人じゃないです。ひとつ屋根の下、一緒に暮らしてるんですから」  笑いかければ、安倍さんは面食らったように目を瞬かせ──。 「やっぱし、けったいなやつや」  訝しげな顔つきをする。攻撃的ではない安倍さんは新鮮で、少しのむずがゆさを感じながら、私は彼の隣に並んだ。 「そういえば、今回の仕事ってなんなんですか?」 「廃業したはずの元陰陽師が、式神を使うて女児を誘拐してるって疑惑があってな。実際、その子らは行方不明になってる。それが事実かどうか、探りに行くんや」 「ええっ、それが本当なら、それは警察の仕事なんじゃ……」 「警察じゃ手に負えへんさかい、俺ら陰陽寮の人間が動いてるんやろうが。向こうが術を使うてきたとき、生身の人間が対抗できる思うんか?」 「思わないです……」  陰陽寮って、結構危険な仕事なんだな。それも、ナイフや銃を使うのとはわけが違う。 私の魔性の瞳や陰陽術のように、人の手には余る力を持つ者を相手にしているのだから。
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