178. 昔の旅は…

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178. 昔の旅は…

a55ee581-db85-4861-9b0a-bb22be6288dcネパール Nepal 1993(カトマンズ郊外 Kathmandu) 本日は作品というより、昔の旅はこんな感じでしたという記録としての一枚。 ネパールの首都カトマンズから西部の都市ポカラを目指す道中での出来事。 画面中央のがけ崩れによる通行止で道路は大渋滞となりました🚙🚙🚙🚌🚙🚙! ほぼ山しかない国ですから、首都周辺の幹線道路ですらこんな谷間をトラバースする危険なルートしかなく、雨季(八月)でユルユルになった斜面は崩れ放題!! 通行中、運悪くこんなものに遭遇すれば、ひとたまりもなく谷へ転落し濁流に飲み込まれるのは間違いありません。 これでは実際命がいくらあっても足りないわけですが、昔のアジアの旅人たちは小生も含め意外にこの種の状況に出くわしても飄々と旅をしておりました。 もちろん、スマホやGPSなど皆無な時代ですから正確な痕跡を残せるはずもなく、微妙な場所で客死などしてしまえば、そのまま行方不明扱いになってしまう確率もそれなりに高くなるわけです。 それでも小生の場合、毎度出国の度に遺書を書くわけでもなく、ただひたすらにアジアの旅を繰り返していたのは、それなりの覚悟ができていたのか?それとも何も考えていなかっただけなのか?今となっては忘却の彼方ですが…。 そんなこんなで、現在も無事に生きながらえて当時の作品を投稿し続けている小生もたった一度だけ、旅先でマジで死にかけたことがありました。 それは乗車していた長距離バスの、路面に流入した泥によるスリップ横転事故でした。 その証拠写真が↓ 823c7449-fcda-48be-8523-ef77903059dcこちらが中国の雲南省を網の目のように走っている寝台バスで、当時からよく谷底に転落することで有名で、日本人の旅行者も多く亡くなっているのですが、まさかそれを自身が体験するとは思ってもみませんでした。 進行方向左側の最前列窓側に寝ていました。 たまたま起きていたので助かりましたが、就寝中なら危なかったと思います。 この時も実際五名ほど亡くなっています。 あと、険しい山中なら言わずもがな…、市街地でよかった~。 その時の顛末は小生の紀行文『霧の山道』に出ています。 ホントにいまから思えば昔の旅はそれなりに命懸けだったんですねぇ。 ここで再び先ほどと同じ種の疑問!(今度は正直に答えます!!) それでも旅に出たのは男らしかったが故なのか?それとも何も考えないアホだっただけなのか? 多分後者だったと思いま~す(笑) おしまい 次回水曜日の東南アジア編は香港からです。 ※前回のお答えコーナー(総評で) 昨日の琵琶湖疎水の鷺、ご好評いただきありがとうございました。 今後もこの手の作品は増やしていく予定ですのでどうかご期待下さい。 あと前々回の179ページにて、いつも書き込みしてくださる砂たこさんのコメントが消えていた件、(おそらく八王子梅さんも)おかしいとは思っていたのですが、結果的に対応の不備となり申し訳ございませんでした。 もちろん、毎日のコメントを暗に強制しているわけではありませんので、他の皆さんも含めて、お疲れの時やご自身の執筆中にはどうか無理をなさらず、筆をお安めくださいね。 いつも心のこもったコメントくださる皆様、本当にありがとうございます。 皆さんにとって、良い一週間がはじまりますように!
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