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239. 呪いの呪文『そら巻け!そら伸せ!』
日本 Japan 2001(北海道 Hokkaido)知床岬
知床岬昆布番屋編第六回は、ついにタイトル解禁で、呪いの呪文『そら巻け!そら伸せ!』です。
前回あろうことか、せっかく天日と乾燥機でカチカチに芯まで乾かしたはずの昆布を夕方の浜辺に並べて夜露に当てる『湿り』という有り得ない(?)作業を紹介しましたが、今回はそれに続く工程となります。
ココからは番屋に併設された納屋兼作業小屋における屋内作業。
多くのインテリ読者の皆様が正解に掠られていたようなので今更ではありますが、順を追って説明いたしますと、夜露で湿らせ柔らかくした昆布は最初の写真のように一枚一枚、シワと左右のヒレを伸ばしながら手作業で巻かれていいきます。
これが、手作業で巻かれた昆布の玉。
トイレットペーパーよりは大き目ですが、これをひたすら作って貯めていく作業が『昆布巻き』となります。
もちろん食べ物の昆布巻きとは意味がちがいます。
次に待っている作業がこの『昆布伸し』
巻いた昆布の玉を数日寝かせた後、今度はそれをほどいて平らな状態で真っ直ぐに積み上げていきます。
昆布巻きは肩や腕の張る仕事ですが、こちらは見た目が地味な割に腰にくるキツくて辛い作業なんです。
タイトルに呪いの呪文と書いたのは、番屋における全ての空き時間はこれらの作業に充てられるため、俗に「昆布番屋に休みなし」といわれているのは全てこのせいなんです。
また余りの単純作業なのでメンタルの弱いヒトは特に注意!
また豊漁年になると昆布漁と干す作業が優先されるため、8月の漁期が終っても、納屋には『湿り』、『巻き』、『伸し』待ちの大量の昆布が貯まっていくだけで、最終的にそれらを全て巻いて、伸し切るのに10月ころまでかかることもあるのです。
(アルバイトの小生もこの作業が終わらないと自宅(埼玉)への帰還が全く見えてこないのです。)
ですから、9月になると漁は終わり、子供たちも学校が始まってとうに居なくなっているので、毎日朝の2時頃に起きて、爺さん婆さんと小生の3人で夕方の5時頃まで延々と昆布巻きと昆布伸しを繰り返すのです。1枚目の写真なんかは電灯で夜間なのは何となく分かるでしょうけど、実際の撮影時刻は早朝の2時頃なんですよ(笑)
因みに小生9.11の同時多発テロ事件の時も番屋で昆布巻いてました。
その映像を始めて視たのは3週間後、赤岩から帰ってからでした。
赤岩テレビ📺ありませんので💦
話が脱線気味になったので以下修正…
伸して積み上げた昆布はこうして数枚ずつ数か所でヒモで縛られますが、その秘密はまたまた次回(最終回)のお楽しみで、ここでは先に進みます。
そして、最終的に伸されて縛られた昆布は、こうした一塊の山へと積み上げられていくのです。
平らにしているとはいえ、その長さや幅は様々ですから山を真っ直ぐに積み上げていくのも熟練の技とセンスを要します。
崩れたり、斜めになったりすれば眼も当てられません!
そして、積み上げられた山はこうしてシートにくるんで重石をかけられ、次の作業を待つことになります。
この状態は『奄蒸』と呼ばれています。
要するにここまでの屋内における工程は、普通であれば波打ってシワだらであるはずの昆布を平面に加工する作業であったということです。
ですから、砂たこさんはほぼ正解!おめでとうございます。🎊
あと正確に『そら巻け!そら伸せ!』の『伸せ!』を言い当てている花果さんも👍、普通なら『伸ばせ!』でなかなか出てこない言い回しです。
あと上の『奄蒸』という昆布を寝かせる作業工程によって、昆布に含まれている旨味成分が熟成されると言われていますので、それらに言及されている方々も半分は正解といたします。
そして、肝心の平らに加工する理由についてですが、明治期に羅臼昆布をメインに買い取っていた大阪の商家が「昆布を平らにして左右のヒレを刈り見栄え良くすれば三割増しの値段で取引する」という条件を出し、生産者側がそれを受け入れた結果が始まりであると言われています。(諸説あり)
そもそも北海道で採れる昆布のほとんどは、意外に思われるでしょうが、もともと中国向けの優良な輸出品目だったのです。
しかし、明治後期より大陸との関係が悪化の一途をたどり、輸出が激減し、一転国内への販売を模索した時にそうした商談が生まれ、日高や利尻など他所産との差異化のためにそうした習慣が生まれたということなんだそうです。
縁起物の昆布ですから、景気が悪くなっても逆に高級志向の需要に応える選択肢を選んだことが、現在の高級食材『羅臼昆布』のイメージに繋がっているのでしょう。
わざわざ、一見馬鹿のような人件費をかけてまで、いばらの道を選んで今現在もつくられている『羅臼昆布』の謎、小生の下手糞のな説明と写真で少しは理解していただけましたでしょうか?
次回(再来週)の最終回は赤岩での仕上げの作業と番屋からの切り上げまで『赤岩よ永遠に!』です。
オマケは昆布巻きオフショット📸機械巻きもあります!
これはかなり旧式で一本巻きです。
こちらは現在主流のキャンバス地を利用した昆布巻きマシーン!
誰が考え付いたのか、良くできていて、何十本でも同じ軸に巻き込むことができます。
こんなふうにキャンバスの張りを利用して、巻き込む方式なので手巻きとは比べものにならないほど綺麗に平らになります。
小生、長年手巻きのプロを自認しておりましたが、品質的には機械には全く敵いませんでした💦
おしまい
次回月曜日のモンゴル編はナーダムの思い出の一枚です。
※前回のお答えコーナー
<→花果さん>
そこに仏像がたくさん有れば、オレもワタシもシレっと置いていけば、ばれないし供養になるや…、が積もり積もってこうなったのかも。
<→ルカさん>
実際は処分に困って…、でも棄ててしまうのは忍びなくて…、みたいな感じだったんてすかね。やはり仏像墓場という表現が一番妥当かも。
<→新城さん>
きっと万単位で撮られている鉄板のアングルだと思われます(笑)
<→砂たこさん>
おっしゃる通り、あそこへ持っていけば何とかなる的な口コミが広がってこうなったんでしょうね。
天文部で磨かれたUNOと大富豪の腕前!世代的な親近感を感じます。天体写真って、以外に技術がいるもんなんですよね。私写真家ぶってますが不得意分野です。
<→シエラさん>
この洞窟寺院はそれなりに高い場所にあるので、水没するなら先に対岸の村でしょうが、昔は増水で村ごと流されて…なんてのはざらにあったのではないてしょうか。この近くにあるルアンパバンという古都などは川面からかなり高い高台の土地に広がっていました。専門用語で言えば河岸段丘みたいな場所ですかね。
<→倉橋さん>
やっぱりモンゴルの子供たちってジンギスカンのことは良くしってるんですかね?43ページ
<→花奈江さん>
そうなんです。このちょうど対岸の村では大きな写真的収穫がありました。こんな泥みたいな流れでも、砂金とかしっかり混ざっているんですから!お婆ちゃんもニンマりするわけです!
<→梅さん>
後世の人々が感じるほど現実の歴史はロマンチックでは無かったのかもしれませんが、いまはそれらのゴタゴタもすべて昇華されて美しい風景に溶け込んでいるのが、印象的でした。
<→青鷺さん>
本家の共産主義は宗教は麻薬みたいなものだと言っていましたが、この国では実際にどんな対策が取られていたのか、機会があれば調べてみたいです。日本も明治の頃は横着してましたからねぇ。
飛鳥時代の仏像によくあるアルカイックスマイルはタイの仏像では定番ですものね。238ページ
そう、初めて表紙になりました✌️青鷺さんも、どれでもいいので使ってみませんか?239ページ
儀式と言うよりは、貧しくとも細やかな祭りを楽しむ庶民の姿といったところです。240ページ
英国支配か中国支配かの比較研究は日本では余り論じられているのを見たことがありません。241ページ
<→蜜原さん>
さすが三島由紀夫らしいエピソードです!当時のゴリゴリの共産主義者は苦笑いしかなかったでしょうね。思想も宗教も本質的には大差無いんてすけどね。
<→いでちゃんさん>
仏像の数だけそれを崇めていた人々の祈りがあって、その想いはいま、悠久の時の中で洞窟から仏像たちが見下ろすメコンの流れに溶け込んで風景に還っていく。いでちゃんらしい解釈、素敵ですね。
<→名波さん>
1日以上居たら、逆にどこに居るのか分からず不安になりそう。239ページ
いまはこの子たちの時代ですね。240ページ
やはりシルエット、一番人気かぁ。242ページ
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