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10、風通し
「アギレオ、ルーに野菜をいただいたんだ」
「ン? そうか、よかったな」
「ああ」
棚を開け閉めするアギレオを所在なく眺めているのを、座れよと笑われて椅子に腰を下ろす。召し上がれ、とルーに微笑まれて、ありがとうと告げて赤カブを囓り。
「…美味い。いいカブだ」
「そうでしょう」
思わず微笑みを交わし合うところで、ルーの前に、所望のリンゴ酒が入ったカップをアギレオが置く。
「お前は水の方がいいのか?」
「酒をもらってもいいのか?」
どうぞ?と肩を竦めて注ぎ分けられるカップを礼を言って受け取り。
「取り分けようか。手をつけてしまったが」
「いいえ、大丈夫。野菜は食べないの」
彼女にかけた声を柔らかく断られ、なるほど。とひとつ頷いて、遠慮なく野菜をつまむ。来客の恩恵だろうかとほくほくしながら、酒を飲み飲み今度はチシャを囓り。お前も食べるか?とアギレオに尋ねて、俺も食わないと再び断られ、また頷く。
「んで、どうしたよ? わざわざエルフのツラ見るためにカブを掘ってきたのか?」
「そうよ」
アギレオに頷くルーに、思わず手を止めてしまう。
「そうなのか…」
「そうなの」
二人にひとつひとつ相槌を打つルーの微笑みを見ながら、大人しく野菜を食べる係を担当し、見守る。
「それで、何日食べさせていないの? 殺さないのなら生きられるようにしたらどうかしら」
柔和な笑みではっきり物を言う女性だ、と耳を傾け。
「エルフって食わなくても平気なんだよ、確か」
今にも肩を竦めそうに、けれどそうせずアギレオが答える声に、よく知っているなと感心してしまう。
「本当に? 全然?」
受け取って投げ返すように水を向けられ、噛み砕いたカブを飲み込む。口許を少し指で拭いながら頷き。
「ああ。それはそれなりに真実でもある。水だけあれば、かなり長い間何も食べなくても死にはしない」
「そうなのね。いいわ、じゃあそれは罪に問わないことにしてあげる」
「俺は罪人か」
カップを傾けながら笑うアギレオの様子から、冗談らしいとゆるく理解し。
「でも、死にはしないと言ったのよね。普段はどうだったの?」
彼女に問われると、なんとなく背筋が伸びてしまう。琥珀の瞳を見詰め返しながら、間を取るように酒で口を潤し。
「普段か…。2日に一度くらいは食べていたかもしれない。それほど美食の方でもないから、食べ忘れることも多いが」
「2日に一度なら、滅多に食べないというほどではないわね」
「なんだよ。つまり?」
噛み砕くような言葉を聞いて笑うアギレオに、答えようとしたルーを、ノックの音が遮って、三人が三様に玄関を振り返る。
「アギレオ、ルーが来てるか」
いるぞ、いるわ、と応じる二人の声に、上がるぞ、と現れた灰髪の男は、何ならアギレオの次には知っている顔だ。ルーの言葉を思い出し、これがリーだなと理解が繋がる。
「なんだ、エルフを見に来たのか?」
「そうよ」
そうなのか…と、声にはせず改めて得心し。
酒でいいかとアギレオが問い、応を返すリーにもカップが配られ、玄関の傍に寄せられていた椅子が加えられて、リーも食卓につく。
「邪魔したか?」
「いいえ、いいタイミングだわ」
「ルーの主張をいよいよ聞き出すところだ」
へえ、と頷き、男二人が顔を向けるのに混ざるように、野菜を囓りながら耳を傾け。
「いつまでも閉じ込めて隠していないで、せめて食堂には連れてきたらどうかしら」
男二人が思案げに首を捻ってから目配せし合い、それが良いのか悪いのか判じかねて、野菜を食べる係に徹底しておく。
「もっと言ってもよければね、ここに置いておけるのなら、その鎖は外したら?」
足枷に繋がった鎖が床を這うのを浅く顎で示した仕草で、突然、彼女が彼らの一員なのだと実感する。
「そーれーはー、なあ…」
「基本的に、こいつは知り過ぎてるんだ。逃げ出されたくない」
アギレオが髪を掻き、リーが腕組みして鼻から息を抜く。
「そうなんでしょうね」
分かっていると示して頷き、ルーが続ける。
「…正直に言うとね。女達は少し不気味がり始めてるわ。エルフが一人生きてたことはみんな分かってるのに、あなたたちが何人かだけで、いつまでも黙ってそれを隠してること」
「ああー…」
「なるほど…」
二人が合点するのに、なるほど、とハルカレンディアも腹の中でだけ頷く。彼らがどの程度の規模なのかは分からないが、男ばかり、しかも数人だけがコソコソ捕虜を隠したり動かしていたら、仲間内では不審に思う者も確かにあるかもしれない。
「鎖に繋いで閉じ込めていても、アギレオなんて寝る時くらいしか家に戻らないでしょう? それなら、外に出ても、顔を知られてて、いつも誰かの目がある方がいいと思うのよ」
検討するようそれぞれ、アギレオは斜め上を見ながら顎を擦り、リーが腕組みして目を伏せる。目線を彷徨わせる二人の間を抜くように、ルーから目を向けられ、二度瞬く。
「アギレオの腕はもう知っているかもしれないわね。それだけじゃなく、ここは私達の縄張りで、リーと私は狼の獣人なの。あなたが逃げ出しても、森を抜ける前にその喉は血を噴くわ」
ごく穏やかに、だが確かに残酷な何かを孕んだ声でルーが告げるのに、目を瞠り。
「ああ、人狼なのか…」
二人の似た外見と、何よりも雰囲気に納得する。比較的新しい種族といわれる獣人の中でも、狼の祖霊を持つ彼らは、特にその戦闘能力に優れることで有名な一族のひとつだ。人狼、と、わざわざ別の呼び名を与えられるほどに知られ、恐れられている。
「分かった。喉を食い破られるような疑わしい行動をしないように注意しておく」
「いやお前が先に承知すんのかよ」
「えっ」
「理解が早くて助かるわ。二人はどう?」
間で口を挟んだアギレオが先に腕組みを解き、頷く。
「まあ。足枷だけ残しとけば、他の面子でも何人かいれば、最悪殺すことはできるだろ。いいぜ」
アギレオの了承を耳にしてから、リーも頷く。
「…身内の不和の元になるくらいなら、もう殺しちまうか、ちゃんと明らかにするかのどちらかしかないだろうな。分かった」
二人の了解を聞き終えてから、彼女はニコリと笑みを浮かべる。
「決まりね。昼の食事で会いましょう、ハルちゃ、…ハル」
「ああ、ありがとう、ルー」
何故ちゃんがつくのだろう…と、薄らとは過ぎりながら、素直に会釈して礼を述べる。出てもいいと言われれば、途端に外に出てみたくなった。
「あら、そうだったわ、リー。ハルはあなたの名前を知らなかったわよ」
玄関に向かいながらルーに言われて、ああ、とリーが振り返る。
「すぐ死ぬと思ってたからな。俺はモーントリードだ。リーと呼ばれている」
「私もそう思っていた。名はハルカレンディアだ」
返す苦笑いに、フ、と淡い笑いを浮かべ、それでハルか、とルーが呼ぶのに納得した様子のリーが、ルーを連れて二人で玄関を出て行くのを少し見守る。
扉が閉じたのを見てから、身を返して食卓に戻り、空になったボウルとカップを集めるアギレオの後につく。
「手伝おう」
「ああ」
瓶から桶に汲む水でアギレオが洗う食器を受け取り、これでいいか?と確認した傍の布巾で拭いて籠に伏せておく。
「お前、」
呼びかけられ、最後のカップを伏せながら顔を上げて隣を振り返り。
「何かと大人しいな。地下に入れてる時は、暴れるって散々聞かされてたんだが」
大袈裟だったのか?と首を捻る様子に、いいや、と、少しだけ笑いながら頭を振った。
布巾を戻し、身を転じてアギレオに向き合う。
「お前の言った通りだ」
「…うん?」
身を向け直しても、向き合うというより半ばシンクに寄り掛かるような、腕組みする顔に目を据え。
「お前は、あそこから出してやると言ったら出して、戻さなかった。境の森に連れて行くといえば確かに連れて行き、手紙を書くことを認めれば、届けることもやめさせはしなかった」
ああ…と、開いた唇から漏れる、相槌未満、納得未満の声に、頷いてみせる。
「国軍の騎士である私にとって、境の森へ行き、それがどうなったかを国に知らせることは、重要なことだ。兵の一人だ、命を落とせばそれも仕方がないが、生きているなら諦めるわけにはいかないことだったんだ」
「なるほどな…」
「私にとって重要な約束を、お前は違えることなく果たした。お前からすれば、出任せだったのかもしれないが、……、私にとっては、守る価値のある約束だ」
その内容と、それが招いた結果をふいにまざまざと思い出し、間で少し言葉を途切れさせる。俯いてしまう顎を掴まれ、顔を上げさせられて薄く肩が跳ねる。
近付いた顔はけれど触れることなく、笑う吐息だけを吹きかけて離れ、早鐘を打つ鼓動を隠すように唇を引き結ぶ。
「お前の言いたいことは解った。が。俺は一応このちんけな砦の頭だからな。信じる信じねえなんつう曖昧なモンに、ここにいるやつらの安全を賭ける訳にはいかねえ」
ほんの少し、目を瞠ってしまう。
信用や信頼が曖昧なものだという、考えの違いに、住む世界の違いを思い知る。それでも、と頷き。
「筋が通っていると思う」
「そいつはどーも。…ッから取り敢えず、ルーの提案でいってみるっきゃねえな」
「わかッ」
不意打ちで唇を奪われ、跳び上がりそうになる。顔が離れて唇を指の腹で拭われ、心底人の悪そうな片頬の笑みを見れば、唇がわななく。
「その面。騎士の誓いっつうのも大変だな」
笑いながら悠々と離れていく背を睨みつけ、自分で唇を拭う。忌々しい悪党め、と腹の中で毒づいた。
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