15、野盗の砦2

1/1
前へ
/35ページ
次へ

15、野盗の砦2

「あ! ねえ、ハル!」  レビの手伝いに行こうと足を向けるところに声を掛けられ、振り返る。 「ミーナ。どうした?」  いつだか縫い物を教えてくれた彼女に呼び止められ、踵を返してそちらへ向かう。なんだか以前より色の良い笑みを向けられ、つられるように眦を緩めてしまう。 「明日から買い出しに行くんだ。それで、あんたが欲しければ布を買ってこようと思うんだけど。どんな布がいいとか、好きな色とかある?」  布?と、思わず首を傾げるのに、ふふと笑う彼女が上機嫌なのが分かる。 「もう一着くらい、着るモンがあったら便利だろ」  さすがに、予想しなかった言葉に少し目を瞠る。 「縫うということか…」 「そうそ、一からね。時間は掛かるだろうが、教えるしさ」  少し彼女をじっと見つめてしまい、なんだい?と眉を上げる顔に首を傾げる。 「そこまでしてもらって、いいのだろうか。布に払う金も持ち合わせないが」  ふっふ、と含むように笑う顔に、再び顎を捻り。 「肩が凝っちまってさあ。前にやってくれた癒やしの魔術? また頼もうかと思ってさ」  ああー…と、合点して頷き、けれど少し苦笑いしてしまう。 「癒やしの魔術は高度だ、私のように不器用ではそれほど大した術は扱えないのだが。…あのくらいでも構わないなら、もちろん、喜んで」 「決まりだね。どんなのがいい?」  着るものについて、丈夫であるかどうかがまず一番で、あまり考えたことがないなと少し思案する。それでも恐らく好む色はあるだろうと、視線を動かし、彼女の後ろの空に目を留める。 「…ええと、うん。天色がいい」 「あまいろ?」  首を傾げる彼女に、指を立て、天を仰いで示してみせる。目についた色など、単純過ぎるかもしれないが。 「こういう、空の色のことだ」 「ああ、はいはい。こんな色ね。あんまり薄いと汚れになりやすいから、ちょっと濃い色にしとく?」 「それはいいな」  どんな布地で何を作るか、それは何色がいいかなどと打ち合わせる、胸は掛け値無しに小さく踊る。大体そんなものかと決まってミーナと別れ、川沿いを進む足が軽い。  魔術師の家は、心地良い薬草の香りで満ちている。  玄関をノックして名を告げれば、奥の方からだろう少し遠い声に招かれ、扉を開いて上がりこむ。  物珍しさよりも、森の中のようで親しみやすく、吊るされた薬草や貼り出された魔法陣図、様々な書き付けを眺めながら奥へと足を踏み入れた。  窓際の大きなテーブルでは様々な器具が薬を精製しながら、けれど予想に反して、レビは椅子に掛けて本を読んでいる。 「何か用か」  そう、と、頷きかけて、その短い問いかけと同時に、同じ声が製薬器具に指示する詠唱を唱えたのを聞いて、目を瞠る。 「詠唱舌を持っているのか…!」  うん?と、本から顔を上げたレビを、初めて正面から見た気がする。その、自分よりもはるかに"エルフらしい"容貌にも改めて驚き入るが。 「…まあ。…珍しいけど、別に、だから優秀な魔術師ってもんでもないし」  詠唱舌は、肉体的な舌ではなく魔術の一種だ。言葉を紡ぐ実際の舌を妨げずに同時に詠唱をこなす特殊な術であり、稀に生まれ持つ者がいるだけで、訓練や学習では身に着けられない。ただ、本人の言葉通り、それ自体は魔術の才の優劣に関わりがなく、魔術師達の中では案外重要と扱われない。とは、聞くが。 「本物は初めて見た…。すごいな…羨ましい…」  ぷっ、と、軽く吹き出して笑うレビの顔をマジマジと見つめ。  その正面へと歩み寄り、そっと手を伸ばす。退けられないのをいいことに、なめらかな白い頬に手を触れ、瞳に見惚れる。 「珊瑚色の瞳をしているんだな。美しい…」  丁寧に手を掴んでから雑に放り出され、手は引っ込めても、まだその顔を見てしまう。 「口説きに来たんなら出てけ、うっとうしい」  ああ、いや。と、少し我に返るような心地で、半目に眉を上げ嘲るような顔を見つめ、感嘆の息をつく。  女性に見えるほどではないが、線が細く、華奢だ。 「宝石でできた人形のようだ…」 「力尽くで追い出していいんだな?」 「うっ。待ってくれ。手伝いに来てもいいと言ってくれたから、訪ねてきた」  ああ、と頷いて立ち上がるレビに道を開けるように、身を引いて控える。 「なら、森に入って薬草を取ってきてくれ。ええと…」  この籠に、この薬草、と、片腕で抱えられるほどの籠の中に、ひとひらのありふれた葉を入れて手渡される。 「最近、練り薬がよく出て追いつかないんだ。できるだけ沢山欲しい」  聞き慣れた単語に、グッと、思わず息が詰まる。籠を覗いてみればそれは見慣れた葉で、薬効は弱いが、火傷や擦り傷等、およそ外傷のほとんどに用いるような薬を作るのだろうと、薬学に疎い自分でも解る。が。 「なんだよ、……」  今度はその顔を見れず、視線を外す。間を置いて、ああと短く合点する声が耳に痛い。 「なるほど。なんかそういうのに使うのか」  学術的知識が増え、感心する、といった調子の声に、余計そちらに顔を向けられず踵を返す。 「…懸命に集めてくる…」  忙しい魔術師に"なにかそういうこと"の薬を作らせているという申し訳なさから出た言葉だが、自分の耳に届けば、尚多く必要だとも聞こえる気がして、内心身悶える。  森が禿げるほど毟ってくるといい、と、背を追う声は紛れもない揶揄の色で。呻きを腹の中に押し殺しながら、森へと分け入った。  爽涼たる森にあればついつい長居をして、葉陰に息をついたり、王都の森と同じ花を見つけて和んだり、あるいは鳥のさえずりに耳を傾けたりしながら目的の薬草を探して歩く。よく使うものだからだろう、少し深く足を踏み入れなければなかなか数が揃わず、時折後ろを振り返って、リューに教わった縄張りの見分けを確かめながら足を進める。レビの家の周りばかりで採取すれば後から彼が不便かと少し足を伸ばしたりし。  潰さない程度に押さえながら籠に詰める薬草が、どうしても溢れるほどになってから、ようやくレビの家へと戻る。  よしよしと満足の声をいただいて思わず頬を緩めながら、別の薬を作るレビを後目に、指示に従い壁から壁へと渡された細いロープに薬草を吊していく。 「ハルカレンディアは、苦手な香りはあるか?」  思いがけず久々に聞いたように感じる自分の名前に、勢いよく振り返ってしまう。しまった、とでもいうようなレビと目が合い、見つめ合うのに思わず笑みがこぼれ。 「香りか。例えば?」 「…いや。薬草茶を煎れようかと思って…」  少し口角を下げている白い頬を見つめながら、ああと頷く。 「薬草の類では特にないな。ありがとう、ケレブシア」  どういたしまして、と、わざと白んだような声で応じるのがやはり可愛いらしく思えてしまう。彼の、近くで見れば思っていたよりあどけない面立ちのせいかもしれない。  薬草を干し終わり、簡素な椅子を与えられ、レビと向き合いに掛けて薬草茶を受け取る。 「ありがとう。いい香りだ」 「どういたしまして。本を借りにきたんだろ。後で好きなのを一冊持ってくといい」  ありがとう、と、もう一度声を重ねて、爽やかな葉にほんの少し花の香りが混じるカップを啜る。あたたかい茶の清々しい口当たりが、動き回った身体に沁みるようだ。  一息ついてから、顔を上げ。 「ケレブシアは、どうしてここに?」  カップから目を上げ、こちらに向く珊瑚色の瞳を見る。寛いで足を組み上げながら、思案するよう伏せる睫毛を眺め。 「王都では魔術院に所属してて、軍属を希望してたんだ。けど、エルフばっかり軍に上げられて面白くなかった」  俺の方が優秀だったのに、と、腐るように落ちる声に、ああ…と合点して相槌を打つ。 「魔術院も悪くはなかったけど、軍属の方が活躍して研究もできて待遇もいいし」 「そうだな。王都から出て戦闘に参加するから、危険もあるが」 「分かってるけど。そうじゃなくて。他にも、王都にいたらどうしても、エルフじゃないってことで後回しにされるし、…色々面白くなかった」  うーん、と思わず唸ってしまうのに、なんだよ、と唇を尖らせて向けられる目に、少し苦く笑ってしまう。 「いや、…。軍属に関しては、エルフ優先なのには理由がある。エルフは他の種族よりも優れるところが多いのだから、先立って矢面に立つべしというのが、国軍の基本でもあるからな」 「…そうだな。そっか。…でも、やっぱり面白くない」  うん、と頷いてから、少し大きく息をつく。 「ああ。だが、私も、エルフには驕りのある者が少なくないのは否定できないと思う」  気をつけていても恐らくは自分にも、という複雑な胸中は、口に出さず留めて、良い香りの茶で一口に流し。 「うん。けど、うん…。たまたまここに流れ着いて、面白いし甲斐もあるけど、出てきたから王都の良さが分かったりってこともある」 「そうか。それはよかった」  胸を撫で下ろすようにレビの顔を見れば、少しじっと視線を向けられ。もう一度頷かれて思わず頬が綻ぶ。 「ケレブシアはいくつだ? 思っていたより若そうだ」 「22」  思わず薬草茶を噴き出しそうになるのを、堪える。魔術師の家は、住み始めて一年や二年という様子には見えない。彼が軍属を希望したのは、もっと年の少ない頃ではないだろうか。 「それは私でも戦場に出したくはないな!?」 「じゃあ、ハルカレンディアはいくつで騎士になったんだよ」 「……。…17? 16だったかな」 「そういうとこだ! とっとと本選んで出てけよ、もう!」  空になったカップを返し、礼を言うのを急かされるように立ち上がり、気を悪くしたかと見る顔は案外そういう風でもない。  どの本が面白いかと少し話してから一冊借り、魔術師の家を後にする頃には、ずいぶん足も胸も軽くなっていた。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

160人が本棚に入れています
本棚に追加