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16、思いがけない再会
軽くなった足で、もう少し歩き回ろうかと進める歩みを、建物の陰から出てきた影とぶつかりそうになって止める。少し見上げる高さにある顔。
「アギレオ、」
お前か、と、こちらの顔を見て、そのまま立ち去ろうとした足を止め、振り返るアギレオに瞬く。
「ああ~、お前がいたな。お前でいいや、ハル、ちょっと手伝え」
分かった、と、応じる間もなく取られた腕に驚く。腕を引かれて歩きながら、その後ろ頭を眺めて少しポカンとしてしまう。ここには相互のコミュニケーションを取る者と一方的な者がいて、この男は後者なのではないかと、腹の内で唸る。
川の傍でようやく腕を離され、少し息をついてアギレオを見上げる。
「お前な。返事くらい待ったらどうなんだ」
「あン?」
なんの、と、こちらも向かず川に桶を入れて傍の盥に水を満たす背に、鼻から息を抜く。
「何の手伝いだ。何をしているんだ?」
「見りゃ判んだろうに。水汲みだ、」
どちらも抱えるほどの盥と瓶を満たし、ようやく振り返る顔に上から下まで眺め回されて、首を捻る。
「水汲みの手伝いか」
「おう。手ェ出せよ、両方」
うん?と、言われるままに両手を上げて差し出すと、腕を掴まれ、隠しを探ってから袖を捲られ、手枷が晒される。
「!」
片方ずつ順に枷を外され、途端に軽くなる己の手を、思わず改めて見つめてしまう。これまでも動かなかったわけではないのに、自分の手が自分の意のままになるという感覚を思い出すのが、新鮮にすら感じる。
「ほらいくぞ。落とすなよ」
ドンとばかりに水の入った盥を抱えさせられ、一瞬よろけそうになるのを堪える。
「待て! 待て待て、重い! そっちの桶で運べばいいんじゃないのか!」
小柄なヒトくらいは入りそうな瓶を抱えて歩き出すアギレオの後につく。重いのもあるが、明らかに持ち歩くための大きさではない盥は抱えにくい。
「行ったり来たりする方が面倒じゃねえか」
「だからそれを、尋ねて選ばせるという選択肢はないのか。お前は」
「ありませえ~ん」
「クッ…! 人を苛立たせる才なぞ自慢になら、」
叩かれる軽口に応じる間も、腕の軽さと、腕に籠められる力が漲るのに、ついつられるように軽くなる口を、止めてしまう。
近付いてくる大きな建物は、人が通るには大きな扉が開け放たれたままになっており、それに、その匂いと音が。
「厩舎か…!」
「ご明察」
振り返る顔が眉を上げて、少し面白がるように浮かべている笑みが見えているが、視線を厩舎から外せない。ささやくように静かに鼻を慣らすいななきが、ひとつふたつではない。
逸る胸を抑える心地で足を踏み入れ、言われるままに桶を下ろしたのも頭から抜けそうなほど。並ぶ10頭足らずの馬の顔をひとつひとつ眺めて歩く末に、脚の先に白を刷いた、艶のある黒い毛並みの馬を見つけて、目を剥く。
「スリオン…!」
いななきが応じ、嬉しげに蹄を打って鳴らす青毛に駆け寄り、腕を上げて首を抱く。頭を擦りつけられ、押し返すように擦らせて返す。
ああ、と。ほどけるような胸から抜ける息を大きくつく。胸が詰まるようだ。
「お前の馬がいたか」
声に振り返れば、馬用の水桶に水を配っているのが見えて、手伝わなければと思うのに、馴染んだぬくもりから離れがたい。
「ああ。…まさかもう一度会えるとは思わなかった…」
ようやく少し離れて鼻筋をよく撫でてやり、声を掛けてやる。
「馬は高く売れるからな。ヒトよりゃ殺さねえ」
そうか、と、耳だけで声を聞きながら、鼻先に額を擦らせ。
「高く売れたというなら、食肉にはなっていないかもしれないな…」
「ああー。なってねえかもな。肉じゃなく馬が要るってやつに売ったって聞いた気がすんぜ」
エルフの軍馬だ、肉よりは馬として価値があるのは間違いないが、誰がどう考えて取引するかまでは予想がつかない。だからこそ、アギレオの声に胸を撫で下ろし。
「スリオン、…この馬は売らなかったんだな」
「さてな。いいやつだから残したのか、たまたまか」
「そうか」
懐く鼻面を撫でてやりながら、その穏やかな瞳を見つめる。ふふ、と、笑息が勝手に零れる。
「お前は私より価値があるようだぞ。よかったな、スリオン」
「他の国ならエルフも売れんだけどな」
すぐ後ろで前柵に手を着く気配に振り返れば、それだけで肩がぶつかるほど近い。瞬いて顔を見上げ。
「そうなのか」
「ああ。クリッペンヴァルトはどこも、多かれ少なかれエルフの恩恵ってやつがあるからな。その機嫌を損ねるだの、お前らの扱いにくさだのと秤に掛けりゃ、売んのも買うのも割に合わねえのさ」
扱いにくい、というのには余り聞き覚えがなくて、首を傾げる。
「気位は高えし暴れるし」
「ああ…」
確かに、並大抵の環境では拘束しておくことも困難だろうと、思いかけてふと、自らの境遇に思い至る。
「あの、手枷と足枷だ。あれはどんな呪具なんだ?」
あれほど効果的に、しかも長く、ただ力を奪い続ける呪具というのは知らない。レビが作ったのだろうかと、顎を捻り。
「ああ、エルフ封じな。ありゃ呪具じゃねえよ、…なんとかってえ、そういう金属だそうだ」
予想もしなかった言葉に、目を瞠る。
「エルフに作用するものだというのか? 聞いたこともないぞ…」
「だろうな」
腰を抱き寄せられて、背が伸びる。顔が寄せられ、一瞬ためらってから、くちづけを受け。
「ん、おい、話の途中で、」
「構わねえから好きに話せよ」
笑う唇に戯れるように啄まれて、口を開くのが覚束ない。
「…ん、…鎖、…鎖も、同じように見えたが、」
触れる唇を擦り合わせ、角度を変えて合わせ直し、啄まれ、食まれるのに、甘くなりそうな息を噛み殺しながら、それから、それから、と、紛れてしまいそうな思考に懸命に意識を向ける。
「鎖だけじゃねえな。お前を閉じ込めてた倉庫の隅だの扉だの、…ンー、何だってたか…。数が多い方が遮れるとかどうとか」
「遮る? ア、」
「まだ喋んのかよ」
舌に口の中を這い込まれて、顎が浮く。口の中を探られて、縋るものを探す手でアギレオの服を掴み。
「ン、ぁ、あ、……ふ、」
弾力のある柔い舌に舌を舐められ、言葉が溶けて、曖昧なイメージが、混ざる。エルフを遮る金属、というものが、頭の中で正しく組み立てられない。
「いて!」
不意に解放されて、息をつく。は、と上がった息を吐いて飲みながら、視界を横切る黒い影に瞬く。
「んだよ、ヤキモチか、この野郎」
笑いながら馬の鼻筋を荒く撫でているアギレオと、スリオンを見比べる。ゴツンゴツンと鼻先をぶつけてはいるが、噛みつかない程度には仲が悪いわけではないらしい。馬とまでその調子なのか、と、少し噴き出して。
「なんだよ、仔馬の作り方教えてやろうか。ン?」
「ちょっ!」
腰を抱いていた手が滑り降りて尻を掴み、慌てて胸に手を着いて身を離す。回る腕が案外本気で逃れられず、冷や汗が浮かぶ。
「やめろ、この馬鹿!」
「ははッ。知ってるかお前、目の前でやってりゃ、何してるか獣でも分かんだぜ」
「当たり前だろう!」
「当たり前かあ?」
腕に力が戻っても、体勢のせいもあって押し退けられない。スリオンだけでなく、あちらこちらで馬が足を踏み鳴らすのに、ハッと目を向け、またアギレオに戻す。
「馬を興奮させるな…」
両手を掴んで腕を開かされ、片笑みに鼻で笑われて唇を引き結ぶ。
「大声出してんのはお前だろ」
開く口から、勢いで出そうな言葉を飲み込み、大きく息を吐く。睨むのをやめて、腕から力を抜き。
「…ここでは駄目だ」
手を離され、また腰から抱き寄せられて、顔を背ける首筋に触れる唇に、少し息をつく。
「ここじゃなけりゃいいんだな?」
「…まともな、」
言いかけ、ハッと顔を上げる。
「話の途中だろう…!」
「うん?」
なんだっけ、とでも言い出しそうな声に、眉を寄せ。すぐに眉を開いて、押しつけんばかりの身の間に手をやり、前立てを手の甲で逆さに撫でてやる。
「おっ?」
「話がまだ途中だ。エルフを遮る金属とは何だ、意味が分からない」
少し身を空けて手を掴まれ、握らされる手に、下衣の向こうから押し返されるものを、素直に握って爪先で掻いてやる。
「こんなとこで勃たされたら、"まともなとこ"まで待てなくなんぜ」
余裕の面を、わざと白んだように睨み返し、手を緩め、動かすのをやめる。
「まともに答えないなら、途中でやめる」
「へえ。できると思うのか」
「試してみたいなら、いくらでも相手してやろう。お前と違って時間はあるからな」
ヘッと、思い切り鼻で笑う顔を、表情を変えず見据えたままで強いる。
そうだな…と、思案に逸れる混色の瞳をじっと見つめ。また視線がこちらに戻ってきて、その悪どい表情に眉が寄る。
「キスしろよ。お前から」
「……」
そんなことか、と、思いながら、同時に、それがまた自分の何かを破るだろうことは目に見えて。分かった、と、息混じりに一度目を伏せてから、顔を上げ直す。
向き合いの肩に左手を置き、頭を抱きに右腕を伸ばす。その下を潜るアギレオの腕が背を抱き寄せるのに、従うように身を寄せる。顎を上げ、いつもより少し遠い距離が、向こうから寄らないからだと頭の後ろに遠く気がつく。
顎を傾いで唇を合わせ、合わせたところから薄く口を開いて、また閉じて。見た目よりも柔らかい唇を食み、唇で愛撫するよう、やんわりと啄み、淡く吸う。
少しずつ角度を変えて、その形を隅々まで唇に触れて、最後に下唇を淡く吸う音を立ててから、顔を離し。
手を引いてまた胸に手を突いても、背を抱く腕は離れず、目を伏せる。甘くて、軋む。
「いいぜ。作ったやつに会わせてやるよ。それが一番早えだろ」
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