21、鍔際

1/1
前へ
/35ページ
次へ

21、鍔際

 互いに少しも淀まず、馬上の指揮官も、フード越しのリーも向き合う視線を曲げない。 「報告の手紙を届けたというエルフの正体も判らず、手紙を書いたエルフの死体も、骨の欠片すらも見つからない。谷のエルフとの交戦の他に何か異常なことが起こったのなら、掌握する必要があるのだ」 「知らんものをどうしろと、」 「辺り一帯を切り開いてでもな」 「……」  沈黙が落ちる。  口を開いて止まったリーを指揮官が見つめ、膠着と不穏の様相を呈する場を、リーの後ろで控えていた細身のローブ姿の声が破る。 「ふざけんなよ、クソエルフが」  指揮官はもちろん、リーとアギレオも振り返り、毟るようにフードを取って顔を見せるレビに、極まるような緊張感と、ごく薄いざわめきがエルフ達にも起こる。 「手紙を届けたのは俺だ。手紙を書いた黒髪のエルフが境の森で死んだのは見たが、他のことまで知るもんかよ」 「お前はエルフか。まさか獣人達と暮らしているとでもいうのか?」  当然であるかのように淡々と問われ、途端に牙を剥くように歯噛みしながら、レビが指揮官を睨みつけ、指揮官が薄く眉を上げる。 「俺は半エルフだ。それなら、獣人達と暮らすのもお似合いだとでも言うか? だからお前らはクソなんだよ」 「これはまた…」  遠慮なく呆れた息をついて、指揮官は肩を竦める。 「エルフが嫌いなようだな? それなら何故、わざわざエルフの手紙を王都まで届けに行ったか?」  フッと、歪めるように片唇を吊り上げ、笑うレビの顔には禍々しさすら帯びる。 「死んだからに決まってんだろう。クソエルフも死体になれば少しは可愛いげがあるからな。お前らにだって、同じようになれば親切にしてやってもいいんだぜ!」 「口が過ぎるようだ」  ヒュッと、風を切る音と同時に、パンと何かが弾けた破砕音。 「!」  後ろに控えていた別のエルフから向けられた弓矢に身を縮めたレビ、エルフに飛び掛かりかけたリーが動きを止め、射手のエルフとレビの間に腕を伸ばして遮る格好のアギレオは、矢を受けるはずだった、傷ひとつ受けない自らの腕を見。指揮官は口を開いたまま。射手がまず目を配って放った矢の行方を探し、地面に突き刺さった矢と、それが打ち砕いた矢を見つける。  全員が、地面に刺さった矢の矢羽根の向きから、それが放たれたであろう方向を振り返る。  上方の崖の上で際に迫って立ち、三人と同じようにローブとフードで身を隠して、けれど矢を番えた弓を構えるのを隠さぬ姿は、どのような背格好であるかも判じにくいほど、高く、遠い。 「あそこから…!?」 「偶然ではないのか。射かけてみよ」  フードの射手に眉を寄せて声を交わすエルフ二人をよそに、アギレオが密かに舌打ちする。 「手前ェッッ!! オンナはすッ込んでろッッ!!」  その距離でもその声なら聞こえただろうと思えてしまうほどの、よく伸びて通る声をアギレオが張り、意に介さぬ面の指揮官は振り向きもせず崖の上を見守る。 「ほう。女なのか、あの射手は」  崖下と崖上の射手は既に互いに意識を尖らせ、怒鳴り声にも感心する声にも動じない。  エルフの射手が弦を引く。崖上の高みにても、ローブの射手は応とばかりに矢を番えた弓を引き絞り、地上から風切る音立てて鋭く打ち上げられる矢を、打ち下ろす一矢が砕く。相手の矢を砕いて直に降り下りる矢は、計られたように人々と馬の間を縫って、何にも触れず地に突き立つ。  矢を継ぐ間も惜しむよう続け様にと、狂いなく放たれた第二矢をまた打ち落としてから、背の矢筒から矢を取り直し間髪入れず、恐るべき素早さで放たれる三矢目は、一騎打ちの隙をつくように別の射手が放った矢を断った。  ほんの数秒の間に飛び交いどれもが誰も傷つけず失せた矢の行方に、短く、場が静まり返る。 「なんと。エルフのようなやつだな」  笑う指揮官が手を挙げれば、射手が手を緩めて矢を戻し、弓を収める。 「良い射手がいるようだ。獣人は様々な特技を持つとは聞くが、驚いた」 「驚いた、じゃねえよクソッタレが。手前ェらがわきまえもせずのしのし歩き回りやがるから、縄張り中がピリピリしてんだ。とっとと失せろ」  顔を上げてもう一度崖上に視線を遣り、フードの射手が、収めぬまでも弓を下ろしているのを見てから、指揮官はレビへと目を戻す。あからさまに顔を背けながらフードを被り直すレビの様子に、肩を竦めぬまでも笑みを浮かべて首を捻る。 「半エルフ」  返事もせぬレビに、わざとらしくため息をつき。 「手紙を書いた黒髪のエルフの仲間がどうなったか、見てはいないのか」 「見てない。境の森で死にかけてたそいつに、手紙を届けてくれと一方的に頼まれただけで、何があったのか聞く間もなかった」 「そのエルフはどうした?」 「知らない。死んだのは見たけど、そのまま王都へ行ったからな」  そうか…と、深くため息を零して、指揮官は少し顎を引く。再び顔を上げると、目配せひとつでエルフ達に馬を控えさせ。 「いいだろう。手紙を届けた者を見つけただけでも収穫だ。騒がせたな」  返る声がないのに肩を竦めてから、馬の鼻先を戻し。 「ここに獣人の縄張りがあるとは知らなかったな」  振り返りもせず、言い残して引き上げていくエルフ達を見送り、その姿が山を下って見えなくなってから、アギレオが舌打ちし、リーが額を擦る。 「…面白かねえな」 「ああ。目はつけられたな、間違いなく」 「ごめん…」  俯くレビに、ん?と、二人で振り返り、リーが笑って、アギレオがその頭をフードの上から掴んで撫で回す。 「いや、お前の機転で助かったぜ。軍を襲うって決めたからにゃ、多少の厄介は端から承知の上よ」 「まあ、やることやるだけだな。予定通り」 「そうそ、帰ろうぜ。買い出し組も飽きて寝ちまってんじゃねえか?」  リーとレビを促して歩き出しながら、アギレオは崖上を振り返る。既に射手の姿はなく、周りに響かぬよう、浅く口の中でだけ舌を打った。  支度を手伝う昼食前の食堂が、扉の開く音を切っ掛けに一度に賑わう。買い出しから戻った連中へと、おかえり、ただいま、無事で良かったと交わされる声にハルカレンディアも眦を緩めながら、給仕に手を貸し大皿と器を配って歩く。  お頭、リー、レビ、と、援護の三人を迎える声も一際明るく、つられるように目を遣る。  計ったように視線がぶつかって。  目が合った途端に厳しい顔つきで指さされ、肩を竦めて返せば、けれどそれ以上はなく互いに別の者と声を交わして立ち回る。 「ハル!」  声を掛けられて振り返れば、数日振りのミーナの笑顔を目にして、思わず顔が綻び。抱きつかれて一瞬目を丸くし、けれど笑いながら、慣れぬほど細い女の背を抱いて返す。 「ああ怖かった! いよいよ駄目かと思っちまった!」 「本当に。無事で良かった。おかえり」  ああ、出る言葉は人間も獣人もエルフも同じなのだなと、ふいに理解して少しおかしく、あたたかい。  裁縫教室はいつにしようかと話し合いながら彼女のために椅子を引き、隣に座るミーナの夫が「浮気者め」と、わざとしかめ面で言うのに顔を見合わせて笑う。何故かミーナの夫とも抱き合わされ、笑いながら踵を返す。  いつもの席に戻ろうとして、どうしようかと一瞬迷うのを、見抜いたようなアギレオに顎でしゃくって示され、その隣に腰を下ろす。 「弓はどうした」  色のないアギレオの声よりも、その声色を聞き分けようとしている自分に、腹に隠して嘆息する。 「あったものを借りて、元に戻した」 「勝手なことすんじゃねえ」 「…罰があるなら受ける。だが、」  これをどう表現すべきかと少し思案しながら、配られるエールを受け取り。隣で同じようにカップを手にするアギレオが振り返るのが分かって、顔を向ける。 「なんだよ」 「悪事を働いたつもりはない」  声を失う様のアギレオから目を離し、カップを傾ける。 「…おッ前だきゃあホントに…」  呆れ返る声に黙って肩を竦め、エールで喉を潤す。アギレオの大きなため息を終いに途切れる会話。沈黙を噛み締めるように口に運ぶ野菜は少し味が薄いようで。  そこに、ふわりと鼻腔を擽る芳香に顔を上げる。香ばしい匂いに甘さが混じり、匂いの元を探して首を巡らせれば、そこここに同じように見回す顔が見え。 「さあ、また長らえちまったあたしらの命も潤さなくちゃね。今日は花蜜が手に入ったよ!」  女達が盆に積んだ素朴な焼き菓子を抱えて机を巡るのに、歓声が上がる。焼き菓子は贅沢ではない素朴なものだが、とろりとした花蜜が惜しみなくかけられ、食堂中に甘い香りが広がる。 「焼き菓子の方に卵が入ってんだけど平気?」 「いただく。すごいな、いい匂いだ」  ダイナの勧めに、はしたないほど急いで伸ばしてしまう手が、隣から伸びる手とぶつかり、山盛りの菓子を取り合いはしないが、思わず顔を見合わせる。 「…動物性の食事ではないと思うが」 「野菜でもねえし、卵は嫌なんじゃなかったっけ?」  顔を見合わせたままお互いに一拍黙って、淡く噴き出して笑いながら皿に取って口に運ぶ。花蜜の甘さを解いて放つような焼き菓子の香ばしさが、口の中で豊かだ。  知らず頬が綻んでしまうことに、そこら中で同じ顔をしているのが見えて気づき、余計に頬笑んでしまう。 「めちゃくちゃイイ匂いがする!」 「おいぃぃ、匂いがすごすぎて寝てらんねえんだけどぉぉ」  叩きつけるように扉を開いて入ってくる、今し方眠りにつきに各々帰っていった獣人達の姿に、笑いが起こる。 「ちょっと! あんたたちの分は夜作るってば!」 「むりーやだーたべるー」 「…この匂いを嗅ぎながら我慢して寝ろというのは、ちょっと残酷だろう……」  獣人達の最後に扉を潜って現れた灰髪に、再び場内が沸く。夜の分の量を減らしてもらって、また翌朝も作って分け合うのはどうだろう、と真剣な顔で持ちかけるリーに、食いつき過ぎだろと笑いながら、アギレオが既に次の菓子を口に運んでいる。  覚える限りほとんど全ての顔が揃った食堂での昼食は、いつもよりずいぶん長く華めいた。
/35ページ

最初のコメントを投稿しよう!

160人が本棚に入れています
本棚に追加