25、エルフの王

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25、エルフの王

 馬を休ませながら王都までの道中、考える時間には不自由しなかった。  王都に着いてまず、もうどこにも一つの跡も残らぬ肌を清め、正装を纏う。一様に幽霊を見るような顔の知己達に目礼を捧げて、口は利かず、王宮の中、玉座の間へと到る長い階段を上っていく。 「連隊長ハルカレンディア!」  扉を守る近衛兵が立ち入る者の名を告げるが、その扉を開くことを許された者にわざわざ目を向けることはない。ハルカレンディアもまた、頻回ではなくとも、足を踏み入れ慣れたこの場所で他に視線を配る要もなく、開かれる扉を待ってその先へと真っ直ぐに歩んでいく。  荘厳な室内の先に樹と石が絡み合うように聳え、白金と宝石が淑やかに飾られた玉座の前へと進み出る。無論武器は帯びないが、隠し持っていたとしても到底剣など届かぬ位置で足を止めて跪く。  僅かな近衛が控えるだけのその場所で、他の者が口火を切ることはなく、まず、玉座に座したエルフが大きく息をついた。 「…まことに…ハルカレンディアか……」  天を仰ぐ肩から、昼の陽の光で紡いだような細い金の髪が長く零れる。  その目に見えぬ者にまで知れるかに、溢れんばかりの霊力が輝くごとくと称えられ、黄金公とも呼ばれるクリッペンヴァルトの新しい王は、透き通った深碧色の瞳を凝らし、跪くハルカレンディアをもう一度よく見直した。  王族らしくなく、けれどごくエルフらしい繊細な刺繍と細工を纏っても、重たげな宝石の類を垂れ下げはせぬ瀟洒な袖を揺らして目頭を押さえる。 「ただいま御前に。無沙汰をいたしましたこと、深くお詫び申し上げます」  潔いほどの声で述べ、ハルカレンディアは頭を伏す。 「まったくよ…。余だけではない、そなたを知る者どもがどれほど嘆いたことか。下げて回る頭がひとつでは足りなかろうぞ、ハルカレンディア」  はい、と、深く頭を垂れたままで、声を和らげる王に肯く。 「訳は聞かせてもらえるのだろうな?」  おもてを上げよ、と、柔らかに命じられ、顔を上げて再び頷いた。 「そのつもりです。しかしながら、まずはお祝い申し上げさせてください。ラウレオルン陛下、この度のご即位、心よりお慶び申し上げます」  これはかたじけない、などと笑う王から、ハルカレンディアは少し目を伏せる。 「先王陛下におかれましても、ご健勝のことと…」  ためらいを隠して告げる言葉を汲み取り、王は頷く。 「無論。父君は奥の森にご隠居なさり、それはもう気侭に羽を伸ばしておいでだ」 「なによりでございます」  いや返答が早過ぎた、と、内心汗をかくハルカレンディアの考えなどお見通しだとでも言わんばかりに、ふふ、とまた王は笑う。 「余が父君を弑し奉ったとでも思うたか?」 「まさか、決してそのような」 「自明であるな。――多勢の指揮に向くと思い連隊長につけたそなたを、少数精鋭で向かうべき斥候に、それも兵の数を減らしてまで遣るとは、父君もよほどお疲れであったのだろう。いつまでもぬくぬくと王子の座に甘んじておった余の不孝であったと悔悟し、ご休養いただくよう進言したのだ」  まさか己の名が間に挟まれたことに驚く余裕もない。快く承知してくださった。と、にこやかに締めくくられる言葉に、はい、以外の言葉は次がず、問うてはならぬ何かを問うてしまった過ちが過ぎるのを待つ。  良いか?と、告げられる終わりに一も二もなく、はいと飛びつき。 「では聞こう」 「はい、……」  思わず、王の傍に控える近衛に向けてしまった刹那の目線が見落とされるはずもない。目配せひとつで人払いになる当の近衛から明確な白い目を向けられ、いらぬ禍根を残してしまった…と内心唸る。  ともあれ他に聞く者がなくなれば心安く、跪いたままで改め背筋を伸ばす。 「申し上げます」  境の森へと到る道中で起きたこと、その先にあったことを、包み隠さず、けれど己が胸の内までは私情と端折って、語り。  動じることなく頷きながら耳を傾ける王に、こうして舞い戻りました、と締めくくって再び頭を垂れる。 「なるほど、奇なる目に遭うたものよ。大義であった」 「もったいなく存じます」 「なれど、さすが戦場の奇術師と謳われた男よ。そなたでなければ、こうして生きては戻らなかったであろう」  思いがけず王の口から出た言葉に、額を押さえ赤面せざるを得ない。 「そっ、その名はお忘れください…。騎士らしからぬ汚い手を使うやつとの皮肉からのこと、どうかご容赦いただきたく…」  ふふ、と笑う吐息で返されて、弱り果てる心地で項垂れる。 「堅物どもめ。かの戦とて、とりたてて卑劣とは思わなんだがな。――さりとて、汚名など次の栄誉でそそげばそれで済むもの。そうであろう」  ぐっと、少し胸に詰まるような息を飲み、否を唱える代わりに黙して応じる。 「うん?」 「恐れながら、…――再び軍務には戻りませぬ」 「…なんと申した?」 「申し開きのしようもございません」  固く握る拳で床に身を支え、尚頭を下げる。 「たわけ。申し開きくらいせよ」  聞こえる嘆息に、隠すよう奥歯を噛み。 「……、はい。――二度と、以前と同じには部下の心をまとめられませぬゆえ。率いた兵を死なせ、偽りの文で国を欺き、争わせぬためとはいえ自軍に弓を引きました。長く軍を離れた上での不始末の訳柄、隠せば疑心を生み、明かせば嘲りを抱かずにはおれぬことでしょう」  少し長い沈黙が落ち、再びのため息にも、顔は上げず主君の言葉をただ待つ。 「言わんとするところは解らぬでもないな」  はい、と、むろん抗する言葉もなく。 「まったく、そなたら騎士のその悪癖はなんとかならぬのか」  思いがけぬ言葉に、思わず顔を上げて、不承めいて白むその顔を見つめ。 「鍛錬だ騎士道だ勇猛だと、誰よりも男臭いことと男が好きで、こそこそ致してまでおるくせに、騎士どもの男色嫌いときたら!」  その余りにあからさまな言いように、堪える間もなく噴き出してしまった口を咄嗟に押さえ。口許を拭って頭を垂れ、けれど、ようやく少し肩の力を抜く。 「…何より求める雄々しさから外れはせぬかと恐れますゆえ」 「矛盾もそこまでいけば病ぞ、まったく…」  王の、見上げるような威厳を持ちながら、相手の心を解いてしまうその様に、隠したままで頬を緩め。 「なにとぞ、若い騎士らにはそのように仰せになりませんよう」 「否、誰かが言うてやるべきであるな。良いことを申した」  忠言を名案だとでも言わんばかりの声音に、ええ…と口の中に隠すように密かに唸り。 「霊力を失うを恐れて森の深くに在ろうとする者はそのままで良い。だが、森から出たいと望む者に石を投げてはならぬ。許さぬ」 「っ、」  緩みのない声に変わる王の言葉に、従うようにまた顎を引き締め、はい、と、ただ頷く。 「今はまだ力及ばず、そなたを引き留められぬ余の非力、許せよ。ハルカレンディア」  奥歯を噛み締め、震える唇を堪える。肩を浮かせて息をつき、溢れそうになるものを飲み込み。 「もったいなきお言葉。此度のこと、全て私の失策。陛下の騎士であり続けられぬことこそ、お詫びする所存にて」 「まこと、深憂である」  やれやれとまた嘆息を零して肘掛けに寛ぐ王に、腹を括って力を籠める。 「――かように己の無様でお心を煩わせた上で、恐れながら」 「うん? 申してみよ」  はい、と低く応じて、顔を上げる。 「かの野盗の砦、捨て置けば民に害をなすもの。そのままにはしておけませぬ」 「ほう…?」  撓む深碧の瞳に、柳緑の瞳が力を籠め、頷いた。  騎馬のままで、隠された入口を掻い潜るように道を上りきり、ほんの数日ぶりだというのに懐かしさすら感じる砦の家々が見えれば、少し息をつく。  もちろん彼らのことだ、自分がここへ向かっていることにはとうに気づいていたのだろう、なんだなんだと遠巻きに見守られる中、馬から降り。  馬小屋を借りてもいいか?と、声を掛けながら勝手に砦の中を歩めば、距離を置かれることはなく、傍を通る者はためらわず己の名を口にする。 「……お前、エルフだったんだなあ」  甲冑はないが軍装のせいだろう、妙にしみじみと言うマイアーが以前に己に掛けた言葉を思い出し、少し声すら立てて笑ってしまう。 「実はそうだったんだ。――アギレオはいるだろうか?」 「呼びにやるまでもねえぜ」  よく響く、通りのいい声に振り返り。連れてこう、と手綱を預かってくれるマイアーに馬を引き渡し、そちらへと身を向ける。  不遜極まる様で腕組みし、斜めに軽く顎を上げてこちらを見下ろす、角を持つ男に、少し背を伸ばして向き合う。 「話がある」 「戻るなと言ったはずだ」 「お前が枷を外したのだ。既に私が従う道理はない」 「喧嘩売ってんのか?」 「いいや、まさか」  いっそ面白いほど硬化した態度を崩さぬアギレオに、息が抜けるように笑ってしまう。物言う代わりに片眉を跳ね上げる褐色の面に、引き締め直して頷き。 「使者として来たのだ」 「…あア?」 「私一人だ、捕らえて嬲りものにするにも以前より楽だろうが、得策ではないぞ」 「何言ってんだ…」  相手にしていられないとでも言い出しそうに目線すら逸れだすのに、隠して息をついて、腹に力を籠め直す。 「砦にも利のある話だ。頭領として聞いて欲しい」
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