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27、騎士と悪党
日が暮れてから目を覚ます獣人達と、一日終わりの食事を取る人間達が、ほとんど一堂に会する夜の食堂に顔を出した。
途中からすっかり食事の方に集中しているアギレオを後目に、昼と同じ説明を繰り返し。
「なるほど…。むしろ、難点をすぐに思いつかないのが怖いくらいだな…」
口許を覆って思案げに視線を動かすリーに頷く。
「最も大きいものは、単純に危険だろうな。谷のエルフには古くから我が国よりも魔術師が多いし、谷のエルフが現れない時でも、国境ともなれば、魔物が近付くことも国内としては抜きん出るはずだ」
ああ…と、頷いてその内容を検討するリーの後を継ぐよう、エールで食事を流し込むようにしながら、ナハトが首を捻る。
「俺ら獣人はどこでもそんなモンだがぁ、…魔物相手が増えるっつうと、砦の守りも手厚くしなけりゃ、ってぇのも出てくるなぁ」
「従う方が現実的ではあるわね。それよりも、報酬が払われるといっても…いつ、何をもって? 話を飲んだら"そちら"では稼げなくなるわ」
うん、と食事の手を休めて向き合ってくれるルーに目を合わせて相槌を打つ。
「この話に報酬を引き出せたのは、境の森に守備を置くことができれば、王都からそこまで度々出していた斥候を省けるからだ。守備が機能するまで払わないとは、いわせないようにするが、軍の遠征と守備の報酬両方を出すのは快く思わないと考えてくれていい」
それはそうね、と快諾ではないが得心してくれるルーの様子に、少し胸を緩め。
「早えに越したこたねえが、今まともな大工もいねえしなあ」
素人仕事じゃ限界がある、と渋い顔をするアギレオに、そもそも森を開くところから、と相槌を打つリーに、あら、とルーが声を上げ。
「野盗稼業をやめるのなら、国軍の傭兵隊として堂々と外から雇えるじゃない?」
そうでしょう?と首を傾げてみせるルーに、アギレオとリーが目を剥くようにして彼女を見つめる。
「さすがだな、ルー…!」
「冴えてる…さすがだ、ルー…。…そうか、俺たち野盗じゃなくなるのか…」
感慨深そうに言うリーを横目に、金ならあるぞ!と上げるアギレオの声を、半ば自棄だなと思わず笑ってしまう。
山犬組はここが元の縄張りで加わっていた事情から、ここに残る者があるかもしれないというナハトに、その取りまとめは頼めるだろうか、などと話を進め。
食堂を後にして、国に上げる報告をあれこれと考えながら進める足を、声を掛けられて止める。
「どこ行くんだ」
褐色の肌は夜闇に沈みがちに、こちらを見る瞳が少し際立って見える。
「ああ、水を浴びてから、……」
言いかけて、そうかと気がつく。アギレオの家に帰る理由は、もうない。
「浴びてから?」
「それから…」
二の句が継げない。
王に、頭領の女になったからなどと申し上げたのは、方便だ。お前の居場所はないと言われて心はそれを受け入れ、国に戻れば役立たずであるのも理解して。
それでも、生きていかなければと、ここに戻れないかと、考えるだけ考えて。けれど。
既に枷を外され虜囚ではなく、この男との約束は尽きたといえよう。
フ、と。途切れた言葉にアギレオが深く片頬を歪めるのを見て、眉が下がる。
「お前が嫌じゃねえなら、俺の家に来い。寝る場所もいるだろ」
じゃあな、と、返答も聞かずに踵を返す背を見送る。いつも煙突から煙を吐いている大きな建物、炭焼きの火で沸かす浴場へと向かうのだろう。
ふと、そこから視界に広がる景色に目をやる。
船長が山犬達と始め、築いて、アギレオが受け継いだ野盗の砦。峠の頂に隠された、家々。森と、森の獣たちの糧となった無数の命。
その場で片膝を着いて額に指を当て、敬意を込めて礼を捧げる。
立ち上がって自分も踵を返し、川へと向かった。
流れに足を入れ、手ですくう水を肌にかけて清める。
清浄な水がそそいでいく肌には、幾日も手を触れられておらず、何の痕跡も残っていないことは分かるのに。
務めと矜持と引き換えに持ち崩した身は、以前と同じものではない。
隅々まで手と指をやって、男に触れられるのに不安がなくなるよう拭うことも覚えた。腿から膝、その末の指先。あの手が無遠慮に触れるところはどこまでも隈なく。
つめたい水に洗がれ、頭も身体も心地よく冷えていく。
研ぎ澄まされて、なのに寄る辺ない。
身体を流し終え、行かなくては、と、背を伸ばした。
清めた肌の上にシャツだけで、上着を腕に携え。開き慣れた玄関扉の前で少し、立ち尽くす。頭は熱いのに指先が冷たくなるような、故なき緊張感。
話さなくては。何か、分からないが、と、息を吸い込む顔の横に影が過ぎり、バン!と扉が鳴って跳び上がりそうになる。
「なッ……」
何事だ、と振り返れば、扉に手を突き見下ろす褐色の顔。笑いを堪えているのが歪む口許で判る。
「あ、足音もしなかったぞ…」
「聞こえねえほどボーっとしてたのかよ」
開いてるぜ、と、取っ手に掛けられる手を、掴む。
「アギレオ」
「…なんだよ?」
逆側についた手が離されていなくて、取っ手を掴んでいる腕との間にまた閉じ込められているのに、少し笑う。身を捻るようにして、湯の匂いのする男の顔を見上げ。
けれど、胸につかえる思いに、視線は自然と下がってしまう。
「…すまない。お前は、お前の想いを伝えてくれたのに、……」
少し間を置いて、ああ、と短い声が返り。開くために取っ手に掛けられていた手が下ろされるのに、胸の内が少し跳ねる。
その手を離さず、掴んだままで落ちるのに連れられて自分の手も下がる。
息詰まる思いで胸が苦しい。
鬼にも鉱人にも外せない、もうひとつの枷。
「すまない…、…私は…。……私は、この思いを認めてしまっては、守れなかったもの達に…申し訳が立たない……」
沈黙が痛い。自分でも、あまりにも不合理なことを言っているなと、ため息が出る。
掴んでいた手を解かれ、逆の手も視界から消えて、顔を上げようと、
「うわッ」
荷でも担ぐように肩に担ぎ上げられ、目を剥く。
「なッ、アギレオ! おい!」
扉を開いて家の中に入り、器用に足で扉を閉じてそのまま奥へと文字通り運ばれる。下りようと身を捩っても、支えた腰を思いがけぬ腕力で固定されていて上手くいかない。
「……っ!」
寝台の上に放り出され、落とされたと同時に身を起こすのが、切り返すように手で口を覆われ再び引き倒されて。口を塞がれたまま、あまりの乱暴さに覆い被さる顔を睨み上げてしまう。
「構わねえぜ。俺は悪党だからな」
口から手を離され、眉を寄せてその顔を見上げ。
「なにが、」
「それがお前にあっちゃなんねえなら、なくていい。お前の言う通り、俺は根っからの悪党だからな、俺の勝手にするだけだ」
開いた口から、言葉が出ない。
「んっ」
唇が合わされ、口の中を舌で探られて眉間に力が入ってしまう。逃げようとする舌と弄ぶように絡みついてくる舌の攻防で息が浮く。
「んぅッ」
胸について押し退けようとする手を掴まれ、頭の上でシーツに縫い止められる。
顔を離せばやはり笑っているアギレオを睨みつけ。
「この、」
「ハル、」
「……」
今や聞き慣れた、詰めた名で呼ばれ、言葉がつかえる。
「ハルカレンディア。言い訳なら後で考えてやるよ」
「…っ、」
大人しくしろ、と。これも聞き慣れた言い回しに眉を下げ、力を抜く。
「…なにが言い訳だ……馬鹿者……」
抵抗をなくした手首が解放され、シャツの胸が開かれていくのに僅かに顔を背ける。晒される胸に触れる手の形は、目を向けていなくとも描けるように思うほどで。塗り広げるように掌を擦りつけられ、息が抜ける。
熱を持つ身体が覚束なくて、手を伸ばして彼の背を探る。衣服の切れ目を探して指で辿り、布地の下に這い込む掌で、なめし革のような背を逆さに撫で上げ。
「……、」
首筋に伝う唇に肌を吸い上げられ、息が零れて目を伏せる。
「ぅ、」
舌が鎖骨を這い、下から持ち上げるように胸を掴まれ、顎が浮く。
「お前、」
不意に落ちる声に呼ばれているのに気づいて伏せていた目を上げる。一瞬視線が彷徨い、こちらを見ている顔を遅れて見つけて。
「胸揉まれんの好きだな?」
「ッ!!」
顔に血が上る。いてて、と声を聞いて爪を立ててしまったのに気づいて、少し慌てて手を緩める。
「どこが気持ちいいんだ?」
素知らぬように問いが続くのに、困惑と羞恥から逃れたくて身を捩る。手を引いて再びアギレオの胸につき。
「…っ、…それ以上喋るな…」
口を塞いでやろうとした手を掴まれ、意外にも、見下ろしてくる顔がからかう風でもないのを見上げて眉間に力が入る。
「俺一人でやることじゃねえんだ、協力しろよ」
告げられた言葉に少し、目から鱗が落ちる思いで。けれど言葉が返せず、唇がうろつく。
よし、と、唐突な声ひとつで身を起こされ、うろたえる。バサバサと乱雑に衣服を脱ぎ捨てるアギレオに、背中から胡座に抱えるように抱かれて、身の置き場に困る。
「アギレオ、」
「たまにはお前の好きなようにしてやるよ」
告げられた言葉の意味するところを朧げに予感して、背を震わせた。
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