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2、虚ろの虜囚
世界から引き離されたような感覚がつきまとう。
暗闇の中、どうすればよかったかとずっと考えている。踏み止まって徹底的に交戦することに決めていれば、もっと確実に数を減らせたか、そうしたらあの鬼に集中攻撃を浴びせることができたのだろうか。
地に伏した部下の虚ろな目を思い出す。
突破隊と露払いを分けて、もっと隊を小さくまとめながら行けたか。
こちらの魔術師をもっと素早く守れれば、戦況はマシになっただろうか。
仰け反って馬から落ちる兵の姿を思い出す。
どの想定の先にも、全ての兵を薙ぎ倒して唯一人立っていた鬼が笑っている。その向こうに、わざわざ距離を取って打ち漏らしを確実に打つべく構える、顔の見えない魔術師が杖を掲げる。
重く頭を押さえつける敗北感を嘲笑うように飛び交う獣人達の影。
「…一体…何人いたんだ…」
ひどく掠れた声が耳に届いて、どろりと重い意識が浮上していく。
「30人ってところだな。おかげさんで10人も残らなかったが」
不思議な風のうなりを微かに孕むような、けれど低く落ち着いた声が応じて、掠れた声が自分のものだと気づく。
貼り付くような瞼を開いた視界に、何も見えないようにみえる。ザラリと音を立てて視界の端に動く物が近付いて、それが靴で、見ているものは足の着く場所で、切り出した石を組み合わせた床だと分かる。
負傷の痛みとは別に、全身が重く、痺れたように鈍い。手足がどこにあるのか、否、まだあるのかもよく分からない。
髪を掴んで顔を引き上げられ、頭と首と肩の場所が分かる。
「髪の短いエルフもいるんだな」
灰色の髪の男が覗き込む、瞳の色が琥珀だ。男がしゃがんでいるから、自分の位置が低いのが分かる。
「……今は…あまり、珍しくない…」
何度か言われたことがあるその疑問に、何度か答えたのと同じように返すと、髪が離され、顔を動かせるようになった。軋むような首を巡らせ自分の腕を探す。腕は左右に開かれ、手首に掛けられた手枷が、天井から下がる鎖で吊り下げられている。
「……」
身体を探そうと視線を下げて、すぐに顔を背ける。膝立ちの身に、布一枚すらも纏っていない。背けた視線で怠く部屋を見回す。少し高い位置に掲げられたランプの灯りは四隅まで届ききらないようだが、天井も壁も、床と同じ石組みであるらしい。
「…生かしておいて、どうする……何を聞きたい…」
「それだよな」
頷く声のついでのように立ち上がる男の顔を追って、目を上げる。見下ろしてくる琥珀の瞳に、表情は読み取れない。
「話し合ってみたんだが、エルフから得たい情報がなくてな。残念ながら」
予想がつかない言葉の先を待って、ただ見つめて返す。
「時々あることだが、ここは今、女の数が足りなてない。男ばかりだからどうということもないんだが、まあ。若いモンの血気抜きには丁度いいだろうとの決定だ」
重く瞬く。目の周りがガサガサして、違和感が鬱陶しい。
「……嬲り殺しか……悪趣味だな…」
重い瞼を、そのまま伏せる。暴力への恐怖がないわけではないが。すでにこの痛みと重さに加えて、意識は半ば霞がかっている。どのくらいで死ぬだろうかと、ぼんやり考え。
「…殺してやった方が親切だったかもしれんな。それでもまあ、お前らがずいぶん減らしてくれたからな、多少はマシだと思え」
辛い身体を倒れ込むこともできないままで項垂れる。確かに、同じ死ぬなら一刀の許に伏せられる方が楽だったかもしれない。
話は終わったとばかりに去っていく足音を耳で追いながら、腹の内で息を抜く。どうやら階段を上っていったらしい足音と入れ替わりに、少なくとも二枚以上の扉を開け閉めして、複数の足音が降りてこようとしているのが聞こえた。
滑車で引き上げ、立ち上がらせるために短くされた鎖が鳴るほど、身体の震えが止まらない。
「ブロンドの美形だったら女みたいでいいかと思ったんだが」
癖のある黒い髪を掴み下ろして顔を上げさせる男へと据えられた、ハルカレンディアの柳緑色の瞳は、けれど、男を見ていないどころか焦点を結んでいるかも怪しい。
別の男が、全身の震えとともに止まらない、唇のわななきを拭うように擦って笑う。
「かわいいじゃねえか、震えちまって」
まあ、と、また別の男が下卑た笑いを浮かべて胸の脇をいたずらに抓るのに、エルフ特有の骨の細い身体がビクリと跳ねる。
「滅多にはない体験だよなあ」
今度はピシャリと尻を叩いたのが、どの男の手なのか、もう判らない。尻からまだ僅かに伝い落ちている、いくつかの水筋が生ぬるいのに怖気がふるう。
他者に腹の中を洗われるなどという、生きてきて想像だにしたことのない恥辱と悲惨に、物思うに慣れたはずの頭にすら何一つ浮かばない。
「ヒッ…!」
ほとんど音に近い引きつった声が己の口から漏れたものだという不思議な驚きと、もう、その感触が何か理解ができる不快に、混乱を掻き分けるような抵抗を掻き集め、後ろに蹴り上げようとする足。だが別の男に留められ、抱えられてバランスを崩す。ガシャンと大袈裟に鳴る鎖で縫い止められ、もがく。
尻の穴に押し込まれた指を無造作に掻き回され、嫌悪と違和感で胃が引きつる。
「…やめ、…嫌だ…いや…嫌…嫌だ…」
身体が重くて思うように動かない。掠れた声はまだ戻らず、ろくに声すら上げられない。
灰色の髪の男が言い残した言葉が、頭に浮かんで繰り返して巡る。
殺してくれた方が親切だったに違いない。
「入るもんかあ? すげー狭いぞ」
脚の間で有り得なく二本の指に広げられるそこを、どこにどう力を入れれば抵抗できるのか分からない。
「広げてから入れろってさ」
嫌だ、嫌だ、と、繰り返すのをやめられなくなった声が男達に届かないらしいのと同じで、彼らの話す言葉の意味が解らない。
何を、どう。
否、解っているのに、考えたくなくて、理解が出来ない。
「おい、鎖下ろせよ、位置が高えーよ」
「お前がチビなんだよ」
「うるせーよ」
「這わせろ這わせろ」
鎖が撓んで地面に下ろされ、反射のように這って逃れようとするのを即座に押さえつけられる、明らかに嫌な感触の肋骨よりも、振り払う力が入らないことに違和感がある。手枷が、見た目よりも異常に重い。
「…ッ!!」
声を殺して喉の奥にすら押し込め、呻きを殺す。
あらぬ場所にねじ込まれる有り得ない大きさの、おぞましく、確かな肉の感触。引きつれた悲鳴を上げそうなのを堪える喉に胃液が逆流して、ビシャと床にぶち撒ける。
男達の笑う声に煽られる屈辱よりも、その中に混じって聞こえ始める、喜悦を孕んだ獣めく吐息に総毛立つ。
床に押さえつけられ地を這う姿勢から、要るのはそこだけだとばかりに吊り上げられた尻の後ろで、息を喘がせる男が自分の尻の穴にペニスを押し込んで快感を得ているという現実に、慄然とする意識より強く、身体の震えはまだ止まらない。
浅い場所の消えぬ痛みに慣れるのか、それとも押し消してしまうのかというほど、そこに出入りを繰り返す大きさの、受け入れがたい違和感が欠片も弱まらず息が詰まる。
苦しいと、口にするのも耐えがたく、奥歯を食い締める。呻きを殺し悲鳴を堪え、息を詰める口から、腹の中にじわりと滲み広がる他者の体温の理由に気づいて、再び胃液を吐き散らした。
どのくらい時間が経ったのか判らない。
冷たい床に不快な汚れがそこら中撒き散らされていても、そこに放り出されているのが、最も安寧だと感じる。自分の目で形すら確かめることのできない何かを尻に嵌めたままにされていても、動物のように無造作に出し入れされるだけの生々しい肉棒よりも遙かに穏やかだ。
うつろに目を開いて、代わり映えのしない石牢を眺めながら、薄まることのない重怠さの奥で、けれど身体を休めてさえいれば僅かずつ回復する体力に、意識を向ける。
何というほどのことも考えられない。けれど。まずは身体を、少しでも戻さなければと、いつものような振りをしたがる思考に縋って、目を閉じる。
手を伸ばし、届かぬかと思ったのに反して、指が掛かる。覆い被さる男の喉をとらえるほどの力が戻ったかと、半ば自棄のように、一人くらい殺してやろうと指に込める力がけれど、ろくに入らない。
出ぬ力を振り絞るように抵抗する度、しこたま殴られ、いやというほど犯され、また当たり前のように転がされ。鎖を繋ぎもしない足枷が増やされて、ようやくその仕組みに見当がつく。見た目の割に、手枷も足枷も重すぎ、そこから力が抜けていくような感覚がある。
何か、呪具か魔具の類なのかと、悟るのが遅すぎたのだと気づくに至って、後悔よりも深い、どろりと重い諦念に己を閉じる。
大人しくなったのに味を占めたのか、何度か後に男達がやってきた際に首枷を増やされた途端、呼吸すら薄くなった。
もう身を起こすこともできず、投げ出した身体を丸めることも出来ずに、ただ、喘いでも薄くしか出入りしない息に溺れる。苦しくて、震える手で時折喉と胸を掻き毟り、力尽きて意識を失う。苦しくて目が覚め、その繰り返しに次第に己を失っていく。
もはや犯されても感覚のないことをありがたいと思ってやろうと考えるのに、胸苦しさがすべてを塗り潰してしまう。
引きずられ、頬を張られても、息の薄れるつらさに届かず、全てが些細な刺激でしかない。
「おーまーえーらー」
不意に、朦朧とする脳を刺すような声に、重い瞼を上げて目玉だけを動かす。今、犯されていたか放り出されていたかも思い出せない。
「なんでも道具は大事に使えってんだろうが、いつもよ」
不思議な声だ、と、声の主を見上げる。鬼、と、記憶がその呼び名を呟かせるが、声を出すほどの息がない。
「生きてっか、エルフの大将」
いい格好になったじゃねえか、と、笑いながら手が伸びてくる。ようやく殺されるのかと、一分の迷いもなく安堵する心地で身を投げ出しながら、気づく。
もう一度目を上げて、己の首に手を掛ける、角を持つ男の顔を眺めて鈍く瞬く。
闇を裂いて光差すよう、鬼の声は明るいのだ。
「ッ!? うッ、げえッ、っほッ」
突然肺が膨らんだような感覚がして、しこたま咽せる。息が捩れて苦しいほど咳き込むのが、けれど目が覚めるほど新鮮に感じる。枷を外された首に触れてみて、重いのは変わらぬながら、手を持ち上げられたことに驚く。
「あーあーあー。もうーきッたねえなあ、ここ。おい、水持って来い、お前らで運べるだけ運んでこいよ」
掻き上げるように髪を掴まれ、顔を覗き込んでくる鬼の面を少しぼんやりと見つめる。
「すげえ汚え」
それはそれは汚れているだろうなと、笑う声を聞きながら、辺りを見回す。代わり映えしない石牢の四角い内側が、久々にはっきりと見える。
ぽかんとしたような心地で、鬼が立ち上がるのを目で追い、振り返る視線の先に、さすがに顔も覚えた男達が二人がかりの大瓶や、大盥をそれぞれに運んでくるのを見守る。
「床と壁流せ。これじゃ足りねえわ、流したらまた汲んでこい」
はーい、と、聞いている方の気が抜けるような返事をして、男達が水を撒き始めるのを呆気に取られて見つめ。ふと、影が差して見上げる先に、男二人で運んでいた大瓶を鬼が一人で抱えているのに目を瞠る。
「エルフなんて水ぶっかけときゃ勝手にキレイになんだからよ。もうちょっと大事に使えお前ら。すーぐ何でもブッ壊しやがって」
声と共に傾けられる瓶から降ってくる水に目を閉じて、息を吸い込み少し止める。思いがけず清浄な水を頭から浴びせられ、言葉通り胸が躍る。身体の隅々まで潤っていく感覚に、怠い身を起こして、注がれる水の下に入り込む。外の匂いがして、自然と口許が緩んだ。
水が途切れ、ゴンと重い音がして目を開く。身体が少し潤って戻る感覚に、手枷足枷の重みが軽くはならないことを理解して、少なからず落胆する。
瓶を置いてしゃがみ込む鬼の顔を追う目線が、無理のない高さになって、瞬く。
「すげえ嬉しそうだな。気持ち良かったか」
頷いて、そのまま落とした目線で、少し迷う口を、けれど開く。
「…ありがとう」
相変わらず掠れる声に、ぶほ、と、間髪入れず噴き出して笑われ、ため息をつく。相応しくないだろうと、思いはしたが。
「バカなのか、お前」
返す言葉もなく、答えず顔を背ける。けれどふと、久々にもやの晴れたような意識に気に掛かって、また鬼の顔に目を戻す。
「…何日経った……?」
うん?と、首を捻るのを見て、あれから、と言い足し。鬼の返答を待つ。
命がまだあるのなら、為さねばならないことがある。
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