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30、この奇妙なる虜
おおよその目算通り、ひと月ほどして境の森を訪れてみれば、既に森の一部を開き終わっているのに驚く。地ならしをしながら、土地の中央には大きめの建物さえ建ち始めている。行き交う人足や職人の数も想像していたより多く、思いがけぬ大胆な動きに素直に感嘆しながら、槌や斧の音の響く地を騎馬のまま歩いて回る。
長い丸太一本を当たり前のように一人で肩に担ぐ長身を見つけて、馬を降り、足早にそちらへと歩みを向けていく。
「アギレオ」
ン?と、振り返ろうとするのが肩に担いだ樹の太さに遮られ、こちらの方で木をくぐって顔を合わせにやる。
「おう、お前か。王都の仕事は済んだかよ」
薄い地響きすらさせ丸太を地に下ろして立てる仕草に、最早驚くのを通り越してその剛力に呆れる。
「ああ。正式に、境の森守衛地に配属になった」
「へえー。クビになったのかと思ってたぜ」
よかったな?と眉を上げられ、頷きながらも苦笑いしてしまう。
「そうだな。軍属も身分も返上しようと思っていたのだが。騎士の称号を戴いた際に、命ある限り国を守ると誓ったはずだと、叱られてしまった」
「それはそれは。お大変なこったな」
うへ、などと声を添えて舌を出すおどけた様に、頬を緩める。
「名誉なことだ。――それより、お前がここにいるとは思わなかった。砦の方はいいのか?」
ああ、とアギレオが頷き、辺りをぐるりと見回すのに、つられるようにして、土地が成り始めている周囲を見渡す。行き交う者達の多くは、雇われたのだろう見知らぬ顔ばかりだが、よく注意してみれば、砦の顔ぶれもいくらか混じっている。
「誰か、特に俺がいた方が木こりも大工も手が抜きにくいのさ。こっちから手ェ割きゃ、その分雇い賃も浮くしな」
なるほど、と素直に感心し。ながら、首を捻る。
「だが、忙しいのではないか? 以前も、家にいる間もないほどだったようだが」
あン?と、こちらの意図するところが分からないとでもいうよう、跳ね上がる片眉に、首を捻らざるを得ない。それから、ああ~、と声を垂らしながらふいに片側の口角が深く上がるのに、眉を上げ。
「そッりゃお前、あん時ゃ戦利品さばくのに大忙しだったからな」
「……」
短い間意味を考え、盗品の売買に手を取られていたという話だと理解が及べば、額を押さえざるを得ない。他にも空き家の整理や財産の分配について説明してくれているのを、浅い頷きだけでやれやれと聞き流し。
けれど、それでふと思い出して、顔を上げる。
「先日の"掃除"の成果もあっただろう。そちらはもう…どちらにしても済ませたということか」
ひと月も経っていれば当然か、と独り合点するところを、いいやと返され、アギレオの顔を瞬いて見る。
「ありゃ出所辿られたとこで、拾ったモンだからな。一気に売っ払っちまって終わりだよ。残念ながら、大した量でもなかったしな」
なるほど、戦場漁りなら後手ではそれほどの稼ぎにならないのか、と。考えるのが、染まりかけているな、と己に気づいて少し眉間を揉む。
顔を上げ、他にはと次ごうとする言葉を遮る大きな声に振り返るのが、アギレオと同時になる。
「お頭ァ!! エルフだッ! エルフが来る!!」
地を滑るように駆けてくる、しなやかな体つきの男に思わず目を瞠る。
「リュー」
「…あアン? …エルフはもういいぜ……」
げんなりといわんばかりに肩を下げて息をつくアギレオに、失礼なやつだと眉をひそめる。
「なんか! なんかな! すげーやつ! すげーキラッキラしたやつ!! キラキラエルフ!!」
けれど、息を切らすようにそう続けるリューの声に、背筋に芯が一本通る心地で辺りを見回し、すぐに方角を定めて駆け出す。
「…あン?」
弾かれるように走り出し、見える程度ながらずいぶん離れて、まだ開かれておらず繁る木々が塞ぐ森の前へと、ハルカレンディアがそのまま跪くのを、アギレオは怪訝に見守る。
何もない場所に突然膝を着いたと見えるハルカレンディアの斜め前方に、密集する木々の間をどうやってそう抜けるのか、リューが知らせた通りのものが当たり前のような顔をして現れ、口が開く。
「おいおいおい…なんだありゃ…」
たてがみのあるべき場所に花をつけた蔓が茂って垂れ下がり、脚には緑の木の根が巻きついた、馬といえば馬に見えるものの背に、鞍もつけずにまたがる金の髪のエルフは、ひとりでに陽の光を集めては零すかのよう、遠目にも確かにきらきらと輝いてみえる。
悠然たる歩みとはいえ、騎馬のそれに従う黄金の甲冑のエルフ達が十人ばかり、繋がれてでもいるかに一糸乱れず、徒歩のままで馬に遅れず付き従っているのすら恐ろしげに見え。
「げえ…ッ」
その輝かしいエルフが、跪いたハルカレンディアにひとつ頷いただけでこちらへと馬を進めているのに気づき、アギレオは思わず声を上げた。
やや間を置いて馬から降り、間違いなく自分へと歩みを向けている輝かしいエルフの姿に、丸太を放り出して腕組みし、けれどアギレオの表情は不遜というにはやや落ち着きがない。
言葉を交わすのに不自由のないほどの距離までエルフが近付くよりも一歩早く、観念したようなため息をひとつついてから、片膝を地について頭を垂れる。
「お頭がひざまずいた…!?」「あのお頭が…!」と、砦の面々が遠巻きに声を潜めて囁くのが耳に入るか、下げたままの額の下でもうひとつ息が零れる。
向き合いの距離に到り、輝かしいエルフは足を止めると、ためらうことなく胸に手を当てアギレオに向けて浅く額を下げ。再び上がる顔に、微笑を浮かべた。
「そなたが砦の主アギレオか。構わぬ、楽にしてくれ」
「どーも…」
言葉少なに立ち上がるアギレオを通り越すよう、その向こうでぎこちなく身を屈めたり肩を縮める人足達に向けても、エルフは笑みを湛えたままで声を掛ける。
「皆も。どうか構わず続けてくれ。邪魔をしては余が叱られてしまうであろう」
場を和ませるためであっただろう言葉に、へえ。じゃあどうも…などとモソモソ答え、残念ながら誰ひとり笑うこともない。おずおずとまた作業へと戻る彼らに、しかしエルフは一切構わず再びアギレオに目を戻す。
「任じておきながら訪いが遅れた無礼を詫びねばな。余は、クリッペンヴァルトの王を務める者だ。名をラウレオルンという」
「だろうな……」
「存じてもらえているとは光栄である。ひとつふたつ要があり足を運んだのだ、邪魔立てせぬゆえ、しばし見逃してくれ」
ご随意に、と最早静かに返すばかりのアギレオに、エルフの王はニコリと柔らかに笑みを浮かべる。
「出会い頭に不躾とは知れども、ぜひ伝えておかねばならぬ。アギレオよ」
ン?と、まともに目を上げて王の顔を見るアギレオを相手に、非の打ち所のない笑みは崩れない。
「ハルカレンディアは、よく尽くすであろう」
一瞬ギクリと肩と顎を強張らせてから、王を離れてその向こうへとやるアギレオの目は、後方に整列したままの護衛らしきエルフの一人と言葉を交わしているハルカレンディアを見る。
「うーん。まあ、いつも何かしら仕事してっかもな、言われてみりゃ」
返答に、さもありなんと言わんばかりにゆったりと頷き、王は尚一層笑みを深める。
「エルフの例に違わずとはいえ、あれは実直な男。幼き頃より、よくよく目にも手にもかけて育てた」
柔和に話し始めた王の表情と声から、けれど一挙に笑みが失せる。
「――それを、不善に捕らえるに飽き足らず、その上また放り出すとした暴虐、二度目はないと心得よ。全てのエルフがあれのように公平とはゆかぬぞ」
何の色すら乗せず冷然と告げられる戒告に、凍りついたようアギレオは動きを止める。
「…………ハイ…」
「承知してもらえたようで幸いである。――此度、境の森の守備を引き請けてくれたこと、感謝する。容易いことばかりではなかろうが、そなたらの活躍を祈念しよう」
途端に和らげてみせる声に、無論強張りは解けない。
「…任せとけ……」
ようよう溜飲が下がった。邪魔したな。と、再び笑みを浮かべ、胸に手を置いて下がる黄金の髪に、額を押さえアギレオも顎を引く。あるいは項垂れただけであったとしても。
アギレオと話し終えたとみえ、再びこちらへと足を向ける王に、近衛のエルフ達は背を伸ばし直し、ハルカレンディアは跪いて迎える。
「長居をしてすまぬな。直に済む」
これへ、と命じられ、近衛の一人が隙のない挙動で馬から荷を下ろし、跪いて王の前へと携える。
うむ、と頷いて、蓋を開かせる箱から布袋を二つ取り。いくつも並ぶ同じような袋が次には近衛達へと配られ、エルフ達が速やかに森へと散っていく。
同じように一つの袋を授けられ、次の命を待ってハルカレンディアは王の顔を見上げた。
「奥の森より土を持って参ったのだ。この若い森がいずれ力をつけ、王都の森と通ずれば、ここはまさしく王都と地続きになろう」
「御手ずから…!」
目を瞠り、深々と頭を垂れるハルカレンディアに、ふふ、と王は眦を和らげる。早速と、袋の口を開いてそこへはらはらと土を撒く王の指は、汚れることすらない。
「ハルカレンディア」
己も取り掛かろうと立ち上がり、近衛が向かわなかった方角を探そうと巡らせかけた首を、名を呼ばれて再び戻す。
「はい」
「そなたを捕らえた砦の頭領とやら、なるほど強かそうな面構えよの」
ひとつふたつ瞬き、ほんの少し、素直に苦く笑って目を伏せる。
「思いがけず堅牢な砦、手を焼きました」
吐息で笑う王に先を促されていると悟り、胸を緩めて視線を投げる。再び丸太を担ぎ直し、首など回しながらまた作業へと戻っているアギレオの背を目で追いながら、双眸を眇め。
「あれに、自分の女になれば救ってやると言われ、浅ましくも一人おめおめと生き残りました」
頬笑もうとしてし損じ、目を伏せる。隠すようにひそめて、震える息を細く吐き。
「なるほどのう。――よう生きた。褒めてつかわす」
「…ッ、…ハッ」
恐れ入りますと、返すべき言葉が咄嗟に喉に詰まり、短い応に継ぎ足すように跪いて頭を垂れる。
「余は、親を失ったお前を死なせぬために引き受け、生かすために育てたのだ。自ら生きるほどの孝行があろうか。…よう生きたな、ハルカレンディア」
唇が、震える。
「……っ、もったいなく、」
こらえようと唇を噛み、慄きを見せまいと身に力を籠める。
「他は些末なことである。まずは生きよ」
無理にするように息を飲み、頭を垂れたままの頷きに「はい」となんとか声を添える。
「さりとて。王都を離れようとも、誰が忘れようとも、お前は騎士だ。その命ある限り、森と森を支える者達、国と民とを守るが良い」
「我が身に替えましても」
拳まで地に着き、深く礼を捧げ。
上げぬままの視界に、王の衣が地に触れて波を打つのが見え。身を下げさせているのだと、恐れ多さに取り繕おうとするも、けれど、続いて聞こえた声の柔い色に、声を発しそびれる。
「…あまり悔やむでない」
「っ、…ッ、……はい…」
上げられぬ頭に触れたのが指だと気づき、顔に血が上るのが分かる。幼い頃のようにその手に撫でられることが気恥ずかしく、何よりも身に余る。
けれど。
「……っ、……ふ…ッ」
みるみる目頭が熱くなるのを止めることができず、歯を食い縛り喉に堪えようとする嗚咽が、よじれて息に混じる。
「よう耐えたな、ハルカレンディア」
グ、ゥ、と、醜く漏れる呻きをなんとか一息にとどめて押し殺しても、言葉にならぬ思いが溢れそうになるのを、震える身が煽る。
止められぬと諦め、僅かに肩の力を緩めれば、後から後から涙が溢れて落ち、堪える喉の奥で込み上げる嗚咽を、捩れる息に紛れさせて音にせぬよう零す。
ああ、傷ついたのだ。と、己を知る。
誇りを折られ、これまで生きてきた己を砕かれ、散々に弄ばれ、ねじ伏せられて地を這わさせられた。
誓いと引き換えに貞節を売り払った己に、失望もした。
屈してなどやるものかと、向こう意地で生きていたのかもしれない。
ひどく惨めで、あまりにも下らない。
それでも。
――それでも。
「……申し訳ございませぬ。無様な姿をお見せいたしました」
いくらでも待つよう、髪を撫で続けられていることがいっそ、痛ましい。収まってきた動揺に、掠れる声で詫びて尚深く頭を下げる。
「いつ以来であろうな。もうしばし撫でさせてもよいだろうに」
「ご容赦を」
たわむれておられるのだと分かる、柔くも軽やかな声音に、笑う声で応じて。ひどい様を見せぬように、深く頭を垂れたままで確と拭い。上がる裾を目で追うよう、跪いたままで顔を上げる。
与えられる笑みに返す笑みは、まだ少し苦いが。
「そなたがどこに離れようと、余がどこにあろうと、親としてそなたへ祝福を与え続けよう」
「――心より、ありがたく存じます」
達者でな。陛下も。と、短く交わし、その高貴な頭を再び人足達にも浅く下げられるのを感嘆の息をつきながら見守って。再び馬へと戻り、近衛達を伴い森を抜けて失せていく背を、本当に見えなくなってしまうまで見送る。
あふれた涙に溶けて失せてしまったように、知らず鉛を抱え続けてきたような胸が、ひどく軽い。
息をついてから踵を返して、複雑そうな顔で、同じように王の消えた方向をうっそりと眺めているアギレオの許へと歩みを向ける。
「…ひでえツラだな、おい」
開口一番それか。と、だがもっともな言葉に笑ってしまう。
「この森がいずれ王都と地続きになり、精霊の守護はかばかしくなるようにと、王都の深き地より土を持ってきてくださったそうだ」
「へえー。なんかめでたくなんのか、それって」
そうだ、と頷きながら、預かった袋を掲げてみせる。
「すぐにとはいかぬだろうし、ここをいかによく守るかにかかっているがな」
なるほどねえ、と、しっくりはきていない顔で首を傾げているのに、手を出されて袋を渡してやる。ためつすがめつしてから、やはり首を傾げてそれを戻され、思わず表情を崩してしまう。
「なあ、アギレオ」
うン?と、戻してもまだ土の袋を見ていた目が上がるのを、正面から見つめて。
「私自身、奇妙に思うほど、――私は今も、お前の虜だ」
開く口から言葉の出ぬまま、みるみる瞠られる目を見て。頷く。
「私はお前が好きだ、アギレオ」
何か言いかけてまだ声に詰まる顔を見ている内に、言い様もなく深い羞恥が湧いてきて。いただいた土を森に撒いてくる。と、踵を返し、背を向け足早にアギレオから離れて歩き出す。
「ッ、――ハルッ、――ハルカレンディア!」
いくらも距離が離れてから、名を呼ぶ声に足を止め。急くような足音が近付いてくるのを耳で聞く。
己勝手にこの身を陥れ、一度は放り出し。けれど今も捕らえて離さない悪党が、今はどんな顔をしているのか見てやろうと、振り返る。
我知らず浮かべている頬笑みが、それだけで面映ゆい。
(完)
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