0人が本棚に入れています
本棚に追加
兵助は、三歳になったばかりの男の子です。ようやくオムツも外れたところで、まだお漏らしをしてトイレに間に合わないこともありましたが、紙のオムツを卒業したお兄さんでありました。
そんな兵助は、二階建ての一軒家に、お父さんとお母さんと三人で暮らしていました。
ある日、兵助は家族で隠れん坊をしました。家捜し名人のお母さんが鬼になり、兵助は押し入れの中に隠れました。すると、その時に押し入れの奥底で、古い電子ピアノを見付けたのです。それが、兵助とピアノとの出会いでありました。
ピアノが気になった兵助は、すぐに電子ピアノを押し入れの奥から引っ張り出しました。埃こりをかぶってはおりましたが、見た目に壊れているところはありません。ですが、試しにいくつか鍵盤を叩いてみましたが、音は出ませんでした。それもそのはずで、ピアノに繋ぐ電気アダプターがどこかへいってしまって、ピアノに電気を供給することが出来なくなっていたのです。コンセントに差すことが出来ないので電気は通らず、このピアノは何時まで経っても音が出ない、音のないピアノであったのです。
そんなピアノではありましたが、兵助は珍しがってガシャガシャと夢中で鍵盤を指で叩いて遊んだものです。勿論、ピアノから音は流れませんでしたが、それでも鍵盤を叩く音がコトコト、トコトコと申し訳程度に音を鳴らしたのです。
ご両親は、夢中でピアノを弾く兵助の指捌きを見て、大変に感心しました。まるで、どこぞやのピアニストが舞台で演奏をしているかのような、そんな滑らかな動きで、兵助は指を鍵盤の上を這わせていました。おまけにピアノを弾いている時の兵助の顔付きもまた勇ましいものでした。目を瞑って口もキュッと噤んで一心不乱にピアノを弾き続けたものでありますから、まるで誰かが兵助の身体に乗り移っているかのようにも思われました。
「これは恐らく、素晴らしい才能だ!」
両親は大変に喜んで、そんな兵助のピアノの才能を世の中に広めようとしたのです。自宅の居間に特設ステージを作って、コンサートを開きました。ご近所さんや学校の先生、兵助のクラスメイトなんぞも招かれて、コンサート会場はお客さんで満員になりました。そんなみんなに見守られながら、兵助のコンサートが始まったのです。
兵助は舞台の袖からみんなの前に出てくるなり、こんなことを言いました。
「大したものではありませんから、どうか温かい目で、見守ってやって下さい」
観客に向かってお辞儀を一つしてから、兵助はピアノに向かいました。
兵助が鍵盤に指を滑らせると、みんなはすぐにオヤと思って首を傾げました。何たって、ピアノからは一切何の音も聴こえてはこないからでありました。
それにも関わらず、客席で聴いていた兵助のご両親は、感動して涙を流しながら拍手を贈っておりましたし、他の聴衆たちからも取り分け異論が唱えられることもありませんでしたので、みんなはそう言うものかと思ったようでありました。その為、音のないコンサートは滞りなく進んでいきました。
やがて演奏も佳境に入ると、兵助の指捌きも一層激しさを増しました。熱心に夢中で鍵盤を操っていたので、兵助の額からも大粒の汗が流れたものであります。
最後に兵助は、両手で鍵盤を強く叩きました。兵助が身動ぎ一つしなくなったので、それが演奏の終わりの合図とも取れました。
会場全体がシーンとなって誰も身動ぎもせしなかったので、まるで時が止まったかのようでありました。
そんな中で、初めに動いたのは兵助の両親でありました。席を立ち、大きな声で歓声を贈って拍手をしたのでした。それにつられて何人かが拍手をすると、何時しか会場の誰しもが兵助に対して拍手を贈るようになりました。
兵助は、椅子から立ち上がると、みんなの方を向いて、お辞儀をしてからお礼を言いました。
こうして、兵助の初コンサートは、大盛況で幕を閉じたのであります。
「いやいや、とても素晴らしい演奏だったね」
真っ先に担任の先生が兵助のところへやって来て、肩を叩きながら兵助の演奏を賞賛しました。初めに先生にそんな風に言われたものですから、兵助の同級生たちも「とてもいい演奏だったね」とみんな口々に言う他なかったのであります。
そんな兵助のコンサートの噂は、すぐにマスコミの関係者の耳にも入りました。報道陣が何台ものカメラを携えて、兵助のところへ取材にやって来たほどであります。
「是非とも、その素晴らしい演奏とやらを中継させて頂きたいものなのですが……」
「ええ、ええ。良いですとも。あの子の演奏は全国のみなさんにもお届けしたいものでありますから」
両親は、報道陣からの提案に頷いて、すぐに放送の段取りを決めました。
兵助のコンサートの当日には、国営放送・新聞各社、インターネットの動画主などが、こぞって兵助の演奏を聴きに、駆け付けたものです。みんながみんな、カメラを構えて『LIVE』で全世界に兵助の演奏を届けることになりました。
予定していた時間になると兵助が舞台の袖から現れて、みんなに向かって丁寧にお辞儀をしました。
観客たちは、集中して舞台の兵助に目を向けました。マイクを向けて録音する人や、三脚に乗せたカメラを押さえる人などおりましたが、それぞれの仕事をしながら演奏に耳を傾けたのです。
兵助がピアノの前に座ると、いよいよ演奏が始まり、彼は鍵盤を指で押しました。ところが案の定、ピアノからは何の音も出ませんでした。
誰しもがオヤと思いました。ですが、全国に生中継されている演奏を、わざわざ進んで止めようとする者などおりませんでした。また、兵助が平然とピアノを弾いているものですから、みんなはそれで誤りがないようにも思えたのでありました。
ジャカジャカ、ジャンジャン。
ジャカジャカ、ジャンジャン。
鍵盤の擦れる小さな音だけが、舞台会場のリビングに響き続けました。今回も演奏は終わりまでいき、最後には兵助が両手で鍵盤を叩きました。それが終わりの合図だということは、誰の目にも明らかでした。だってそれからしばらくは、兵助がピクリとも動かなくなったのでありますから。
兵助の両親は満足した様子で、報道陣に「どうでしたか?」と尋ねて感想を聞きました。某番組の人気アナウンサーが「素敵な演奏でしたね」と答えて兵助の演奏を讃えたものですから、報道陣からは次々に賞賛の拍手が巻き起こりました。
ですが、勿論、会場に居た誰の耳にも、兵助の演奏の音など届いてはいないのでありました。
しかし、そうとも知らない視聴者は、マスコミの報道に対して、かなり腹を立てたものであります。だって、肝心のその『素晴らしい演奏』とやらの音が、一音足りとも番組で流れてこなかったのでありますから、それは無理のないことでありました。
それから番組を放送したマスコミの会社には、電話がひっきりなしに掛かってきて、次々に視聴者からのクレームが問い合わせられました。あっちの電話もこっちの電話も、色々なところで色々な着信音が鳴り響きました。それはまるで、電話の着信音で奏でられた演奏のようにも聴こえました。
報道局長さんは、そんな社内の様子を見ながら「なるほど」と思いました。
「兵助少年の演奏というのは、直接的に音を奏でるものではない。彼が演奏したことによって、こうして新しい音楽が生み出された。それが彼の、音のない演奏の正体だったんだろうな」と偉く感心したものでありました。
ですから、兵助の演奏は、今後も大いに人々の心を惹き付けたのでありました。
最初のコメントを投稿しよう!