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第3話 拍手と喝采のかわりに
実はメインイベントはこれからだった。
これで自分も最低三代語り継がれる伝説を作ってしまうとファビエンヌはげんなりする。
そんな自分を心の中で叱咤激励して、ファビエンヌは夜会の主催者のように群衆に話しかけた。
「今後この婚約に関しての多くの噂を皆様は耳にされるでしょう。わたくしは当事者の一人として、真偽が交錯して混乱を招くのを防がなくてはなりません。したがいまして、これより口外して差し支えない範囲で今後の予測を交えながら真実をお話したいと思います」
ファビエンヌは話しながら、ちらりと回廊の一点を見る。
見物人に混じっているファビエンヌの従弟の第三王子ジョルジュは黙っているよう合図したせいか仏頂面だったが制止する気配はない。話しても問題ないという認識でいいだろうとファビエンヌは続ける。
「皆様ご存知のとおり、今の王族には未婚の王女は一人もおらず、他国との関係強化の為の婚姻が結べません。王妹を母に持つわたくしは、国同士の政略結婚が必要になった場合の備えとして四年前まで婚約者を持たされずにいました」
上位貴族の令嬢は早い者で生まれる前から婚約者が決まっていて、多くは八歳以下で大抵決まる。公爵家の令嬢が十三歳まで婚約者が居ないのは普通のことではなかった。
「わたくしたちがまだ子供だった五年前。派閥争いが激化して死人が出て、幾つか家が取り潰しになりました。王家は内乱に発展するのを恐れて対立する二つの派閥へ関係改善を命じました。その結果、派閥首領の娘であるわたくしと、その対立派閥に所属していたバイエ家のマティアス様の婚約は成りました。当時、対立派閥の中で、一番家格が高く婚約者もいない男性は、婚約者をご病気で亡くされたばかりのマティアス様でしたから。この婚約は王命だったのです」
王命という言葉でマティアスは顔色を変えたし、観衆もどよめいた。
それをファビエンヌは一瞬で吹き飛ばした。
「わたくしは、この婚約が無くなることで他国へ嫁ぐことになるでしょう。けれど、この四年の間にわたくしと歳の釣り合う他国の王族達は皆ご結婚されました。残るのはわたくしと二十五歳以上、四十歳未満の年の差のある方ばかりです。しかもハーレムのある国の――」
驚きのざわめきが起きた。その中に令嬢達の引きつった悲鳴が含まれる。
マティアスがとてつもない罪悪感のため苦しそうに顔を歪めた。
それに対してセシルは無表情だった。恐らくは、それがどうしたとでも言いたいのだろう。
ファビエンヌは声を上げて笑いたかったが後の楽しみにとっておく為に我慢した。なぜならセシルのその顔はもう少し先にとてつもなく歪むと決まっていた。
中庭の端で動向を見守っていた取り巻きの令嬢達はファビエンヌを哀れんですすり泣いている。
ファビエンヌは少し気まずく思いながら声をかけた。
「――わたくしは平気です。だって、貴族の女ですもの」
ファビエンヌは令嬢達に強がってみせた。
貴族の女は、まるで種子のようだ。土地を人に定められ、そこで育って咲いて実れと言われる。
その環境に適応しながら夫や婚家と良い関係を築いて、子供を産んで育てながら一族を繁栄させる。それが真っ当な貴族の女の生き方だ。
そのことを全ての令嬢が割り切れるわけでもないが――。
「では、罪人のお二方。ご自分の口をこのように塞いでいただける?」
ファビエンヌは口の上に右手を、その上に左手を重ねて実演してみせる。
二人は意図がわからず眉をひそめたが指示を聞かない訳にはいかない。
うっかり声を出して猿轡を噛まされるより何倍もマシだと、のろのろと、それぞれ自分の口を両手で塞ぐ。
「さて、我が父エマール公爵は三派閥の内の一つの首領です。父は王家の命に従い渋々繋いでいた手を、対抗派閥から卑劣な方法で切られたわけです。これを王家はどのように思われるでしょう?」
自分の口を塞いでいたマティアスは、まるで首を絞められたかのように苦しげに顔を顰め出す。
「どのような罰が課せられるやら。財産の一部没収でしょうか? 降爵かしら? それとも、そちらの派閥の首領クロデル公爵からの制裁の方が恐ろしいかしら?」
マティアスの悲鳴は塞いだ口から呻きとなって漏れた。
わなわなと震えながら一頻り呻くも、息が続かなくなったのか膝から崩れ落ちた。
「皆様。この婚約で表面上でも関係を緩和して、なんとか協力体勢を取るように王家に指示を請けて立ち上げた事業はどうなると思われますか? 主導権の取り合いが始まり、最悪事業計画は中止または無期延期されるのではないでしょうか。そうなると時間をかけた計画、資金、集められた人材や資材は無駄になりますわね。多くの雇用が失われて国内経済は大きな打撃を受けるでしょう。対立派閥の家同士で立てた事業もあることを考えると、全体的に桁外れの経済損失が予想されます。それこそが皆様に関係すると言った理由です」
規模の大きい経済的損失や機会損失が起きてからのドミノ倒し。
莫大な負債が出る、資産が目減り、資金調達が失敗……などなど起きてしまう大きな負のスパイラルを思って、それが予想できる者たちは青くなる。
理解出来ていない令息令嬢は一部いた。
裕福な商家でチヤホヤされて育ったセシルも言われたことがピンときていなかった。それどころかファビエンヌが大袈裟に言っているだけだと考えていて、マティアスが真に受けて膝をつき震えているのをバカバカしく思ってもいた。
「バイエ侯爵家は王家からも貴族からも経済的余波を受ける平民からも批難されるでしょう。彼らはその原因となった人物を許すでしょうか? 廃嫡だけでは済むとは到底思えません。貴方達は国中の人間から恨まれるのです」
その筆頭であるファビエンヌは跪いたまま震えるマティアスを睨む。
ようやく自分の行いが何に続くのか見えてきたマティアスは現実が受け入れがたく虚ろな目で首を盛んに左右に振っている。いつも整えられていた髪も今は乱れて、その隙間から見える目からは幾筋も涙が流れていた。その涙はファビエンヌの言いつけどおり口を塞いでいる手を伝って下にポタポタと垂れていく。
もう誰も彼も固唾を呑んでファビエンヌやマティアス達を見つめていた。
ファビエンヌは今この国の未婚女性の中で一番身分が高い令嬢だ。誇り高くあれと言われて育ったに違いない。
彼らのとんでもない裏切りでプライドが引き裂かれただろう。癒えるのに時間がかかる深く大きい心の傷がついたのは明白だった。
彼女が不実な婚約者を断罪したい気持ちはこの場にいる誰しもが分かった。
しかし、彼女が振るう言葉の刃物は一令嬢が持つに相応しくない死神の大鎌だった。その大鎌が何度も振るわれる容赦ない様子に腹の底から震えが来はじめている者がチラホラ出てきた。
だが、彼女の見せ場はまだまだこれからだった。震えているマティアスの傍まで歩み寄ってきて無慈悲にも言った。
「仮に除籍されて平民に落とされたとしましょう。それでも罪は消えて無くなったりはしません。貴族でなくなる。これまで当然と思っていた守りを何もかも失うわけです。国中に恨まれて誰にも助けては貰えない。それは、まさに破門された如く――」
ファビエンヌは腹の底から声を出した。
「――今後、彼から一メートルの距離に近寄る者は呪われよ!」
その声と言葉に誰もが震えた。
それは誰しもが知っている教会から破門された者への呪いの言葉の一部だった。
マティアスも怯えながらファビエンヌを見る。
「あなた、いい加減に!」
セシルはもう我慢が出来ず、叫びながらファビエンヌに掴みかかろうとした。
「アデライド様! 猿轡のうえ拘束を!」
アデライドは困惑していたはずだった。それなのに従わずにはいられないファビエンヌの声の強制力に、気づけばセシルに猿轡をかませて両手を後ろに拘束して跪かせていた。
不様な様子をファビエンヌはあざ笑ったが、セシルは気丈にも見上げて睨みつける精神的余裕があった。
「さて、ラカン男爵令嬢セシル様。待たせましたね。貴女の番です。貴女の目論見通りにならず、マティアス様と結婚できなかった場合、どうなってしまうのか、お話しましょうね」
ここでようやくファビエンヌは初めてセシルの名を呼んだのだった。
「この国の貴族や商家との縁談は無いでしょう。皆醜聞を嫌いますからね。そうなるとこの国と縁の薄い他国のご年配の男性の後添いか、妾でしょうか?」
それを聞いたマティアスは涙を流しながら苦しそうに首を振る。
意外にもマティアスはまだファビエンヌの言葉を聞いていた。
セシルを思って涙する姿は美しかったが、ファビエンヌは心底哀れに思った。
それは、彼が捧げた献身も愛も報われないと知っていたからだった。
そして、マティアスがセシルを想うことで見せる美しさを、これからファビエンヌが自らの手で破壊すると決めていたせいだった。
「ファビエンヌ……やめてくれ……」
マティアスが涙と鼻水で秀麗な顔をぐしゃぐしゃにしながら弱々しく言う。だが、その哀願も聞き届けられない。
「ドルイユ様、猿轡のうえ拘束を!」
苦渋に顔を歪ませながら聞いていたドルイユは指示に従わなかった。
無理もないとファビエンヌは思いながら、もう一度ドルイユに指示を出す。
「ドルイユ様、これからマティアス様が逆上して誰かに襲いかかったら責任が貴方にもかかりますよ。気が進まないのは分かりますが、今はわたくしを信じて猿轡のうえ拘束を」
ファビエンヌは襲いかかる対象を自分と限定しなかった。
そのことに一瞬ドルイユは訝しげに眉をひそめたが、渋々指示通りマティアスに猿轡をかませて、両腕を後ろに回させて痛みが無いように気をつけて掴んだ。
気分が重くなるのを振り払うようにファビエンヌは深く溜め息を吐いてから続ける。
もう、ここまで来たら最後まで続けて終わらせるしかないのだ。
ファビエンヌは尚も自分を睨み続ける勇敢なセシルに視線を戻した。
「さあ、話を続けましょうか。まともな結婚ができない令嬢の定石として修道院行きの可能性もありますね。けれど、そこは貴女にとって安息地になりえないと断言しましょう。なにしろ修道院内で力を持つ修道女の殆どは貴族ですもの。なんらかの事情で結婚できずに修道院に行く方が多いというのに、他人の婚約を壊す掟破りの卑劣な女が、そんな場に快く迎え入れて貰えるはずも無いでしょう。それに、この婚約破棄の影響でお気の毒にも修道女になるしかない女性が幾人か出るかもしれませんのに――」
この自分主演の喜劇にして、マティアス主演の悲劇を観ている者達を見渡しファビエンヌは告げた。
「あら。皆様、お分かりにならない? この婚約破棄は国益を損ねると申しましたでしょう? 国の中枢にいる方々がそれを許すはずはありません。必ず、わたくしとマティアス様という強力な組み合わせの代わりを生み出そうとします。そのために二つの派閥を繋げる幾つかの婚姻関係が必要になるでしょう」
ファビエンヌが軽く周りを見渡すと、セシルも、回廊で見ている貴族達の多くも、まだ分かっていないようだった。だから彼女は説明を足した。
「つまり必要な分、現在の婚約や結婚を幾つも壊して組み直すということです。実行されれば、それなりに経済的影響があって、やはり大きく人々の恨みを買うでしょうね」
婚約者と引き離されるかもしれないという理由や、家の利益が失われるという理由などから、回廊からは高低混ざった幾つもの悲鳴が上がる。気を失った令嬢も幾人か居るようだ。
「ときにセシル様。わたくし、貴女のことは好きではないけれど、貴女の向上心が強過ぎるところや親孝行なところは純粋に凄いと思っているのよ」
もがもがと大きく呻いてセシルは文句を言った。
「本当よ。方法は唾棄されるものですけれどね」
さらにセシルは、猿轡をした不自由な口で言葉にならない文句を言いながら、拘束を解こうと暴れるその胆力で周囲を感心させる。
しかし、その勢いもファビエンヌがある男の名を口にするまでだった。
「オーバン・エメ」
セシルはピタリと動くのを止める。
ファビエンヌはセシルから離れて中庭の中央に立って言った。
「さて、皆様。ここで一人の哀れな男性の話をいたします。オーバン・エメは平民でそこそこ裕福な商家の嫡男だったそうです。彼は当時十五歳のセシル様の恋人でした」
もがもが!!と大声でセシルが呻いて話すのを阻止しようとした。マティアスはそれを困惑して見ていることしかできない。
もちろん、ファビエンヌは話を止めるつもりなど全くなかった。ちらりとセシルを見る。
「その時はセシル様のお父様も男爵位を貰ってなかったのでしたわね。吸い取るだけ吸い取って、家を勘当されたので捨てたのでしたっけ?」
話すのを止める様子が無いのでセシルは呻くのを止めて恨めしそうにファビエンヌを睨む。
ファビエンヌはまた群衆に向かって話だした。
「当時オーバンには婚約者がいましたが、同じ平民の商家の娘に言い寄られて夢中になり婚約者を裏切りました。婚約者への贈り物と偽って高価な贈り物を買っては、その娘に横流ししていたのだそうです。――あら、どこかで聞いたようなお話ですわね」
マティアスが瞬きを繰り返しながらファビエンヌとセシルの交互に幾度か目を走らせる。
「その裏切りが発覚すると、商家として一番大事な信用を傷つけた代償を、跡継ぎだったオーバンは払うことになりました。勘当されて無一文で放逐されたのだそうです。そして、その当時平民の商家の娘は彼を助けず見捨てた――のでしたかしら。セシル様?」
猿轡を噛まされて拘束されているセシルは犬のように唸ることしか出来ない。
当然のことながらセシルは、困惑しながら自分を見つめているマティアスの方を見ない。
「その高価な贈り物はセシル様のおねだりで親孝行にもお父様の商会で購入させていたそうです。彼女は父親の商会を奇抜な方法で潤すと、それを元に男爵位を買った――のでしたわね?」
話の終わりにファビエンヌが確認のためセシルを見ると、怒り心頭のセシルは、もがーーー!と強く高く呻いて再び暴れる。それも猿轡をしてることもあって息苦しさからすぐにおとなしくなった。
その悪あがきをファビエンヌは面白そうに眺めて、更に話を続けた。なかなか長い間、話したがそろそろ終わりが見えている。
「皆様、そこからがセシル様の向上心の凄いところです。ことが露呈しなかったことを良いことに相手を男爵、子爵、伯爵と年に一度、同じことを繰り返しながら上り詰めて、侯爵家のマティアス様のところまで辿り着いたのですもの」
顔色を変えたマティアスが高く呻いてセシルに詰め寄ろうと暴れるが幸いにも拘束されている。ドルイユは、ようやくファビエンヌの意図が分かって、自分の判断の誤りを頭を下げることで侘びた。
「ラカン男爵は卑劣な婚約破棄の片棒を担ぎ続けて懐を潤しました。爵位取り上げだけで済むはずがない。という訳でセシル・ラカン。貴女の家は終わりです」
さすがのセシルも涙が止まらない。
マティアスがセシルに向かって何やら呻き声を上げている。問い詰めているのか、罵声を上げているのか、誰にも分からない。
ファビエンヌは心から同情を寄せているという表情を作ってセシルを見つめる。
「セシル様、お気の毒に。でもきっと大丈夫。卑劣な方法で婚約者を裏切ってまで真実貴女を愛されたマティアス様がきっと助けようとしてくださいますよ。結果はどうなるかは分かりませんけれど」
マティアスが驚いてファビエンヌを見上げる。
だが、ファビエンヌは目を合わせなかった。
もう沢山だった。ファビエンヌはこんなことを始めたくなかった。
マティアスがセシルを連れてこなかったら、人目を避けて声をかけてくれていたら、そもそも自分を裏切らなかったら、衆目のある場での断罪などしなくても良かったのだとファビエンヌは、いっそ大声で喚き散らしたかった。せめて、心が移ったことを誠意をもって打ち明けてくれたら違う結果になっていた。自分も彼もこんなに苦しまなくて済んだのだとファビエンヌは心の中で打ち拉がれる。
ファビエンヌが分かりやすく暴露しなかったのでマティアスはまだ気付いていないようだが、セシルがオーバン・エメの恋人だったのは五年前だ。当時彼女は十五歳だった。つまりセシルはマティアスより二歳年上なのだ。
彼は、とんでもない裏切り者だったがセシルの手口に引っかかった被害者でもあった。それなのに、これほど無慈悲な断罪をして彼を不幸に落とす自分は、マティアス主演の悲劇に出演する悪役のようではないかと、ファビエンヌは苦く思う。
そんな思いを抱えていても、ファビエンヌはこの公演のフィナーレを飾らなければならなかった。それが幕を開けた者の義務だった。
彼女は気を取り直して背筋を伸ばし周囲を一瞥すると高らかに言った。
「さあ! 新たな伝説が生まれる瞬間に立ち会われた皆様! 自分たちが幸せになる為ならば! 自分たちが原因でどれほど多くの人間に不利益を生じさせようとも! たとえ他人にどんな不幸が降りかかろうとも! 一切厭わない程の、強く、激しく、深い愛で結ばれた、この二人に祝福を!」
誰も彼もことりとも動かない中、ファビエンヌは自分が断罪した二人に惜しみない拍手を送った。
そして、マティアスとセシルにゆっくり近づき、目線が合うようしゃがみこんでファビエンヌは言った。
「どうぞ、お幸せに」
続いて声に出さず、唇だけで彼らに伝える。
(な れ る も の な ら)
二人は一斉に噛まされた猿轡の中で高く長い呻き声を上げ続けた。
「皆様、長らくご静聴いただきありがとうございました」
ファビエンヌは見事なカーテシーを決めて退場するため出口に向かう。
途中忘れていたことを思い出して彼女は振り返った。猿轡の取り外しと拘束の解除を指示し、協力者へ感謝と労いの言葉をかける。それから再び出口に向かったファビエンヌは二度と振り返らなかった。
残念ながら拍手喝采は起こらない。
ただ、それを補うほどの激しい二人分の慟哭をファビエンヌは背越しに聞いた。
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