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そっけない返事。そしてシャツの首回りを緩める仕草。ふっと目に入る喉仏に色気を感じるが尚人は見なかったふりをする。栄はそのまま冷蔵庫に向かうと、扉を開けてビールの缶を取り出した。
食事はしなくとも、朝方の帰宅でない限り栄は必ず帰宅後にビールを一本開ける。たかが一本で酔っ払うほど弱い男ではないが、本人曰くほとんど儀式のようなものなのだという。リビングでビールを飲むと体が仕事から休息へと切り替わり、スムーズに眠れるような気がするのだと。
「そう。じゃあ風呂すぐ沸かすから」
「いいってば」
外はもう冷える。温かい風呂で少しでもゆっくりしてもらおうと給湯ボタンに駆け寄ろうとする尚人を、栄は厳しい口調で制止した。
「明日——いや今日は国会も当たってて、朝からレクと随行があるんだ。始発で出るのにのんきに風呂なんか入ってる余裕あるはずないだろ。これ飲んだらソファでちょっと横になって勝手にシャワー浴びて出かけるから、おまえも寝てろ。ほら、さっさと寝室行けよ」
おまえも寝てろ、という言葉に優しい響きはない。まるで忙しい朝に尚人が顔を出すとうっとうしいからと言われているような——いや実際にそれが栄の本音なのだろう。
「……うん」
尚人が力なくうなずくと、栄はどさりとソファに座りこむ。潔癖なところのある栄はシャワーを浴びずに寝室に入ることを嫌うから、帰りが遅くなり仮眠程度しかとれないときは必ずソファで眠るのだ。
同居をはじめるときに一緒にショールームに行って生地から選んだソファはずいぶんとくたびれてしまった。まるで自分と栄の関係みたいだ、そんなことを尚人はぼんやりと考えた。
リビングに立ちすくんだままの尚人には目を向けようともせず、ビールの缶をあおりながら栄はつぶやく。
「ったく、せっかくタクシーでいい感じに眠くなってたのに、喋ったら目が冴えてきただろ。だから起きてこられたら迷惑だって言ってるのに、どうしてくれるんだよ。こっちはおまえみたいな半自由業とは違うんだからさ」
これ以上は、何を言っても何をやっても逆効果だ。尚人は「ごめん」と一言謝ると早足にリビングを後にした。ひどく惨めな気持ちだった。
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