4人が本棚に入れています
本棚に追加
「ああ、もう暑い。シャワー浴びたい」
うらびれたバス停で、私はバスを待っていた。合唱コンクールのような蝉の大合唱が街に帰る私を見送ってくれているような気がした。いや、そんな心地良いものじゃないな。うるさい。
昨日。河原で倒れてた私たちは、探しに来た少女の両親や近所の人たちに発見された。見知らぬよそ者と山に向かう少女を心配して、やましたさんが呼びかけたらしい。
少女を誘拐した犯人にされかけたけど、少女自身の説得でなんとか助かった。よそ者だけど一応、娘を助けてくれたからと、少女の両親が車で祖母の家まで送ってくれた。車中では無言で、目も合わせてくれなかったけど。祖母の家に入ると居間の畳に倒れ込んで、疲労から着替えもせず泥のように眠った。
朝、目覚めてから持ってきていた服に着替えた。シャワーを浴びたかったけれど、祖母の家には古びた浴槽しかないし、そもそも水道もとっくに止められていたので諦めた。持ってきていた制汗シートで全身を拭くだけにとどめて、今は急いで街に帰ろうとしているのだ。
古ぼけた音を立てながら、バスが到着した。錆びてぎこちない動きでドアが開く。
「こんにちはお姉さん」
バスに乗ろうとステップに足をかけた時、声をかけられて振り返った。聞き慣れた少女の声。
「もう大丈夫なの?」
「うん」
心配する私に、少女は小さく頷いた。
「その服……」
昨日の純白の、裾が地面に引き摺ってしまいそうなワンピースではなく、シャツにハーフパンツという活発な服装の少女が立っていた。
「ああ、昨日のはお姉ちゃんの。お姉ちゃんと同じ服をきて、あの場所に行ったら、お姉ちゃんがどうして死んじゃったのかが分かる気がしたんだ」
「今の方が似合うよ」
「だよねえ。あたしもそう思う」
服に着られているようだったワンピース姿とは違い、今の彼女は活発な少女らしさを全面に出しているように見えた。
「もう帰っちゃうの?」
「うん。私に田舎の空気は合わないみたい。それに、やらなくちゃいけないこともあるからね」
街に帰りたいかと問われれば、そうでもない。でも、私の生きる場所はどちらかと言えば田舎ではなく街なんだと思う。
「寂しくなるねえ」
のんびりとした口調だが、その端々に少女からの別れ難い気持ちが滲み出ていた。
鞄からメモを取り出すと、住所、電話番号、メールアドレス、メッセージアプリのアカウント等、思いつく限りの個人情報を書き連ねて少女に渡した。
「電話でも手紙でも、いつでも連絡してきてよ。相談相手くらいにはなるからさ」
受け取ると、少女は愛おしそうにメモを胸に抱きしめた。そんなに嬉しそうにしてくれるなら、粗末なメモじゃなくもっとちゃんとした紙にすれば良かった。
「うん。決めた」
大きく頷いて、少女はその大きな目を輝かせて、私をまっすぐに見つめる。
「あたし、将来は街の高校を受験する。裏切り者って呼ばれても良い。お姉ちゃんの出来なかったことを、あたしが代わりにするんだ」
溌溂と決意を述べる彼女を止める理由は、私にはない。ただ彼女の将来に幸があるよう願った。
「その時は、お姉さんの所に行くから、よろしく」
は?
呆気にとられる私を尻目に、反論しようとしたけど「お守りを奪ったんだから、責任取ってよね」といたずらに笑う少女を見ると、どうでも良くなってしまった。
全く、この子は勝手に……。
「乗るの? 乗らないの? どっちかにしてくれるか?」
勝手な都合でバスを止められていた運転手さんが焦れて、苛立った口調で急かす。
「あ、すみません。乗ります」
申し訳なく言って、バスに乗り込んだ。
「またね。日葵」
ステップを登りきったところで、振り返って手を振る。
「うん。またね」
少女も手を振り返した。
最後尾の席に向かうと、私が座る前にバスは発車した。よほど急いでいたのだろう。よろめいて転倒しそうになる。
後方の窓から後ろを見ると、少女は道路の真ん中に出て、大きく手を振り続けていた。私も小さく手を振りかえす。少女が、龍神様の川が、祖母の家が遠く小さく消えてゆく。きっと、もう二度と来ることはないだろう。私の生まれた村。
思い返せば、凄い体験をしたのかもしれない。二十二年間生きてきて龍神様の花嫁なんてファンタジーな存在には関わり合いにもならなかった。川で溺れたこともない。あんなに必死に少女を助けた経験なんて初めてだ。
堪えきれなくなってニシシと笑った。
バックミラー越しに不審者を見る目をした運転手と目が合うと、恥ずかしくなってシートに顔を隠した。
今でもドキドキしている。ふわふわとした浮遊感で心が落ち着かない。
スマホ取り出し画面を確認する。良かった、圏外じゃない。通話画面を開き、電話帳から妹の名前を探しだして電話を掛ける。
何度か発信音が鳴って、相手が応答した。繋がった。
恐る恐る、妹の名を呼んだ。
「もしもし、紗奈?」
最初のコメントを投稿しよう!