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彼女の名を叫びながら、キョロキョロと当たりを見回す。けれど、雨に遮られた視界では何も見えず、彼女を呼ぶ声も掻き消されてゆく。
「お姉ちゃん……助け……」
かすかに聞こえた少女の声。声のした方向に見当をつけ、動くもの何も見逃すまいと注視する。
見つけたっ。
川を少し進んだところで溺れないように、身体を浮き沈みさせてもがいている彼女を発見した。
急いで、それでいて流れに体を持っていかれないように慎重に彼女の元へと駆け寄る。川の中ほどに進んでゆくと、水面は私の腰の下辺りまでになっていた。少しでも足の力を抜くと流されてしまいそう。
「日葵っ」
彼女の手を掴み、身体を引き寄せて抱きしめる。
「お姉、さんっ」
少女も腕に力を込めて、私の胴にしがみつく。岸に戻ろうと歩を進めるけれど、私たちの身体は少しずつ川の中心へと引き戻されてゆく。流れの力だけではない。まるで、何本もの見えない腕が、彼女の身体を掴んで川の中央へと引きずり込もうとしているみたい。
見えない力に負けないよう、歯を食いしばって彼女の身体を抱きしめる。流されないようにもしないといけないから、もう身体の何処に力を入れれば良いのかすら分からなくなりそうだ。
「お姉さん、もう良いよ」どこか諦めのついた彼女の声「このままじゃあ、お姉さんまで流されちゃう。お姉ちゃんはあたしと一緒に居たいだけなんだよ」
言う彼女は無理をして笑っているのがバレバレ。そんなぎこちない笑顔じゃあ誰も騙せないよ。歳下の少女にそんな無理をさせてしまうくらいに、私は一杯一杯に見えているのだろうか。
こうなれば意地だ。絶対に彼女を離さない。今度こそ、離すもんか。
私の胴に回された彼女の腕が脱力したのが分かった。諦めるもんか。その分、私は彼女を掴んだ腕に力を込める。
力を込め続けたせいで身体中が痺れてきた。流れに逆らって、色々なところを打ち付けて痛い。しんどい、疲れた、休みたい。どうして私は田舎まで来てこんな事をしているんだ。苛立ちから叫びたくなってしまう。
「お姉さん、もう良いよ、離してよ」
ああ、もうっ。
「少し黙っててっ。気が散る。私はあなたを助ける。そう決めたのっ」
余裕のない叫び、喚きに、腕の中の少女は「は、はいっ」と身を縮こまらせた。
再び、身体に巻かれた腕に力が込められる。
雨粒のカーテンの向こうの何もない空間、少女が姉がいると言った方向をキッと睨みつけた。
「あなたも姉だって言うならね、少しは妹を助けなさいよ。妹が溺れそうになって、助けを求めていたなら、手を引いてあげなさいよ。それがお姉ちゃんの役割でしょうが」
雨音に掻き消されないよう、力一杯に叫んだ。
自分は妹を突き放したくせに、棚に上げて、他人には妹を助けろと説教なんて、ひどく滑稽。
それでも、亡霊は諦められないらしく、少女の身体に込められた力は弱まらない。
「ごめんね」
「へ?」
返事を聞くよりも早く、少女の腕にかかったお守りを奪い取った。少女から「痛っ」と呻く声が聞こえた。ごめん。
奪い取ったお守りを握りしめ、思い切り腕を伸ばして空に掲げた。
「ほら、見なさい。これでこの子は私のものよ。これはあなたが逃れられなかった呪いのお守り。あなたは妹と一緒に生きるよりも、お守りに殉じて死ぬことを選んだんでしょ。逃げたんでしょう。諦めなさいっ」
少女に巻き付いた見えない力が、ふっと抜けた。彼女を強く抱きしめながら、這いずるように川岸へとたどり着くと、そこで力尽きた。二人並んで大の字に砂利石の河原に倒れ込む。背中がゴツゴツして痛い。
荒い息を整えようと開いた口に、雨粒が打ち付ける。
「ごめんなさい。日葵」
雨音に混じって、優しい少女の声が確かに聞こえた。
「謝るくらいだったら、最初から妹に迷惑かけるなっての……」
ほとんど音の出ていない声で、私は呟いた。
自分は妹に謝ることすら出来ていないくせに。
「あっ」
並んで倒れている少女が声を上げた。
「お姉さん、お守りは?」
言われて、私はお守りを掴んでいた腕を確認した。何もない。
「あー、流されちゃったかも」
「流されたって……どうするのさ?」
疲労困憊で声を出すのも億劫な私に対して、元気な子。
お守り自体は信じていないが、姉の時のように周りの大人の態度が変わってしまうのを危惧しているのだろう。
疲労から考えが纏まらず、ぼんやりとした頭で私は考える。
「んー、私に盗られたことにすれば。誰かに盗られたなら龍神様の花嫁にならなくて済むでしょ。私はよそ者だから気にしないから」
お守りは渡す相手が決まっていたような気もしたが、それを思い出す元気は、私にはなかった。
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