第1章 くらげライダー、意に反して一挙大海まで流れ着く

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「そんな、どこの誰とも知れないような女の子は当然うちに入れる気はありません。そういう人を結局選んだ息子も同罪よ。…二人は今後、この家に足を踏み入れることはないわ。葉波ちゃんはもう成光のことは気にしないで、忘れて。今まで通り鳥居家の嫁として、ここに通い続けてくれていいのよ。あんな子とは二度と顔を合わせる必要はないから」 そんな。 わたしは顔を上げておずおずと口を挟んだ。 「わたしのことを考えていただけて、お気持ちは嬉しいですけど。…成光くんは長男だし、この家に必要な人でしょう。やっぱり、戻ってきてもらわないと」 それに、由里子さんだって。 わたしの手前手放しに喜ぶわけにはいかないけど。大切な息子さんが結婚してお孫さんもできて。内心では嬉しく幸せな気持ちだってあるのでは? 「わたしのためにお二人を追い出してしまったら、本末転倒じゃないですか。…わたしはもうここにいる意味もなくなってしまったし。普通に考えて、出ていくのはこっちの方だと思う…」 彼女は真剣な面持ちでこちらににじり寄ってきて、不意に両手を伸ばしてきた。 それからこれまでにないことだったが、がし!といきなりわたしの手を包むように取ってこっちを仰天させた。 「…そんなことにはならないわ、葉波ちゃん」 彼女はどういうわけかやや底光りのする瞳を据えて瞬きもせずにわたしをじっと見つめた。 「…成光とあなたとどっちかを選ばなきゃならないとしたら。切り捨てられるのはあの子の方よ。大丈夫、うちにはもう一人男の子がいるから。葉波ちゃんの存在が宙に浮くことにはならないわ。あなたは今まで通り、何も心配しなくていいの」 もう一人男の子。…って。 ここで次男の存在をいきなり持ち出された意味が一瞬飲み込めない。わたしは彼女の迫力に半分以上怖気づいて、思わず手を握られたままじりじりと後退りかけた。 「成春くん。…まだ中学生。じゃないです、か…」 由里子さんの自信たっぷりの満面の笑みがほんと怖い。 「大丈夫。葉波ちゃん、知ってる?少し前まで日本て、十四歳で成人だったのよ。元服って言ってね。ちゃあんと結婚だって、できるんだから。その歳になると」 「…歴史上の出来事、ですね」 笑ってごまかしたい。少し前って、戦国とか江戸時代くらい? 十四歳で結婚て。…相手たるわたしの方はとっくに二十歳越えてますけど。児童虐待ですよ? さすがに二人で今すぐ子どもを作れ、とは言わないだろう。けど…。 婚約くらいは即、させられかねない。この勢いだと。 由里子さんはわたしの眼を正面から覗き込み、励ますように強い口調で話を続けた。 「うちには葉波ちゃんが必要なの。そのためなら…。大丈夫、法律なんてどうせ、紙の上だけのことよ。それは成春が十八になったら正式に届け出だせばいいわ。内々で簡単に式を上げておいて、あの子が成人したら表向きも大々的にお披露目しましょうよ」 ふと思いついたように視線を上げて目を泳がせてひとりごちた。 「いえ、式はあとからでも。一緒に住むのは今すぐだってできるわよね。…そうだ、今日のうちに。葉波ちゃん、この家に引っ越してきて住み込めばいいわよ。部屋はいくらでも余ってるし」 そうよね、もっと早くそうすればよかった。といいこと思いついたみたいに両手を打ち鳴らしてはしゃいでるあなたが怖いです。マジで。 「一度家に帰って荷物まとめてくるといいわ。誰かに言って運ばせるから。…そうね、どうせなら。今から新しく別に葉波ちゃんの部屋を調えるより、成春の部屋で。これから一緒に寝起きするのはどうかしら?」 わたしは這々の体で村から逃げ出した。 危うく既成事実を作られて中学生の嫁にされるところだった。尤も相手の成春だってとてもそれを喜んだとは思えない。現代の日本でこんなの考えられない。前時代的に過ぎる。 とにかくいろんな理由を並べ立ててその日は鳥居家を辞したあと、狭い集落の中で新奇なその話はみんなの関心を惹きつけたようであっという間に村じゅう駆け巡った。 郵便局に就職したちょっと真面目すぎて空気の読めない同級生の子が半分心配、半分興味津々で珍しく連絡してきたところによると鳥居家の次男の成春は意外に満更でもない様子で 『葉波は今はまだ若くて美人じゃないとも言えなくてまあ悪くはないけど。なんと言っても兄貴のお古だしなぁ。あいつが要らない、ってこっちに寄越したもんをありがたがって受け取るのもなんだかなぁ、って』 と抜け抜けと中坊の友達連中に言ってのけたらしい。そういう話は瞬速で周囲に伝わってしまうのだ。 なんたって郵便局は新鮮な噂話が最速で集約される場所だから、あながちまるっきりの出鱈目でもないと思われる。多分それに近いことはあいつも口にしたんだろう。郵便局の同級生は心配を装った口調で、だけどわたし本人に奴の言葉を伝えるのに表現に編集を施しもしないやや無神経な話し振りで電話の向こうで更に先を続けた。
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