第1章 くらげライダー、意に反して一挙大海まで流れ着く

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それによると、その場に居合わせた奴の中学の同級生が 『だけど二十二のキレイなお姉さんと同居できるんだぜ。十四歳で親公認で同棲なんて、役得じゃね?まさか断らないんだろ、お前?』 と好奇心剥き出しで尋ねると、成春は半端なくにやついた顔つきで得意げに答えたという。 『まあな、せっかくだから。やれるチャンスは逃したくないよな。…でもなぁ、今はそりゃいいけど。俺が二十歳になったらあいつ、もう二十八だよ?三十近いじゃん。何が悲しくて二十歳そこそこで、家のために三十のババアと結婚しなきゃなんないんだよ?』 『そんなのお前の兄ちゃんの真似すりゃいいだろ。今のうちにやれるだけやって楽しんで、正式に入籍する前にさっさと新しい子見つけて乗り換えればいいじゃん。別に、どうしても家継ぎたいとかないんだろ?』 友達が中学生とも思えない下卑た口を挟み(いや、むしろ中坊だからこそか。この容赦のない残酷さ)、成春も緩んだ表情で受け応えた。 『そりゃまあ。今どきあんな家継いでもただ重くて面倒なだけだよ。だから兄貴も逃げちゃったんだと思うし…。でも、そっか。俺がさっさと浮気して葉波を捨てればめでたく兄貴と同じように勘当されるな。うちのハハオヤ、何でかあいつが一番優先なんだよ。絶対激怒して俺、家追い出されるに決まってる。そしたら跡継ぎにならなくて済むし』 『やるだけやってやり逃げかぁ』 とまあそんなような会話が堂々と村の中で交わされた、というのは概ね事実らしいというのはわかった。 その上話に更に尾鰭がついて、どうやら由里子さんはわたしに対してただならぬ執着があるらしい。二人は実は怪しい関係なんじゃないのか?って既に村内で噂になってる、と高校生の弟が帰宅するなりむすっとわたしに報告してきた。 「余所んちの娘の方が血を分けた実の息子より大事なんておかしい。そもそも葉波は分家出身ですらなくて三代前に村に入ってきた新参者の血筋なのに。あんなに溺愛して憚る素振りも見せないなんて、由里子はどうかしてる。まさかあの子の色香に籠絡されて盲目で溺れてる状態なんじゃないか?とかひそひそ陰で言われてるよ。ほんとなの、姉ちゃん?」 「そんなわけあるか。あたしそういう趣味全くないし。由里子さんの方だってもちろんないよ」 と思う。長年彼女の近くにいた実感としては。 だけど、確かに。どんな手を使っても、まだ年若の次男を長男の代わりに差し出してでもわたしを絶対に手放さない、って断固とした決意を彼女が見せる理由はわからない。わたしに性的もしくは恋情的に惹きつけられてるって説はどう考えても納得いかないが。だって、幼稚園の年少の時からずっとだよ? しかし理由は不明でも、このままだとやりたいだけの十四歳と成り行きで実質的に結婚させられてしまう。由里子さんの悠然と落ち着き払った、自信に満ちた態度を目の当たりにしたわたしは何処か深いところで確信した。あの人がその気になれば間違いなく、きっとやる。どんな雑音や不信感が村の中に蔓延しようが彼女が必要だと思えば全くそんなの気にもとめず、ただ粛々と実行するだけだろう。 何の目処もないままそれを回避するだけのために、慌ただしく村を出奔することにした。 地元出身の父親はそこまでして本家の意向に明確に逆らって大丈夫なのか、確信が持てなかったようで最後まで迷っておどおどしていたが、余所の地域から結婚でこの土地に来た母の方はいざとなったら思いの外ためらわなかった。 半分パニック気味のわたしのしどろもどろな説明を聞いて事情を飲み込むと、すぐさまわたしにまとまった金額の入った通帳を手渡して端的に告げた。 「逃げなさい。別にこの場所に囚われることない。あんたは最初から自由よ。結婚する相手は自分の意思で決めるのがそもそも当たり前でしょ。そんなの、断るのは当然の権利だから。…でも正直、葉波があの家に入ることがなくなって。あたしはむしろほっとしてるかも」 ほんとはわたしが本家に嫁入りすること自体心の底から納得してるわけじゃなかったってわけだ。どうして?と尋ねかけた言葉を飲み込む。今はそんなこと突き詰めてる場合じゃない。 そうやってきっぱりと背中を押してくれた母に感謝してわたしは素直に通帳を握りしめた。それから後ろを振り向く余裕もなく、一度も足を踏み入れたこともない勝手もわからない大都会、つまり東京方面へと向かう電車にとりあえず単身乗り込んだ。 いられなくなった地元を出奔するなら、当然行き先は東京。 どうしてぱっとそんな風に思い込んでしまったのかは後で考えても理由がわからない。生まれて二十二年、一度もあの土地を出た経験がないわたしには、当然だけどそもそも首都圏に知り合いも土地勘もなかった。 父親は三代前からの村の人間だし(それでも代々村内在住の家系の人たちからは未だに『木霊んちは余所からきた新参者』と言われてた)。母親はわたしの知る限り自分の生まれた土地との繋がりが薄く、身内や親戚との付き合いがどういうわけかほとんどない。 だからいざこういう機会に、咄嗟にあの人を頼っていこうと思いつくような相手が村の外の世界に全然いない。どうせ何処にも何の縁故もないなら、むしろ最初からひと息にやっぱり東京でしょ。 そう自分に言い聞かせて母から預かった通帳一つをバッグに忍ばせ、ネットで調べた初めて見る知らない路線の列車に乗って何とか首都を目指すわたしなのだった。
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