第1章 くらげライダー、意に反して一挙大海まで流れ着く

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第1章 くらげライダー、意に反して一挙大海まで流れ着く

これまでが本人の実力や努力の結果じゃなくて、改めて思い返してみればただ成り行き任せな人生だった。だから今になってこんな目に遭うんだ。幼少時からの知り合いみんなに内心密かにそう思われてるのは想像に難くない。 断じてそこまで自分はいい気になってでかい顔して肩で風切って、集落の中を闊歩してたわけじゃない。だけど 「あんなにわたしは本家の後継ぎの将来の嫁です、って態度で小さい頃から村の女主人然と振る舞ってきたのに。大学進学もせずに呑気に花嫁修行なんてしてるから…。こんな結果になって結局これからあの子、どうするつもりかねぇ?」 ってひそひそ声がそこここで交わされてる気がしてどうにも落ち着かない。世間の狭い田舎のこととはいえ年寄りはともかく、若い世代はそこまで他人ごとに関心はないだろうし被害妄想が過ぎるのかもしれないが。少なくとも両親と弟はあれ以来ずっと、わたしに対して腫れ物に触るような接し方のままだ。 だいたい、村の中にこのまま残っても。わたしは今後、ここで何をすればいいんだろう? ぽかんと家のリビングの真ん中で冷たい床にぺったり座り込んで考える。ごく小さい時、ほとんど物心ついた頃にはもう本家の成光くんのお嫁さんになるんだ、って自分でも思い定めてた。それは勝手にこっちが独断で決めたってわけじゃなくて、彼のお母さまの引きがあってのことだったのは間違いないけど。 『…はなみちゃん』 あの頃、わたしが幼稚園の年少のときには彼女も今より当然二十歳近く若かったはずだ。だけどこうして思い返してもほとんど現在と変化したところが見当たらない印象の、当時の記憶に刻まれた由里子さんがはっきりと脳裏に蘇った。 鮮やかな濃い青空と真っ白なむくむくの入道雲。それを背後にわたしの上に覆いかぶさるように覗き込んだ彼女の整った顔立ちの表情は、暗い陰となって細かいところまではよく見て取れない。 あの場所は幼稚園の園庭だったように思う。終園後の園庭開放のときだったか。どういうわけか思い浮かぶその情景の中に他の保護者や子どもたち、わたしの母の姿はない。 その後わたしの『婚約者』になる幼い頃の彼の気配さえも。 彼女は軽く背中を屈めてごく小さなわたしと一対一で対峙し、ゆっくり丁寧に言って聞かせるように口にした。 『…はなみちゃんみたいな可愛いお嬢さんがうちに来て、シゲミツのお嫁さんになってくれたら。本当にわたし、嬉しいわ。これからもずっとあの子と末長く、そばにいて仲良しでい続けてあげてね?…』 彼女がよりによって何故かわたしに目を留めたきっかけは何だったんだろう。今となってはその辺りの事情は判然としない。 大方お弁当を食べるときの班分けが一緒だったとか、お遊戯で隣り合わせになって楽しそうにはしゃいでたとか。せいぜいそのくらいのことだったのかもしれない。だけどきっかけが何かは別にどうでもいいことだったみたいで、由里子さんはそれ以来本気でわたしを小さな跡取り息子の同い年の許嫁として扱った。 他にも集落には同年代の女の子たちが何人もいたのに。何かにつけて本家に招ばれて、将来の女主人としていろいろな行事や決まりごとを早くから経験させられて。将来一族の一員に加わる予定の者として特別扱いを受け続けたのは最初から最後まで、このわたし、木霊葉波だけだった…。 本家の流儀さえきちんと心得てわきまえて、一族の采配が出来るようになりさえすれば将来は安泰に思えてた。だから、高校を卒業したあとにあえてこの上役にも立たない勉強を続ける意味なんて特にないはずだ。とばかりに最初から進学を検討する気にもなれなくて。 だけど、まさかの結果こうなると。もうあの家に嫁入りするって未来は金輪際ないわけだから。…わたし、これから何をして生きていこう? 就職を考えたこともないから資格もバイト経験も何もない。ただの無職のニートそのものだ、婚約を破棄された花嫁修行中の身の女なんて。なんの特技もないしコンビニかファストフードでバイトとか。…それだってそもそもうちの集落にはそんなどこにでもありそうなチェーン店の職場すら存在しないんだよね、都会の人からしたら驚愕ものだろうが。 あるのは個人商店と農家、就職先として花形なのは農協と村役場、郵便局がせいぜい。そういうところに最終的に就職するのは小さい頃からお行儀がよくて野心の少ない穏健な優等生の子たちだ。 もっと出来る子、反対にそれ以下の子は結局ここを出て行く他ない。言うまでもなく両者の行き先はかっきり二手に分かれるけど。 …わたしは当然、後者か。 まさか都市部に出てせいぜいフリーターになるしかない子たちと自分が同じジャンルになるなんてね。 なんて、内心で嘆くところも実はいけすかないと同年代の子たちには思われてたりして。バイトの職歴も外でお金を稼いだこともない分、あんたの方がわたしらより断然下じゃん!と見下されても仕方ないよねぇ…。 「…姉ちゃん、着信。…さっきから鳴ってる」 恐るおそる弟から声をかけられてやっと我に返った。 充電コードに繋ぎっぱなしのわたしのスマホが細かく振動を続けてる。音を出してすらいなかった。本家とはこれで縁が切れちゃうだろうからもう向こうから連絡が来ることもないし、こんなときに面白半分にでも様子を探ってくるような親しい相手もろくにいない。由里子さんや成光くんや本家の人たちとさえ上手く人間関係を作っていければそれでこと足りるって感覚だったのか、あまり本気で気のおけない友人を作ろうって努力もしなかったからなぁ…。 ほんと思い返しても、我ながら実にいけすかない奴だと思う。 フローリングの床にのろのろとお尻を引きずったままスマホに手を伸ばし、気の進まない手つきで引き寄せて表面に視線を流した途端く、と自分の瞳孔が反射的に開いたのがわかった。 そこに表示されてるのは他ならない、本家の由里子さんの名前だった。 「…葉波ちゃん、ごめんね。このたびは、うちの。どうしようもない倅が」 「いえ。…そんな。お母さまのせいでは」
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