第三話

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「それ買って来たら、友情に熱いって認めてくれる?」 「うん。認めたる」 「よっし、買ってくるわ」 「あと、梅茶と梅煎餅、はちみつ梅も」 「……え」 「私の大切なBL本、先生に没収されたままやねんなぁ…」 「………買って来ます」 小さな町と海、そして梅畑が一望出来る梅林公園までの道のりは、山頂へと続く細い農道を登って行く。 普段は人など滅多に通らず、梅農家の軽トラックか、近所のお婆さんが乗る単車、近くに住む住人の車が数台しか通らない寂しい道だが、この二月の時期だけは、他所から来た観梅客が道を埋め尽くす程に往来する。 高速道路から続く閑散とした県道も、他府県ナンバーや観光バスで渋滞を起こす程だ。 麓の広い駐車場に車を停め、人の流れに身を任せて歩いて行くと、「ようこそ梅林へ」と掲げられたアーチが見えてくる。 それを潜って細い坂道をぐんぐんと登って行くと、山肌に沿って広大に植えられた梅畑が姿を現す。 真っ白な小ぶりの花が、ひょろりとした枝にポツポツと付いた様は、桜ほどの豪華さはないものの、控えめで上品な美しさを誇っていた。 時乃にとって、この真っ白な美しさは日常の風景に過ぎなかった。いつも知らぬ間に花を付け、そして知らぬ間に散っている。 視界の隅に映った満開の花に焦点を合わすこともない。 美しいと思うことも、散った後の寂しさすらも感じない。 梅の花とは、そういうものだった。 (うん、綺麗やなぁ…) 坂道の途中にある展望台から梅林を一望して、時乃は染み染みとそんな事を考えていた。 初めて、梅の花をその目に映した気がしていた。 「時乃、この梅煎餅美味しいわ。食べへん?」 振り返ると、母の美津がピンク色の煎餅をバリバリとかじりながら近付いて来ていた。 本当なら、単車を走らせて一人で来る予定だったのだが、芋もちを買いに行くと聞き付けた美津が、自分も一緒に行きたいとついて来たのだった。 母親と出掛けるのが恥ずかしい年頃はすっかり過ぎ、特に嫌でもなかったのだが、彩葉の献上品を買って早くに帰る予定が狂ったのはいただけなかった。 彼女と出掛けると、決まって予定時間を大幅に過ぎてしまうのだ。 「お母さん、さっきからずっとなんか食べてない?」 後から来た観梅客に場所を譲りながらたしなめると、美津は食べる手を休めずあっけらかんと言った。 「えーっと、梅干しにめはり寿司に梅饅頭、ソフトクリーム食べたで。ちょっとしょっぱいの欲しくなってなぁ。これ美味しいで、止まらへんわ」 「食べ過ぎや。後でお腹痛いとか言わんといてや。自分の胃腸を過信したら後で泣くで」 「大丈夫や、まだまだお母さんの胃腸は高校生並みに元気やからな」 「どんな自信やねん。過信が過ぎるわ」 ゆるく一つにまとめた髪を、冷たい風に靡かせながら美津が笑う。 目元の皺が年々深くなっているが、丸顔で二重瞼の大きな瞳のおかげで、彼女は実年齢よりも随分と若く見えた。 童顔で可愛らしい顔は、祖父と瓜二つだ。 残念なことに、時乃はその遺伝子をあまり受け継いでいない。 奥二重の目はさほど大きくはないし、顔の輪郭もたまご型で、童顔でもない。 誰にも言ったことがないが、こっそりと父親似なのだろうと考えている。 櫂の父親と似ているかと言われれば、微妙ではあるのだが。 「時乃、この上の梅林公園でなんか催し物あるみたいやで。行ってみる?」 「えー、まだ登るん?もう欲しい物買ったのに」 「せっかく来たんやから、満喫していかんと。そこで梅酒の試飲もしてるし、美味しいおでんも売ってるから」 「まだ食べるん…」 呆れる時乃を尻目に、美津が軽やかに展望台を降りて坂を登って行く。 (まったく、いつもこうなんやから…) 母は、いつも無邪気だ。 どこへ行っても、人一倍はしゃいでいる気がする。 普段から忙しく、中々ゆっくりとした時間を取れないからだろうか、たまの娘との時間を、名一杯楽しんでいるように見えた。
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