15人が本棚に入れています
本棚に追加
/26ページ
この科に関しては、割と他人の事はどうでもいい時乃であっても、いいイメージは持っていなかった。
「その人がどうかしたん?」
「朝にな、あんたの事訪ねて来とったで。杉村さんいますかぁ?って」
人相の悪いヤンキーを想像して、ゾッと青ざめる。
「え、私なんか悪い事した?」
「いや知らん。なんか身に覚えあんの?」
「いや、ないねんけど…。駐輪場狭いから、先に停めてた単車を勝手にどけたり、クラスのゴミ捨て、外まで持って行くの面倒臭かったから、誰もおらへん教室のゴミ箱に入れさせて貰ったりしたぐらいで…」
「めっちゃあるやん」
「でも、バレてないはずやねん。誰か私のこと、監視してる…!?」
「いや、怖がってる所あれやけど、全然親身になられへんわ。てか、そんな感じの子じゃなかったで?」
「どんな子やったん?」
「なんか、豆柴みたいな可愛らしい男の子やったけど。目がキラキラしてて、まぁ、見るからに…、アホそうやったな」
「アホの岡崎君か…」
「異名みたいに言うなよ。てか同級生みたいやけど、その子知ってる?」
頭の中の記憶を探ってみるが、一つもそれらしい人物が思い浮かばなかった。
同学年の普通科の生徒でさえ、むしろ同じクラスの男子でさえ、名前と顔が一致しているか怪しい。
特に園芸科なんて、分かるはずがなかった。
「うーん、分からへん。私になんの用なんやろ」
「休み時間は教室におるから、時間がある時に顔出して欲しいって言ってたで。気になるんやったら、行ってあげたら?もしかしたら告白かも」
ニコリと微笑む彩葉に、時乃はげんなりしてやった。
「微塵も思てへんくせに」
「うん、おもてへん」
すっかり寝るタイミングを逃してしまい、授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。
席を立って去って行く彩葉を見送りながら、時乃は小さくため息を吐いた。
(気になるから、一応行ってみよかな…)
一限の授業が終わった後、さっそく時乃は一人で園芸科の教室へ向かった。
不安で彩葉を誘ったが、嫌や、ときっぱり切り捨てられた。
それもそうだ、普通科の二号館から随分と離れた三号館の隅に位置する園芸科は、陽当たりも悪くひっそりとしていて、その上教室の外ではいつもガラの悪い生徒が屯している。
普通科の生徒なら絶対に立ち入らない。
それでも時乃は「アホの岡崎君」への興味を捨てきれず、勇気を出して園芸科の門を叩くことにした。
ドキドキとしながら、教室の入り口付近にいた金髪の男子に話しかける。
「あの、すみません。ちょっといいですか」
同級生なのに敬語にしたのは、彼がもしかしたら留年していて年上かもしれないからだ。
園芸科は留年する生徒が多いらしい。
金髪の生徒は「なに?」とすげないながらも、対応してくれた。
「あの、アホな豆柴の岡崎君、いますか?」
「なにその異名」
「あ、ごめんなさい。えっと、きらめく眼光の岡崎君、いますか」
「だからなにその異名」
緊張する時乃に、金髪男子は首を傾げつつ、「おーい」と教室の中へ言葉を投げると、「岡崎って誰やー」と同じクラスメイトであるはずなのにそう尋ねた。
中から、「おったっけそんな奴ー」と誰かが言う。
しかし、一人の人格者が「岡崎やったら農場からまだ戻ってないでぇ」と教えてくれた。
ありがとうございます、とお礼を言い、園芸科が所有する、校舎裏の農場へ足を向ける。
教室におるって言ったやん、とげんなりしながら、時乃は外をとぼとぼと歩いた。
ここで予鈴が鳴ったら帰ろう、と心に決めた時、ふいに青い作業着を着て帽子を深く被った少年が、前方からゆっくりと歩いて来るのに気が付いた。
履いている白い長靴が土で汚れている。
その事に気を取られていると、長靴がその場でピタリと止まった。
顔を上げると、少年と目が合った。
人懐っこそうな瞳がクリクリとしている少年だった。
色白の頬は赤子のようにほんのり赤く火照っていて、顔も小さいせいか、男の子であるはずなのに、どこか頼りなげに見える。
彩葉の言った、「豆柴」の表現はピッタリだったと考えた時、彼がハッと目を見張った。
「あの、杉村時乃さんですか?」
そう発した声は低く、声変わりを終えた男の子のものだった。
フルネームで訊ねられたので、一瞬、たじろぐ。
「あ、はい、杉村です…」
彼は丁寧に帽子を取ると、ペコリと頭を深々下げた。
短く切った髪のせいか、つむじまで見える。
「すみません、今朝そちらのクラスに訪ねたのは俺です。岡崎櫂といいます」
「は、はぁ…」
「お、俺、杉村さんにどうしても言いたい事があって…!」
色白の顔が、充血したように赤く染まる。
彼の真っ赤な顔を眺めながら時乃は思った。
(あれ、これもしかして、彩葉が冗談で言ってたアレかな?いやでも、私こんなんやのに…)
アメリカ軍が着ているような厚手のジャケットを羽織り、膝丈スカートの下は寒さ対策でジャージを履いている。
前髪は跳ね上がって死んでいるし、寝坊して朝も顔をちゃんと洗ったか覚えていない。
(そう言う事やったら、もっとちゃんとしたのに…。前もって教えてくれたら、前髪、直したのに…)
頭の中でぼんやりとそんな事を考えながら待っていると、彼は苦しい顔をして小さく叫んだ。
「す、杉村さんは、お、俺の…っ」
(初恋です…?)
「俺の、兄妹やねん…!」
「………え」
目の前で、真っ赤になった少年がプルプルと仔犬のように震えている。
時乃は真っ青になって、ある意味震えた。
最初のコメントを投稿しよう!