第一話

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この科に関しては、割と他人の事はどうでもいい時乃であっても、いいイメージは持っていなかった。 「その人がどうかしたん?」 「朝にな、あんたの事訪ねて来とったで。杉村さんいますかぁ?って」 人相の悪いヤンキーを想像して、ゾッと青ざめる。 「え、私なんか悪い事した?」 「いや知らん。なんか身に覚えあんの?」 「いや、ないねんけど…。駐輪場狭いから、先に停めてた単車を勝手にどけたり、クラスのゴミ捨て、外まで持って行くの面倒臭かったから、誰もおらへん教室のゴミ箱に入れさせて貰ったりしたぐらいで…」 「めっちゃあるやん」 「でも、バレてないはずやねん。誰か私のこと、監視してる…!?」 「いや、怖がってる所あれやけど、全然親身になられへんわ。てか、そんな感じの子じゃなかったで?」 「どんな子やったん?」 「なんか、豆柴みたいな可愛らしい男の子やったけど。目がキラキラしてて、まぁ、見るからに…、アホそうやったな」 「アホの岡崎君か…」 「異名みたいに言うなよ。てか同級生みたいやけど、その子知ってる?」 頭の中の記憶を探ってみるが、一つもそれらしい人物が思い浮かばなかった。 同学年の普通科の生徒でさえ、むしろ同じクラスの男子でさえ、名前と顔が一致しているか怪しい。 特に園芸科なんて、分かるはずがなかった。 「うーん、分からへん。私になんの用なんやろ」 「休み時間は教室におるから、時間がある時に顔出して欲しいって言ってたで。気になるんやったら、行ってあげたら?もしかしたら告白かも」 ニコリと微笑む彩葉に、時乃はげんなりしてやった。 「微塵も思てへんくせに」 「うん、おもてへん」 すっかり寝るタイミングを逃してしまい、授業開始を告げるチャイムが鳴り響く。 席を立って去って行く彩葉を見送りながら、時乃は小さくため息を吐いた。 (気になるから、一応行ってみよかな…) 一限の授業が終わった後、さっそく時乃は一人で園芸科の教室へ向かった。 不安で彩葉を誘ったが、嫌や、ときっぱり切り捨てられた。 それもそうだ、普通科の二号館から随分と離れた三号館の隅に位置する園芸科は、陽当たりも悪くひっそりとしていて、その上教室の外ではいつもガラの悪い生徒が屯している。 普通科の生徒なら絶対に立ち入らない。 それでも時乃は「アホの岡崎君」への興味を捨てきれず、勇気を出して園芸科の門を叩くことにした。 ドキドキとしながら、教室の入り口付近にいた金髪の男子に話しかける。 「あの、すみません。ちょっといいですか」 同級生なのに敬語にしたのは、彼がもしかしたら留年していて年上かもしれないからだ。 園芸科は留年する生徒が多いらしい。 金髪の生徒は「なに?」とすげないながらも、対応してくれた。 「あの、アホな豆柴の岡崎君、いますか?」 「なにその異名」 「あ、ごめんなさい。えっと、きらめく眼光の岡崎君、いますか」 「だからなにその異名」 緊張する時乃に、金髪男子は首を傾げつつ、「おーい」と教室の中へ言葉を投げると、「岡崎って誰やー」と同じクラスメイトであるはずなのにそう尋ねた。 中から、「おったっけそんな奴ー」と誰かが言う。 しかし、一人の人格者が「岡崎やったら農場からまだ戻ってないでぇ」と教えてくれた。 ありがとうございます、とお礼を言い、園芸科が所有する、校舎裏の農場へ足を向ける。 教室におるって言ったやん、とげんなりしながら、時乃は外をとぼとぼと歩いた。 ここで予鈴が鳴ったら帰ろう、と心に決めた時、ふいに青い作業着を着て帽子を深く被った少年が、前方からゆっくりと歩いて来るのに気が付いた。 履いている白い長靴が土で汚れている。 その事に気を取られていると、長靴がその場でピタリと止まった。 顔を上げると、少年と目が合った。 人懐っこそうな瞳がクリクリとしている少年だった。 色白の頬は赤子のようにほんのり赤く火照っていて、顔も小さいせいか、男の子であるはずなのに、どこか頼りなげに見える。 彩葉の言った、「豆柴」の表現はピッタリだったと考えた時、彼がハッと目を見張った。 「あの、杉村時乃さんですか?」 そう発した声は低く、声変わりを終えた男の子のものだった。 フルネームで訊ねられたので、一瞬、たじろぐ。 「あ、はい、杉村です…」 彼は丁寧に帽子を取ると、ペコリと頭を深々下げた。 短く切った髪のせいか、つむじまで見える。 「すみません、今朝そちらのクラスに訪ねたのは俺です。岡崎櫂(おかざきかい)といいます」 「は、はぁ…」 「お、俺、杉村さんにどうしても言いたい事があって…!」 色白の顔が、充血したように赤く染まる。 彼の真っ赤な顔を眺めながら時乃は思った。 (あれ、これもしかして、彩葉が冗談で言ってたアレかな?いやでも、私こんなんやのに…) アメリカ軍が着ているような厚手のジャケットを羽織り、膝丈スカートの下は寒さ対策でジャージを履いている。 前髪は跳ね上がって死んでいるし、寝坊して朝も顔をちゃんと洗ったか覚えていない。 (そう言う事やったら、もっとちゃんとしたのに…。前もって教えてくれたら、前髪、直したのに…) 頭の中でぼんやりとそんな事を考えながら待っていると、彼は苦しい顔をして小さく叫んだ。 「す、杉村さんは、お、俺の…っ」 (初恋です…?) 「俺の、兄妹(きょうだい)やねん…!」 「………え」 目の前で、真っ赤になった少年がプルプルと仔犬のように震えている。 時乃は真っ青になって、ある意味震えた。
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