第一話

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岡崎櫂の家は、町を取り囲む山の奥地にあった。 車一台分しか通れない道幅に、コンクリートがデコボコとしてうねっている山道は、通学用のバイクで登るには非常に劣悪な環境で、時乃は度々足でバイクを支えながら走るはめになった。 「ほ、ほんまに、こんな所に、家あるん!?」 ゴロゴロ転がっている石のせいで車体がバウンドし、体が大きく上下する。 「あああああ」とビブラートを轟かせながら、時乃は必死にバイクを走らせた。 獣でも出てきそうな山深い道を進むと、ふいに目の前に民家が見えて来た。 他に集落もないので、ここが岡崎櫂の家だろう。 とても大きく古い屋敷の周りには、数棟の倉庫が建ち、奥には大きな農業ハウスが見えた。 広い庭には綺麗に整えられた植木が周囲を囲っている。 中央には軽トラックが停めてあって、時乃はその横にバイクを停めると、屋敷の玄関へ向かってそろそろと歩いた。 「ありゃりゃ、どこの娘さんな?」 玄関のインターホンを押そうとした時だった。 突然背後から声をかけられ、時乃は泡を食って振り返った。 庭の真ん中で、目を丸くしてこちらを見ているお婆さんがいる。 農作業をしていたのだろうか、ヤッケを履き、頭に花柄の帽子を深々と被っていた。 「あ、あの、お、岡崎君の…」 緊張し過ぎてどもってしまう時乃に、お婆さんはシワを深めてニッコリと笑った。 「櫂のお友達やんなぁ?こんな所までよう来てくれはって。まぁ家に上がって行きやんせ」 「あ、ありがとうございます。あの、えっと、岡崎君は…?」 「櫂なら裏の畑におるよ。呼んでくるとええわ。そこの裏道から行けるよってに」 「あ、はい」 屋敷の裏山にある小道を教えて貰った時乃は、急な斜面を必死に登った。 途中から真っ白な花を咲かせた梅畑と、地面に可愛らしい黄色の花を付けた菜の花が見えて来る。 甘くツンとする梅の香りが、冷たい風に乗って漂っていた。 「あ!!」 しばらく梅林の中を歩いていると、夏の雲のような白い花々の先に、人影を見付けた。 向こうもこちらに気付いたのだろう、梅の枝を掻い潜りながら少年が顔を出した。 時乃を認めた途端、パッと笑顔を輝かせる。 「来たんや。道分かった?」 岡崎櫂は、白い作業服を身につけ、足には地下足袋を履き、手には剪定バサミを握っていた。 その出立に少し驚きつつ、時乃はムッと顔をしかめた。 「あのさぁ、来てって言ったら、そこにおってもらわへんと困るんやけど。この前も、呼び出しておいて教室おらへんかったし」 会って早々たしなめると、岡崎櫂は頭に被っていたキャップを取りつつ「ごめんごめん」と軽く謝った。 「俺、じっと出来へんタチで。ちょっとだけなら剪定出来るかなぁ思って」 時乃は、呆れながら畑を見渡した。 随分と高く登って来たのだろう、遠くに青い海と小さな町が見えている。 稜線が見える山々には、積もった雪のように梅花が咲き乱れていた。 「この時期に剪定?もう終わってる時期ちゃうん?」 地面に落ちた枝を見つめながら言うと、岡崎櫂は嬉しそうに言った。 「知ってるんや。杉村さん家も梅農家?」 「うん。まぁじいちゃんばぁちゃんが細々やってるくらいやけど」 「そっか。ちなみにこの時期でも剪定は出来るんやで。まぁ、花がつく前に終わるのが理想やけど」 時乃は「ふーん」と気がなく頷いた後、岡崎櫂をチラリと見た。 純粋そうな大きな瞳が、ニコニコとこちらを見ている。 居心地が悪くなったので、何か喋らなくてはと、口を開いた。 「家の仕事、手伝ってるん?」 そう訪ねると、彼は小さく頷いた。 「うん。じいちゃんもばぁちゃんも歳やしな」 「えらいなぁ。普通は出来へんもんやで。園芸科入ったくらいやから、こう言う仕事は、やっぱり好きなん?」 うん、と大きく頷くかと思ったが、岡崎櫂は意外にも「うーん」と難しい顔をした。 「いや、別に好きではないよ。しないと、あかんってだけで。園芸科に入ったのも、俺が単にアホやったからやし。あ、でも学校は楽しいで。ガラ悪い人多いけど、案外みんな楽しそうにやってるし」 苦笑しながら頭をかく岡崎櫂に、時乃は口を開きかけてやめた。 「好きじゃなかったら、楽しくないやん」と言いかけたが、何となく目の前の少年に言うべきではないと思ったのだ。 彼の言った、「しないと、あかん」と言う言葉が、引っかかった。 (しないとあかんって、なんか、諦めてるように聞こえるのは、気のせいやろうか…) 岡崎櫂から視線を外し、ぼんやりと景色を眺めながら考える。 岡崎櫂はおもむろに時乃の隣に立つと、「綺麗やなぁ」と感慨深い息を吐いた。 彼の短い髪が、梅の香りがする風に揺れる。 「私は見慣れたわ。家の裏、毎年真っ白やし。当たり前に身近にあるもんは、あんまり綺麗やって思われへんのかな」 「そう?俺は毎年、綺麗やなぁって思うで」 「ふーん」 「杉村さんは情緒がないんやな」 「うるさいわ」 二人でクスクスと笑った後、時乃は忘れかけていた本題を切り出した。 「で、見て欲しいものってなに?」 岡崎櫂は、それまでの穏やかな表情をキュッと引き締めると、「うん」と強く頷いて、人差し指を梅林の先へ向けた。
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