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岡崎櫂の家は、町を取り囲む山の奥地にあった。
車一台分しか通れない道幅に、コンクリートがデコボコとしてうねっている山道は、通学用のバイクで登るには非常に劣悪な環境で、時乃は度々足でバイクを支えながら走るはめになった。
「ほ、ほんまに、こんな所に、家あるん!?」
ゴロゴロ転がっている石のせいで車体がバウンドし、体が大きく上下する。
「あああああ」とビブラートを轟かせながら、時乃は必死にバイクを走らせた。
獣でも出てきそうな山深い道を進むと、ふいに目の前に民家が見えて来た。
他に集落もないので、ここが岡崎櫂の家だろう。
とても大きく古い屋敷の周りには、数棟の倉庫が建ち、奥には大きな農業ハウスが見えた。
広い庭には綺麗に整えられた植木が周囲を囲っている。
中央には軽トラックが停めてあって、時乃はその横にバイクを停めると、屋敷の玄関へ向かってそろそろと歩いた。
「ありゃりゃ、どこの娘さんな?」
玄関のインターホンを押そうとした時だった。
突然背後から声をかけられ、時乃は泡を食って振り返った。
庭の真ん中で、目を丸くしてこちらを見ているお婆さんがいる。
農作業をしていたのだろうか、ヤッケを履き、頭に花柄の帽子を深々と被っていた。
「あ、あの、お、岡崎君の…」
緊張し過ぎてどもってしまう時乃に、お婆さんはシワを深めてニッコリと笑った。
「櫂のお友達やんなぁ?こんな所までよう来てくれはって。まぁ家に上がって行きやんせ」
「あ、ありがとうございます。あの、えっと、岡崎君は…?」
「櫂なら裏の畑におるよ。呼んでくるとええわ。そこの裏道から行けるよってに」
「あ、はい」
屋敷の裏山にある小道を教えて貰った時乃は、急な斜面を必死に登った。
途中から真っ白な花を咲かせた梅畑と、地面に可愛らしい黄色の花を付けた菜の花が見えて来る。
甘くツンとする梅の香りが、冷たい風に乗って漂っていた。
「あ!!」
しばらく梅林の中を歩いていると、夏の雲のような白い花々の先に、人影を見付けた。
向こうもこちらに気付いたのだろう、梅の枝を掻い潜りながら少年が顔を出した。
時乃を認めた途端、パッと笑顔を輝かせる。
「来たんや。道分かった?」
岡崎櫂は、白い作業服を身につけ、足には地下足袋を履き、手には剪定バサミを握っていた。
その出立に少し驚きつつ、時乃はムッと顔をしかめた。
「あのさぁ、来てって言ったら、そこにおってもらわへんと困るんやけど。この前も、呼び出しておいて教室おらへんかったし」
会って早々たしなめると、岡崎櫂は頭に被っていたキャップを取りつつ「ごめんごめん」と軽く謝った。
「俺、じっと出来へんタチで。ちょっとだけなら剪定出来るかなぁ思って」
時乃は、呆れながら畑を見渡した。
随分と高く登って来たのだろう、遠くに青い海と小さな町が見えている。
稜線が見える山々には、積もった雪のように梅花が咲き乱れていた。
「この時期に剪定?もう終わってる時期ちゃうん?」
地面に落ちた枝を見つめながら言うと、岡崎櫂は嬉しそうに言った。
「知ってるんや。杉村さん家も梅農家?」
「うん。まぁじいちゃんばぁちゃんが細々やってるくらいやけど」
「そっか。ちなみにこの時期でも剪定は出来るんやで。まぁ、花がつく前に終わるのが理想やけど」
時乃は「ふーん」と気がなく頷いた後、岡崎櫂をチラリと見た。
純粋そうな大きな瞳が、ニコニコとこちらを見ている。
居心地が悪くなったので、何か喋らなくてはと、口を開いた。
「家の仕事、手伝ってるん?」
そう訪ねると、彼は小さく頷いた。
「うん。じいちゃんもばぁちゃんも歳やしな」
「えらいなぁ。普通は出来へんもんやで。園芸科入ったくらいやから、こう言う仕事は、やっぱり好きなん?」
うん、と大きく頷くかと思ったが、岡崎櫂は意外にも「うーん」と難しい顔をした。
「いや、別に好きではないよ。しないと、あかんってだけで。園芸科に入ったのも、俺が単にアホやったからやし。あ、でも学校は楽しいで。ガラ悪い人多いけど、案外みんな楽しそうにやってるし」
苦笑しながら頭をかく岡崎櫂に、時乃は口を開きかけてやめた。
「好きじゃなかったら、楽しくないやん」と言いかけたが、何となく目の前の少年に言うべきではないと思ったのだ。
彼の言った、「しないと、あかん」と言う言葉が、引っかかった。
(しないとあかんって、なんか、諦めてるように聞こえるのは、気のせいやろうか…)
岡崎櫂から視線を外し、ぼんやりと景色を眺めながら考える。
岡崎櫂はおもむろに時乃の隣に立つと、「綺麗やなぁ」と感慨深い息を吐いた。
彼の短い髪が、梅の香りがする風に揺れる。
「私は見慣れたわ。家の裏、毎年真っ白やし。当たり前に身近にあるもんは、あんまり綺麗やって思われへんのかな」
「そう?俺は毎年、綺麗やなぁって思うで」
「ふーん」
「杉村さんは情緒がないんやな」
「うるさいわ」
二人でクスクスと笑った後、時乃は忘れかけていた本題を切り出した。
「で、見て欲しいものってなに?」
岡崎櫂は、それまでの穏やかな表情をキュッと引き締めると、「うん」と強く頷いて、人差し指を梅林の先へ向けた。
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