第一話

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古い二階建ての日本家屋は、まだ冬の寒さが残る山の中で、堂々とした存在感を放って建っていた。 山頂付近に一棟だけ建つこの屋敷は、まるで地表に広がる街から切り離され、そして時間の流れからも取り残されているように見えた。 岡崎櫂は、土で薄汚れた長靴を脱いでサンダルに履き替えると、屋敷を見上げる時乃に明るく言った。 「なかなかのビンテージもんやろ」 「ビンテージて…」 目の前にいる若い少年だけが、時間を進めているように見える。 時乃は緊張しながらも、屋敷の中へ入って行く岡崎櫂の後に、そろそろと続いた。 入ってすぐ、壁際に飾られた鹿の角が目に入った。その下には洋風の造花が飾られており、妙なコラボレーションが演出されている。 たぶん、家族の人、各々の趣味が合わさった結果なのだろう。 自分の家も、木彫りの熊とマトリョーシカが共演している。 「おじゃまします」と家に上がると、家庭の匂いがグッと強くなった。 古い畳の匂い、奥の仏間からの線香の香り、そして朝に魚を焼いたのだろう、香ばしい匂いが混ざり合って漂っている。 時乃は他所の家の匂いがわりと好きで、前を歩く岡崎櫂に悟られないよう、クンクンと周囲を嗅ぎながら長い廊下を歩いた。 古い家だが、中はとても掃除が行き届き、物も綺麗に整頓されていた。 前を歩く岡崎櫂に、その事を関心しながら言うと、「俺が掃除担当やから」と何故か誇らしげに言われた。 「こっち」 長い廊下を進んだ後、家の最奥にあたる場所で、岡崎櫂は隠し戸のような小さなドアをあけた。 すると、足幅が非常に狭い階段が現れた。 本気で八十度近くあるんではないかと思う程の急な階段だった。 「危ないから、先に上がって」 「え、ここ、上がれるん?」 「全身を使ってよじ登る感じやな」 時乃はゴクリと唾を飲んで階段を見上げる。 ジーンズを履いて来て良かったと思いながら、仕方なく足を掛けて少しずつよじ登った。 恐々階段を上り終えると、狭い廊下の脇に、ボロボロの襖があった。 そこ開けて、と頼まれ、またまた恐る恐る襖に手をかける。 立て付けが非常に悪かったので、力一杯引っ張っていると、後ろから岡崎櫂の腕が伸びて、容易く襖を開けた。 「ここって…」 襖の先は小さな部屋になっていて、古い木の机と本棚、そして本棚に入り切らなかった大量の書物が所狭しと積み上げられていた。 本の埃っぽい匂いと、朽ちた木の匂いがツンと鼻の奥を刺激する。 岡崎櫂は、本の山を慎重に避けながら中へ入ると、「おいで」と手招きした。 「あんまり、入った形跡残したくないから、気を付けて」 「う、うん…。あの、ここって…?」 何故だか冷や冷やしながら聞くと、岡崎櫂はあっさりと言った。 「親父の書斎や。今はあんまり使ってないけど」 「勝手に入って、いいん?」 「あかんから、こっそり入ってるんや」 「えぇー…」 急に悪い事に加担させられ、冷や汗が出る。 前もって言っといて欲しかったと思いつつ、ここまで来たら仕方ないかと時乃は腹を括った。 本の山の間をヨロヨロとすり抜け、岡崎櫂の隣に立つ。 「で、見せたいものってなんなん?もしかして、写真、とか?」 岡崎櫂は、意味ありげにふっ、と笑うと、乱雑に置かれていた本を一つ手に取り、間に挟まれていた小さな鍵を取り出した。 その鍵で机の引き出しを開け、青い手帳と、微かに黄ばんだ小さなアルバムを取り出した。 アルバムは、現像屋さんがオマケにくれたものらしく、店名が書かれていた。 「ご名答やな。大体そう言う証拠って、写真やろ」 岡崎櫂は何度もこのアルバムを見たのだろう、手慣れた手付きで開くと、埃が微かに浮かぶ机の上にそっと置いた。 「これ、この人。杉村さんのお母さんちがう?杉村美津さん」 時乃は前屈みになって、ジイッと写真を覗き込んだ。 山や花などの風景の写真が入れられた中に、一枚だけ、人の姿が映った写真がある。 梅の花が咲き乱れる中、風で舞い上がる長い黒髪を手で押さえ、優しく微笑んでいる女性がいた。 間違いなく、若かりし頃の母親の姿だった。 現在、当時の面影はほとんどなくても、家のアルバムで同じ顔の女性を見ていたので、すぐに母であると分かった。 「これ、お母さんや。でも、これがなんの証拠に…」 岡崎櫂は、時乃の疑問に答えるように、今度は手帳を開いて見せた。 「これ、この日付け。見覚えない?」 岡崎櫂が指差す日付けの欄には、「誕生」とだけ書かれていた。 「誕生…」 ハッとして、もう一度写真を見る。 写真の中の女性のお腹が、ぷっくりと膨らんでいた。
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