第一話

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農作業のせいだろうか、肌はよく日に焼け、深いシワを刻んでいたが、高い鼻梁ときりりとした目元が印象的な、整った顔立ちの男性だった。 たぶん、若い時は非常に二枚目だったに違いない。 気難しそうにも見えるし、穏やかそうにも見える、不思議な雰囲気の持ち主だった。 岡崎櫂が成長したら、このような大人になるのだろうか、と時乃はチラリと思った。 だが、幾つになっても彼の頼りなさは抜けきらない気もする。 (これが、ウチのお父さん、かもしれん人なんか…) 不思議な感覚だった。 それまで、父親の存在を気にしたことなど無かったし、母親に、お父さんはどこ?と聞いたことすらなかった。 幼心に聞いてはいけないと思っていた気もするし、そもそも興味がなかった気もする。 だが、こうして目の前にすると、胸がざわついて、変な気分になった。 そんな時乃を前に、岡崎櫂の父親は、目の前の光景に酷く狼狽えているようだった。 彼が驚いているのも頷ける。 時乃は、まだ岡崎櫂の腕の中にいたのだ。 離れようと腕を押したが、それを力強い腕が阻止する。 ぎょっとしていると、これまたぎょっとする事を岡崎櫂は言った。 「彼女出来てん」 「え!?」 そう声を上げたのは、時乃と父親、同時だった。 「お、お前、やからって、こんな所でお前…」 父親が、おずおずと時乃に視線を向ける。 ドキッとしたが、時乃の顔を見て、彼が何か特別な反応を見せることはなかった。 岡崎櫂は時乃の手を引くと、固まる父親を呑気な調子で通り過ぎた。 そして振り向き、ニッと屈託なく笑う。 「家の中案内しとったら、誰もおらんしいい雰囲気になってしもうて。ごめん、今度からは気をつけるわ」 話の内容よりも、いけしゃあしゃあと嘘を付く岡崎櫂に、時乃は酷く驚いた。 虫も殺せなさそうな、お人好しを絵に描いたような雰囲気の彼なので、このように平気な顔を見せながら軽やかに嘘をつくとは、思ってもいなかったのだ。 もしかしたら、平気で嘘を吐けるタイプの人間かもしれない。 そう思って一瞬冷やりとしたが、父親から逃げるように離れた後、「焦ったー」と青くなって脱力する彼に、それは考え過ぎであると直ぐに考えを改めた。 だからと言って、自分はまだ彼に対して警戒はといていない。 心を許せる程、彼を十分に知っている訳ではないのだ。 岡崎櫂は、「とりあえずこの話は今日でおしまい。あとは彼女のフリして」と言って申し訳なさそうに微笑んだ。 時乃も従う他なかったので、後から彼女の存在を聞き付けた祖母に盛大な歓迎を受けても、彼女のフリを必死に演じたのだった。 「あのさ、これだけ、聞いていい?」 帰る為、庭の単車に跨った時だった。 ヘルメットを被りながら、時乃は見送りに来た岡崎櫂に言った。 「なんで、私に教えようと思ったん?たぶん、何かが変わる訳でもないと思うし。それは岡崎君だって分かってるやろ?私に教えて、どうしたかったん?」 責めている訳ではなく、純粋な疑問だった。 それを聞かなくては、あっさり帰れない気がしたのだ。 岡崎櫂は、ある程度その質問を予想していたのだろう、つまる事なく答えた。 「嬉しかったから」 「え…?」 ヘルメットの紐を止めるのも忘れ、岡崎櫂を見る。 色白の頬がほんのりと赤く染まっている。 紅をさしているように見えるのに、彼にはとても似合っているように見えた。 「普通に、嬉しかったんや。なんか、ずっと、ずっと、……寂しかったから。どんな形であれ、俺に血の繋がった妹がいてるって思うと、嬉しくて仕方なかった」 不覚にも胸が切なくなって、底の方が締め付けられた。 「な、何言ってるんや…。不倫相手の子やで?お母さんが出て行った原因になった娘かもしれへんのに。普通は、気色悪いやろ」 今度こそ責めるように言ったが、岡崎櫂は怯まなかった。 むしろ、嬉しそうに笑った。 「全然、そんなん思わへんかった。俺がここにおるって、杉村さんに早く知って欲しかった」 赤くなっているであろう顔を、時乃は慌ててフイと隠した。 「アホやん。こんな安いメロドラマみたいな展開、全然面白くないわ」 「ごめん、杉村さんは、嫌やったよな」 やっと不安げな様子を見せた岡崎櫂を尻目に、時乃はバイクのキーを回してエンジンをふかせた。 「嫌やな。と言うか、認めたくない」 「え…」
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