10人が本棚に入れています
本棚に追加
出版社から書籍化の打診を受け、俺は一度お礼をしようと再び彼の家を訪れた。
だが。
目の前に建っていたのは、どこからどう見ても廃墟だった。もう何年も人が住んでいないようにしか見えなかった。
俺がこの家で彼に会い、異次元へのチャンネルを開いてから、まだ一年も経っていない筈だ。それなのに……。
俺は不意に気づいた。──彼の顔も名前も思い出せない。旧友だったのに。……旧友? どうして俺は彼を旧友だと思っていた?
同時に思い出した。ここのところ、作品へのコメントやSNSのメッセージに、「作品に出て来た怪物の悪夢を見た」「白昼夢を見た」という声が増えている。
まさか、この感応能力は伝染するのか?
作品やSNSの投稿を通じて、異次元へのチャンネルが開く者が出て来ている?
「やあ、久しぶりだね」
そこまで考えた時、後ろから声をかけられた。
彼だった。
そこに確かにいるというのに、彼の人相も服装もわからない。どうしても認識出来ない。笑っているのはわかるのに、その顔の造作がわからない。彼は無貌の男だった。
「おまえは……」
「書籍化が決まったそうじゃないか、おめでとう。これで君の名がまた高まるね」
そんなことじゃない。
「一体……何なんだ、おまえは。なんで俺の友人を装うんだ? 俺に何をさせたいんだ!?」
彼はにやりと笑った。
「ああ、やっと気づいたんだね」
その表情を見て、俺の中でパズルのピースがはまるように考えが組み立てられた。
一つ一つはごく小さい穴でも、たくさん開けばそれだけ壁は弱くなる。弱まった壁に、いつか亀裂が入ったら。そこから、上澄みどころではない力が、こちらの世界に降り注ぐだろう。そうなったら……地球は。世界は。
伝えることで感覚が伝染するのなら。チャンネルが開いた誰かがまた誰かに伝えたら、穴は開き続けることになる。今でも、どこかで。
「その通りだよ」
彼は俺の頭の中を読んだように答えた。
「この感覚は感染する。君の作品から、伝えることでね。僕としてはSNSでちょっと広めてくれればいいか、くらいのつもりだったんだが、君は本当によくやってくれた」
「おまえ……『彼ら』の仲間なのか?」
「僕はただの〈端末〉さ。この世界で活動するには、僕の本体は強すぎるからね」
顔のない顔が笑う。
「どうしてこんなことを? おまえらにとって、人間なんて虫けらみたいなもんだろう!?」
「人間だって、虫の羽や足をもいだり、アリの巣に水を入れて右往左往するのを楽しむ奴はいるだろう? それと同じ、無邪気な嗜虐心だよ。暇つぶしにはちょうどいい」
「暇つぶし……だと?」
「僕らは君達とはタイムスケールが違うからね、こういう地道な実験も出来るわけさ。どうせ戯れに作ってほったらかしている宇宙だ、少々遊んだって構わないだろう。……ああ、安心してくれ、君以外にも感染源はいる。君一人が地球の破滅を呼んでるわけじゃない」
俺は思わずその場に膝をついた。俺だけではないとは言え、俺は地球の破滅に手を貸してしまったのだ。こんな遊び半分の奴の口車に乗って。
「そうそう、因果律をあまりいじらない方がいいよ。そのうち大きな揺り戻しが来るからね」
彼は俺に背を向け、そのまま虚空に姿を消した。それっきり、彼に会うことはなかった。
俺はすぐに自分の作品を削除しようとしたが、どうしても出来なかった。サイト自体から退会しようとしても、無駄だった。
彼が何かしたのか、それとも因果律に手を加えた揺り戻しが来たのかはわからない。しかし、作品はすでにネットの海から引き上げることは不可能だった。
書籍化の話も、もはや断れるタイミングにはなかった。俺に出来ることは、この本が売れないように願うことだけだ。
そして。
これを読んでいる君に言いたい。
もしも俺の話をうっかり目にしてしまって、その後奇妙で強大でおぞましい生き物の悪夢や幻覚を見てしまったら、それをSNSで広めたり小説や漫画に書いてしまってはいけない。そうすればそこから感覚は伝染し、この世界の破滅に手を貸してしまうことになる。
「彼ら」を感じ取った者であれば、普通の悪い夢との区別はつくだろう。あの、自らの存在を揺るがすような感覚は他では味わえない。
もし、感じ取ってしまったなら。
力の存在を感じても、因果律を操作してはいけない。むしろ、俺達の開けた穴が塞がるような使い方をしてくれ。
俺という馬鹿な奴の頼みを、どうか聞いてくれ。
ああ、どうやら揺り戻しが来たようだ。
俺の存在はもう
(この投稿以降、この作者の作品は更新されていない。)
最初のコメントを投稿しよう!