第一章 逃げるが勝ち

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第一章 逃げるが勝ち

 ――またかよ、面倒くさいな。  校門目前で筋肉質の男に足止めされ、少年は何度目かもわからないため息をついた。  男、と言っても見ず知らずの相手というわけではない。彼の通う桜泉ヶ丘高等学校の体育教師だ。  精一杯の受験の甲斐もあって、この辺り一番の私立高校に入学したのが去年の四月。あの日の胸がはずむ思いは概ね裏切られることなく、今日で一年と二ヶ月が経過した。ホームページに大きく掲げられた「自立」という理念通り、それなりにのびのびと自由に過ごしてきたが、  「おーい東堂、お前それ本当に地毛か?」  これだけは想定外だった。  『有名私立』の肩書きに縋るこの学校は、学力ではなく、生徒の容姿に関する指導がやけに厳しいのだ。化粧から染髪まで、必要以上に取り締まられる。  この教師に絡まれる回数も、今回で片手では収まらなくなってしまった。  とはいえ、彼が特別変わった見た目をしているわけでもない。すらりと伸びた四肢に、人の良さそうな顔立ち。小動物を彷彿とさせる優しそうな垂れ目。きっちりと丁寧に着られた制服。寧ろ、誰に聞いても『好青年』と評されそうだ。ただ一点、陽に当たり、艶やかに輝く明るい茶髪を除いては。  「やだな先生。いつも言ってるじゃないですか」  彼は意図して眉を下げ、人好きのする笑みを浮かべる。  が、実際には背に回した両手を堅く握り、眉間のしわを抑えるのに必死になっていた。    それも当然だろう。これまで何度も訴えてきたのだ。  「これは地毛です、って!」  まさに冤罪。事実無根。いい迷惑である。呆れて物も言えないとはこのことだ。  ふん、と鼻を鳴らし、彼は保っていた表情を思い切り崩した。  「やっと本性現しやがったな。今日こそ吐け!」  「何ですかこれ取り調べですか? 顔怖いですよ先生」  苦虫を噛み潰したような顔で近づいてくる教師から、数歩下がって距離を取る。  尋常ではない様子に、校舎へ足を進める生徒たちから次々に無遠慮な視線を向けられる。その表情は、彼の身を案じるよりも何か面白いテレビ番組でも見ているようで、見世物になっている感覚に冷や汗が滲んだ。  しかし、ここで引くわけにはいかないのだ。  凶悪そうな笑みを浮かべる教師の後ろに、全身を使って威嚇をするゴリラの姿が重なって見えた。そこまでしっかりと見据えた彼は、挑発するように口端をあげ、  「――今日こそ、負けを認めさせてやりますから!」  「させねえよ。落ち着け颯」   いつの間にやら隣に控えていた親友に、東堂(とうどう)(はやて)は勢いよく頭を叩かれた。
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