第一章 逃げるが勝ち

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 颯は、基本的に文武両道の優等生として知られている。  成績優秀、容姿端麗。所属する弓道部員の中でも、全国レベルの腕前を誇る期待のエース。その爽やかさも相まって、生徒から教師まで人気が高く、第一印象で彼に勝る者はいない――  「――けどなんか、惜しいよなあ」  「何が?」  憐むような目線を送ってくる親友に、颯は心底憤慨していた。  雲のほとんどない晴天の中、校舎に向かう二人に遮るものもなく陽が照りつける。梅雨時には珍しい快晴だが、長く続いた雨天で慣らされた体に強い日差しは毒だ。あまりの眩しさに颯は眉を寄せた。  未だむしゃくしゃする心は、まさしく足元から熱を起こす乾ききったアスファルトのごとく、中途半端に熱され冷えきらない。  親友、勅使河原(てしがわら)(とおる)の手により、颯と教師との攻防は終わりを迎えた。「そろそろ授業が始まりそうなので」と、古典的かつ強引な言い訳で教師を押し留めた徹は、猛り立つ颯の腕を引き素早くその場を離れたのだ。  少し伸びた黒髪を揺らして目の前を歩く親友は、切れ長の目元に明らかな呆れを宿している。  よく見ると、ボタンを開け放したブレザーのポケットから、普段はズボンにかけられているであろうシルバーに輝くウォレットチェーンの先端がはみ出していた。善良そうな見た目をしながら巧妙に隠されたそれに、取り締まられるべきは自分ではなくこの親友なのではないかという気がしてくる。    「なんでそれバレないの」  「愚問だな! こういうのは、うまくやるんだよ」  苛立ちをそのまま言葉にのせると、徹は愉快そうに笑う。「なんだよそれ」とむくれる颯を横目に見ると、追い討ちをかけるように、  「颯も黙ってればモテそうなもんなのにな、うん。惜しいな!」  堪えきれない笑いを奥歯で噛み締め、口角を震わせた。  全く収まりそうもない笑い声は徐々に大きくなるばかりで、颯のこめかみに青筋が立つ。なるほど、この男はどうやら、友人のストレスを笑いに変える薄情者だったらしい。  ヒイヒイと呻く徹の背中に、宙に投げた手のひらを力の限り振り下ろす。肉を叩きつけるような重く乾いた音が響き渡った。  ギョッとした顔の徹に詰め寄り、昇降口の先にある古びた下駄箱を風の立つような勢いで指差す。  「よし……今すぐそこに直れ」  「あ、いや、もう叩かれたあとなんですが」  「いいからはよ」  「ちょ、ま、俺が悪かったから! 颯? な、もうやめてえ……」    めっちゃ見られてる恥ずかしい、と上靴に履き替えながら徹が情けない声を出す。周りに目を向けると奇妙なものを見るような視線とかち合い、颯の全身から冷たい汗がにじんだ。  たった数分にして二度も悪目立ちをしているという事実に、羞恥と屈辱がないまぜになって顔に熱が集まる。
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