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光陰矢の如しというが、時が経つのは、矢よりもずっと早いと颯は思う。
右の上腕部分に力を集めれば体が小刻みに震え、見据えた的は少しずつ明瞭になる。引き分けた姿勢でじっくりと狙いを定めながら、大きく息を吐いた。弓懸の摩擦音が耳に届いた一瞬、拳が震える。
支えを失った矢は、颯の手元を勢いよく飛び出し、
「よし!」
背後で響く部員たちの声に、ほっと息をついた。
静まり返った空間に人は神経を尖らせるが、この競技において、その緊迫感は一種安穏でもある。針に糸を通すような繊細な感覚に、颯の心も徐々に凪いでいくのだ。
矢道から入り込む陽光は射場のフローリングを焼き、道場全体が生暖かい空気に包まれている。颯は早足に畳へ上がると、じんわりと染み出す汗を拭った。
「また皆中かよ。こりゃ今回も颯の優勝かね」
耳元で囁く徹の明るい声に、颯は苦い顔で口を開く。
「お前、人のこと言えないだろ……」
記録係の持つ用紙には、颯に並んで徹の名が書き連ねられている。目を凝らして覗き見ると、いくつもの小さな円が丁寧に記されていた。表す意味は全射皆中。中った数を競う弓道において、それは誰もが目標とする記録だ。
「おいおい。こちとら、颯と決勝やって勝てたことほぼないんですけどね! ――まあでも」
徹は、颯の肩にそっと手のひらを乗せた。
「お前との試合は悪くないよ」と、悪戯っぽく歯を見せて笑う徹に、颯は頰を掻く。付近で耳をそばだてる部員から注がれる、笑みを含んだ眼差しがむず痒い。
――あーあ。期待されると応えたくなっちゃうんだよなあ。
我ながら単純な思考だと、颯は口元を緩めた。
しばしの静寂。木々のざわめきと共に涼しい風が吹き込む。
「けど今日は俺も良い感じだし!? さくっと勝っちゃうかもな!」
それも束の間、沈黙を破ったのは、やはりというべきか調子づいた徹のにやけ面だった。
深い友情にほろり涙の感動的な場面はどこへやら。この男はきっと人を苛立たせるツボを心得ているのだと、颯は認識している。
しかし、素直な徹の言葉を聞けることもあまりない。表すなら、スマホゲームでSSR不確定ガチャを引くようなものだ。たまには挑発にのってやるのも良いかな、と笑みを浮かべた、その時、
「お前ッ……?」
颯の体は、動きを止めざるを得なくなった。
白く染まる視界。軸を失った体は自覚するよりも早く、重い鎖で引っ張られたように、ふらりと倒れ込む。
「え、どうしたよ。ああ、もしかして俺に煽られて緊張しちゃった系?」
――そんなわけあるか!
鼓膜を揺らす声は遠く、返したい言葉は喉を通らない。代わりに、食いしばった歯の隙間から苦しげなうめきがもれた。
もう殆ど忘れていた痛みだ。或いはそれ以上。眼球をそのまま握り潰されるような圧迫感に、平衡感覚をも奪われる。
微かに開いた隙間から見える世界は白く、いや、
――赤い?
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