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プロローグ
重い瞼を持ち上げてすぐ、目に飛び込んできたのは黒い空だった。
月も太陽も浮かばないそこは、まるで地面にあいた終わりのない穴を覗き込んだかのように、ただただ薄暗い闇が広がるばかりだ。見えているものといえば、薄い雲が幾重にも重なり合って深い層をなしていることくらいだろうか。ねっとりとした空気と生ぬるい風が肌にまとわりつき、手足を動かすのも億劫になる。
ぬかるみに沈むように重くなっていく体を起こそうとして初めて、颯は自分が仰向けに寝転んでいることを自覚した。
「……え」
その場所は高いフェンスで囲われていた。緑色の地面が、チクチクと手のひらを刺激する。
――どうなってんだよ、これ。屋上?
見知らぬ場所ではなかった、間違えるはずもない。寧ろ、毎日通う馴染んだ高校の校舎だ。――だからこそ、おかしいのだ。
ここに来るまでの記憶は定かではない。しかし、こんなにも真っ暗な夜中の校舎でたった一人寝こけている状況など、どう考えても『異常』だ。なにせ、これまで一度として、遊びでも校舎に忍び込むような真似すらしてこなかったのだ。
噴き出した嫌な汗が背中を伝う。急速に覚醒していく意識が、妙だ、考えろ、とシグナルを鳴らしているようだった。
いつからか小刻みに震えていた指先を深呼吸で沈め、ゆっくりと立ち上がる。抑えきれなかった震えが全身の骨を伝い、ガタガタと膝を揺らした。足取りは頼りなく、気を抜けばふらりと崩れてしまいそうになる。歩みを進め、フェンスに近づき。
「なんだこれ、霧……か?」
外の様子を確認する手段は、既に失われていた。
この辺りではありえない、山の頂上から見た雲海にもよく似た濃い霧が校舎を覆っている。ギギ、と音がなりそうに固まった首を上に向けると、今まではっきりしていたはずの空が、濃さを増す白に飲まれようとしていた。
それは言葉通り、実体のない怪物の腹に飲み込まれていくようで。
「うわあッ……!」
情けない叫び声をあげて、颯は駆け出していた。
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