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白い花
六月に白い花を咲かせていたヒメリンゴの木は、八月初日の今日、青い実をつけている。
井口遥奈は足を止めて、街路樹のヒメリンゴを見あげた。青い果実を眺めながら、その実が熟する秋を思う。……涼しい季節が恋しい。
遥奈はハンカチで汗をぬぐうと、ヒメリンゴが両側に並ぶ通りを歩きだした。
目的地の花屋へと向かって。
『フラワーショップ花小箱』は冷房がよく効いていて、店に入るだけですっと汗が引く。その上に店主は夏の間、冷えた店内でお客にグリーンティーを出してくれる。甘いグリーンティーはステンレス製の保冷ピッチャーに入れられて、奥に置かれてある。
遥奈は『花小箱』に入るなり、花に隠れているグリーンティーへと向かった。
暑い屋外を歩いてきたので、マキシスカートの中まで蒸し暑い。汗で眼鏡がずれてきているのも、アップした髪が崩れかかっているのも気になるが、まずは冷たい飲み物にありつきたい。……大学三年生にもなって厚かましいけれど、今日は猛暑だったから。
遥奈はガラスコップに、グリーンティーを注いだ。
「いただきます」と呟き、透明の器に口につける。
花の香りに包まれてグリーンティーを飲めば、とても清々しい気持ちになる。
『フラワーショップ花小箱』は、国道沿いにある花屋だ。すぐ隣に墓地があるので、墓に供える花がよく売れている。
遥奈も『フラワーショップ花小箱』で、お供えの花を買おうとしていた。遥奈は週に一度、昨年亡くなった大祖父の墓参りをしている。家族と一緒に墓参りする日もあれば、今日のようにひとりの日もある。
遥奈はグリーンティーを飲みながら、店内を眺めた。青々とした仏花のヒサカキ。「宅配します」というメッセージが添えられたフラワーアレンジメント。ブリキのバケツに入れられた、たくさんの切り花……。切り花の中では、小ぶりな向日葵が、一番可愛いと思った。
「いらっしゃい。遥奈ちゃん」
店の奥から、店長である矢野亮子が出てきた。矢野は遥奈の親と同世代の女性だ。肌がつややかなので、実年齢より若く見える。
「矢野さん、こんにちは」
遥奈は空になったコップを、レースのかかったテーブルに置いた。
「グリーンティー、先にいただいていました。いつもすみません」
「いいのよ。それにしても、まめにお墓参りして偉いわね。暑い日くらいお休みすればいいのに」
「大じいちゃんにはよく遊んでもらっていたから、お参りしたくて……。私の大学、ここから近いですし」
「そう。大学は順調? 楽しい?」
「はい」
遥奈は向日葵を見ながら、笑顔を保った。
幼稚園教諭免許の取得に向けて、勉強は順調なものの、六月に行った教育実習がうまくいかなかった。子供にそっぽを向かれたことを思い出すと、くじけそうになる。
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