八月のリンゴ

2/2
前へ
/13ページ
次へ
「どうしてここに。まさか私に会うためですか?」 「あ、違います」  即答だった。 「墓参りに来たんです。僕の家系の墓もここにあるので。……井口さんに気づいて近寄りましたが、会いたくてここに来たわけではありません」  花屋の外で会う宏樹は、少し遠慮がなかった。暑さのせいか頬が赤い。 「なんか必死になっていません?」 「墓場で待ち伏せしていたとか、誤解されたくない」  宏樹は遥奈が持っていたバケツを、かわりに持った。彼は手ぶらだったが、よく見れば左手に数珠がかかっている。  水場にバケツとひしゃくを返し、ふたりは坂道を降りていった。 「井口さん。藪から棒で悪いんですが、連絡先、教えてくれませんか?」 「も、もちろんです。私も聞きたかったんです」  遥奈は携帯電話を取り出し、あらゆる連絡先を交換した。 「学校へ行くと決めた日、井口さんに連絡しようと思って……。なにひとつ連絡先を知らないって、気づいたんです。けどまぁ、そのうち会えるかなと」 「そんなふうに考えてくれていたんですね」  遥奈は宏樹に笑いかけた。 「よかった。嫌われていたら、どうしようかと思った」 「なんでですか」  宏樹も自然な笑みを見せた。くだり坂の途中で足を止め、道端のアザミに目をやる。花の中央には、さっきのマルハナバチがいた。 「井口さんは自分が思っているほど、いやなひとじゃないですよ。真面目で裏表がないから、安心して話せる。……一生懸命なんだって、見ていたらわかりますし」  宏樹は、ハチが蜜を集めて空に飛んでいくのを、そっと見守っていた。 「伯母や親には言ってないんですが、まだ学校が辛い日があります」 「そうですか」 「遥奈先生、そんなときは連絡していいですか?」 「もちろんです」  空は青く澄み渡り、どこまでも広がっている。 「電話もいいですが、たまには会ってお話ししましょう。私は宏樹さんと、お菓子つきでお茶がしたいです。リンゴのケーキとか、どうですか?」  シブースト。アップルパイ。リンゴを使ったお菓子はたくさんある。ふたりで食べたら、なにが一番美味しいだろう。  そう考えるだけで、ずっと味わいたくなる甘さが、遥奈の中に広がった。  八月のリンゴはまだ青くて小さい。これから日の光を浴びて大きく育ち、しだいに熟していく。  自分たちの関係も同じように育てばいいと、遥奈は心で想った。 (終)
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

17人が本棚に入れています
本棚に追加