遅れてきた愛着

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              1  子供の頃は恐竜が大好きだった。  当時、父親にせがんで恐竜図鑑やいくつもの恐竜のプラスチックビニール製の模型を買ってもらった記憶がある。やがて興味は電車や新幹線に移っていき、何時しか恐竜の事は長い間忘れてしまっていた。  そんなことをふと、電車内の広告に「福井県立恐竜博物館」往復切符のお知らせを見て仁保(じんぼ)は思い出した。  恐竜博物館ー。にこやかに笑う親子が写ったその写真を見る仁保も土日くらいゆっくりしたかったが、今週末も金沢で学会の講演会があるため朝一番の電車に乗って金沢に向かわねばならなかった。講演が始まるのは昼過ぎとはいえ病院の老教授たちはいつも早めに会場に入る為、それより先に会場入りし出迎えなど準備をしなければならないのだ。  そんな事に気を遣って週末に時間を費やすくらいなら、今取り組んでいる難治療性疾患の治験薬の評価報告書でも読んでいた方が医師として遥かに有意義である。そう思い家から関連書類を持ってきたのだがどうも車内では読む気になれずカバンの中にしまったままだった。  早朝の特急列車ダイナスターに揺られながら、仁保の頭にはもう一つ悩みがあった。昨夜の妻との会話がどうしても脳裏から離れずにいたのだ。  中学生になる息子の拓也が、金沢の別の私立学校に行きたいらしく、私立では珍しい途中転校をさせたいと妻、祥子がいうのだ。  「そりゃ別に構わないが、拓也大丈夫なのか。福井から毎日、金沢に通うなんて大変じゃないか」 晩餐の時、刺身を醤油につけながら仁保が聞くと、妻は憮然とした顔で言った。 「何の為に金沢に私の実家があると思っているのよ。わたしの実家からしばらくのあいだ通うわ。将来の大きな目標の為に県外転校するなんて今時どこのお宅もやっているのよ。」  拓也が生来人見知りをする性格なのを知っている仁保は、心配でさらに聞いた。 「しかし今の学校には小学校からずっと通っているじゃないか、福井の地元にはなじみもあるだろうし、また友達とか変わってしまうと大変なんじゃないか」 妻は言った。  「なじみとか、友達とか、あまりレベルの低いこと言わないで頂戴。これは競争なのよ。拓也が大人になって安心して生活できるように、今のうちからその土台をしっかり作ってあげるのは、親として当然のことじゃないの。現実社会は厳しいのよ、少しでもよい条件の学校に行かせてあげて私たちが拓也の将来のことを守ってあげなきゃ。」  仁保が相槌をうたないでいると妻は黙ってしまった。教育熱心なのはいいが、最近妻は輪をかけて拓也のことにばかりかまけている。母子揃って金沢の実家にでも帰る積もりなのだろうか。仁保はビールを飲み干すと刺身を全部平らげた。子なんて放っといても勝手に育つと言ってほぼ放任のまま自分を育てたうちの親とはえらい違いだ。妻の家も、そんなに子供に干渉しない家だった気がする。彼女はどうしてこんなに子供べったりの母親になってしまったのか。仁保は晩餐を終えると、何も言わずそのまま書斎にこもり、もう妻と会話することは無かった。 昨晩そんな出来事があったのだ。そんなことを考えてるうちに、 やがて列車は金沢駅に着いた。 駅に降り立つと、時間が早いため空気が肌寒く感じられた。仁保はそのまま歩いて学会が開かれるホテル会場に向かうと、小一時間で一通りの挨拶と準備などを終えると、もうやる事がなくなってしまった。会場を見渡すと他県ブースばかりが賑わい、地元金沢の人間はまだ到着していない。ちらほらと姿の見えるのは福井や富山から来た関係者たち許りだった。金沢よりも地方のものは遠いか余裕をもって早めに着いたのか、それとも両県の人間がきまじめすぎるのか、それは分からなかった。   金沢の街は不案内のため仁保はあまり出歩きたくなかった。この町はいつ来ても来訪者に不案内で、移動の勝手が悪く行動範囲も限られた。特に用事が無ければ出歩きたくなかったが、今回,学会は講演もあるため弁当などは出ないことになっていた。そのため仁保はちょっと時間が早いが、仕方なく外に昼を食いに出ることにした。  金沢駅構内や周辺の飲食店はどこもまだ開いてないか、ランチには早かった。仁保は、駅から少し離れた観光地の近江市場にいくつか飲食店があるのを思い出した。しかし歩いていくには距離がある。駅前のバスに乗るにも何処行きに乗っていいのか分からない、そもそもたかが昼を食べる為にバスに乗っていくのはまぬけな話だ。観光客に囲まれながら背広姿の自分が海鮮丼を頬張っている姿を想像すると次第に行く気は失せてた。結局タイミングよく開店したのを見て目の前のカレー屋に仁保は飛び込んだ。  新幹線が金沢に開通して移動の利便性が向上し観光客が増えたのか、カレー屋にはリュックを背負った観光客姿の客が目立った。金沢の街も昔より活気がある。以前来た時と比べて、駅周辺の店は老舗もふくめて、建物が綺麗になった気がする。  カレー屋を出ると仁保は駅の周りを歩き出した。 何年振りかの金沢の街は新鮮で若いころ抱いた印象とは真逆だった。思いのほかこの散策は距離を伸ばしていき仁保は駅からどんどん離れていった。気が付くとさっき行こうとした近江市場の近くまで進んでいた。この通りは百万石通りか、時計を見てもまだ時間があるためこのまま茶屋町まで位なら行けるかと思った丁度その時、弓道部だろうか肩に大きな弓と胡籙(やなぐい)を掲げた少年が歩いているのが見えた。あんな小さい時分から弓なんて引けるものなのか、と感心して仁保は後ろから歩いて大きな弓を見ていた。  そのとき道を間違えたのか、少年が急に立ち止まり歩く方向を変えたため、ちょうど前を歩いていた人に少年が後ろに掲げた弓の先が深く直撃した。 女性は弓の先が当たった顔の場所を手で押さえよろめくと、その場に座り込んでしまった。 気付いた少年は後ろを見ると、「すみません」とだけ言って立ち去った。  「きみ、待ちなさい!」  一部始終を目撃していた仁保はその少年を呼び止めようとしたが、その声を聞くと少年は一目散に走って逃げてしまった。  それを見て仁保が追いかけようとすると、しゃがみ込んでた女性が仁保を制止した。  「いいんです。ちゃんと前を見てなかった私もいけなかったから・・」  そう言うと女性は蹲(うずくま)った。  「大丈夫ですか?これで目を押さえてください。」  神保は未使用の茶色いハンカチを鞄から取り出すと、それで目を押さえるよう女性に渡す。  「痛みますか?」  ハンカチで目を押さえてしゃがみ込む女性に寄り添い、仁保は訊いた。  女性は返事もない。  「涙が出るなら全部流してください、出来るだけ多く。あと、血が出ていないのなら、あまり強く目を押さえない方がいい。」  女性は小さく頷いた。  しばらくして痛みが引いてきたのか、女性はゆっくりと立ち上がると、仁保との受け答えも出来るようになった。仁保はその女性の、弓の先が中(あた)った方の目を看た。眼科医でないので、詳しいことはわからなかったが、目は軽く充血していたが腫れも出血もなかった。彼女に訊くと、ソフトタイプのコンタクトレンズを付けているとのことだったので念のため眼科を受診することを勧めた。  仁保はこの日学会や講演会場で挨拶の為にと念のため持ってきていた名刺を胸ポケットから取り出すと、その裏に何かを書き記した。  「ええっと。ここに書いたのは、村田という医師が勤務している金沢市内の眼科の連絡先と住所です。外傷眼科が専門の医者で場所もここから近い。もし痛みが引かぬようであれば、そこに行ってください。わたしの名刺を出せば、すぐ診てくれます。信頼できる先生なのでしっかり診てくれることでしょう。」  
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