雨宿り

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 突如、背後から聞こえてきた声に、ディータは飛び上がった。マズい、これは本当にマズい。反射的に振り返るや否や、よたよたと後ずさる。やはり、というか当然のごとく人が住んでいたのだ。  玄関ならまだしも、勝手に屋敷の中にまで侵入してしまった。物盗りと判断されても文句は言えないし、大事そうに両手で抱えたトランクも怪しさ抜群だ。言い逃れなんか出来るわけがない。  嗚呼……おれの人生、終わった。 「あの、ずぶ濡れのようですが……大丈夫、ですか?」 「……え?」 「とりあえず、こちらを使ってください。お洗濯はしてありますので、お気になさらず」  どうぞ、と半ば強引に手渡されたのは、何の変哲も無いバスタオルだった。羽毛のように柔らかく、清潔感溢れる感触。染み一つ無いどころか、花のように甘い香りがふんわりと鼻を擽る。 「え、あ……ありがとう、えっと……」  思わず、ディータは相手の顔を見つめる。すると、彼は更に驚愕して目を大きく見開いた。相手は女性……否、まだ少女と呼ぶに相応しい女の子であった。  蜂蜜を紡いだかのようなプラチナブロンドに、澄んだ空色の瞳。手の届く距離で向かい合っても、ディータの胸元にも届かない程に小さな体躯。その身に纏うのは、可憐でありながらも退廃的なゴシックロリータ。  まるで、ビスクドールのような子だ。愛らしい顔立ちでありながら、大人びた表情で居る様子も何だか人形じみている。その手に持っている、幾重にも重なったタオルとシーツの山が妙にちぐはぐに見えてしまう。 「……改めてお伺いしますが、どちら様でしょうか? 『主人たち』のお客さまですか?」 「あ、いや! おれは、その……急に雨に降られてしまって、その雨宿り出来る場所を探していて」  渡されたタオルでトランクの水滴を拭いながら、ディータはこれまでの経緯を正直に話し始める。変に取り繕うのは気が引けたのだ。相手が少女だから、ということもあるが。  こちらをまっすぐに見据える彼女の双眸には、全て見透かされているような錯覚を覚えたから。 「なる程……この辺りは人里から離れております。今から下山したとしても、街へ着く前に暗くなってしまうでしょう。足元も、危険かもしれません」 「あー……その、無理だとは思いますけど……出来れば、雨が止むまで雨宿りさせて貰うことって、出来たりします? 屋根さえあれば良いので、玄関に居させて貰うだけでも十分ですし!」  どうか、この通り! どう見ても年下の女の子に向かって、何度も頭を下げるディータ。画材の為なら、安っぽいプライドなんか捨て去ってやる! 「……そう、ですね。主人たちに確認して参りますが、多分大丈夫だと思いますよ」 「え、マジですか!? ……ん? 主人、たち?」 「はい。私は使用人兼『餌』ですので、決定権はありません。主人たちは変わり者ですが、こんな雨の中に哀れな旅人を放り出すようなことはしないでしょう。それくらいの慈悲と好奇心は持ち合わせていると思いますし。とりあえず、主人たちを探して参りますね」 「ちょ、ちょっと」 「さて、どこから探しましょうか。お掃除した時、寝室にはもう居ませんでしたから……お風呂でしょうか。仲良く乳繰り合っていればラクなのですが」 「乳繰り合う!?」 「それでは、しばらく待っていてください」  今、美少女の口からとんでもない言葉が飛び出したような。驚きの余りに開いた口を塞げないでいるディータをそのままに、少女は洗濯物の山を抱えたまま屋敷の奥へと行ってしまった。  ……それにしても、あの女の子。揺れるツインテールを見つめながら、ディータは考える。 「あんなに可愛い服を着ていたのに、使用人……なのかな? んー、そんな風には見えなかったけど。それに、餌って……」  いや、聞き間違いだろう。うん、きっとそうに違いない。己の心に何度も言い聞かせながら、湿ったタオルで髪や顔、服を拭う。そして、傍の壁に飾られていた鏡で簡単に身なりを整える。  常に跳ね気味なチョコレート色の髪はしんなりと元気がないものの、同じ色の瞳はいつも通り。二十歳という年齢にしては幼い顔立ちに、ひょろりと痩せた体躯。いつも通り貧相な装いに加えて、ずぶ濡れの姿には目も当てられない。  こんな格好で、屋敷の主に何と言えば良いのか。  ――…………ら、……むな。 「……ん? 何だ?」  何やら、物音が聞こえた。ディータは少しだけ躊躇しつつ、トランクをその場に置いて辿るようにして音の出処を探す。雨音以外に目立つ音がないからか、すぐに見つかった。 「こ、ここ……か?」  玄関から向かって左手奥の、突き当たり。精巧な彫り細工が施された、木目調のドア。他の部屋とは様子が違い僅かに隙間が出来ている。このせいで音が外に漏れ出てしまったのだろう。  ……ということは、この中に誰かが居るのだ。間違いない。もしかしたら、先程の少女が言っていた『主人たち』かもしれない。ディータは思わずその場で足を止め、隙間を覗き込み中の様子を窺う。  でも、視界に入るのは分厚い本が詰め込まれた本棚だけ。声は更に奥の方から聞こえてくるようだ。  ――えー? だってさあ、べるべるってば自分ばっかり好き勝手シて寝ちゃうんだもん。このままじゃボク、お腹が空いて死んじゃうー!――  ――いってぇ! だから噛むな。テメェは昨日……の……だろうが。俺とテメェじゃ燃費が違うんだよ。年寄りを労われ小僧!――  どうやら、中には二人居るようだ。最初に聞こえたのは、幼さを残す声。話し方から、ディータよりも幼い青年か。  もう一人は、荒々しいハスキーな声。低い声色は雄々しく、恐ろしささえ感じる。親子、だろうか。彼らが『主人たち』なのだろうか。  何だか……言い争っているようだが。  ――あー! だから、噛むな!!――  ――ふふーん、そんなこと言って。噛まれるの、結構好きな癖にぃ?――  ――今のはただ噛み付いてるだけだろうが! この、エロ餓鬼が!!――  ――きゃー、べるべるってば昼間からえっちー! ヘンタイおやじー!――  言い争いの声は大きくなり、どさどさと何かが落ちる音がディータの元まで届く。おいおい、これってもしかしてケンカ? しかも、暴力的なことまでしてない? 「と、止めなきゃ!」  咄嗟に、ディータはドアに体当たりする程の勢いで部屋へ入った。事情はわからないが、暴力は駄目だ!   ……ただ、この判断は大きな過ちだった。 「駄目です! 暴力反対! 話し合いで、平和的に解決しましょうよ!!」 「え?」 「……あ?」 「…………あ、あれ?」  天井まで届く本棚にぶつからないように気を付けながら、ディータは部屋の奥へと急いだ。そして、見た。見てしまった。  やはり、部屋には二人の人物が居た。一人は大柄で、壮年の男だ。硬質な白髪混じりの黒髪に無精ひげ、皴が刻まれた口元。狼のように鋭い顔立ちは迫力がある。  どこの国のものかはわからないが、黒に近い濃いグレーの軍服を着ている。腕章や勲章などは無い。ネクタイすら絞められていない胸元は大きく肌蹴ており、露になった肌に紅い痣がいくつも刻まれている。  もう一人は、ディータよりも幼い青年だった。男にしては華奢な身体を、壮年の男によって机の上に組み敷かれている。艶やかな銀色の長髪が木目に散らばり、こちらも黒衣を乱れさせている。足元に散らばる本に紛れて、黒いボタンがいくつか落ちている。恐らく、壮年の男が青年の衣服を無理矢理破いた時に取れてしまったのだろう。  ……え、なんでケンカで服を破く必要がある? ていうか、これは本当にケンカなのだろうか。いや、多分違う。絶対違う。だって、青年の方に拒んでいる様子が見られない。  それどころか、その顔にあるのは微笑だった。それも、熱っぽい笑み。美貌とも称せる容姿に、色めいた表情。この状況が何を意味するか、わからない程ディータは幼くも無知でもないわけで。 「あ……え、っと」 「ああ、ここに居たんですか」  二人とも。聞き覚えのある声に、振り向く余裕すら無くて。少女が平然とした様子で部屋の中を進み、ディータと二人の間に立った。  そして、何食わぬ顔で言った。 「ベル、クリス。『人間』のお客様ですよ」    
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