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吸血鬼と悪魔と人間
「あっははは! いやぁ、人間のお客さんなんて久しぶりだよー。ねえ、きみ。お名前、教えてくれない?」
「え、えっと……ディータ・アッカーソンです」
衝撃的な光景を目にしてから、数十分後。ディータは少女から着替えを借りて、応接室へと連れて来られていた。黒革のソファに、深紅の絨毯、マホガニーのローテーブル。締め切られた暗幕など、やはりここも黒と紅が基調となっている。古めかしくも上品なロココ調の調度品との組み合わせには感動するしかない。
しかし、今はそれどころではなかった。怖いとか、緊張するとかそういう次元ではなく。それでも何とか、ディータは視線を上げる。
刹那、色鮮やかなピジョンブラッドの瞳と目が合う。
「ディータ、だね。とりあえず、初めまして。ボクはクリス。クリストファー・ビアス。よろしくー」
銀髪の少年こと、クリスが満面の笑みで言った。先程破かれていた服は着替えたのだろう、今は首元まできっちりと黒衣――よく見ると、教会の神父が着ているキャソックのようだ――を着込んでいる。
だが、どう見ても神職に就いている風には見えない。ディータが目の前に居ると言うのに、彼は壮年の男の膝に横向きに座って分厚い胸板にしなだれかかっている。部屋――後で知ったが、ディータが突入した部屋は書斎らしい――で見てしまった光景と相俟って、既に二人がただならぬ仲だと言うことは思い知ってしまっている。
「それにしても、まさか人間がこんな山奥に来るとはな……物好きだな、お前。しかも、不法侵入とは良い度胸だ」
「は、はあ。すみません、一応……ノックはしたんですけど」
「ふん、まあ良い。見逃してやろう。俺はベルンフリート・エリゴス。ベルで良いぞ」
男、ベルが凄みのある笑みで名乗った。顔は怖いが、言葉とは裏腹に怒っている様子はない。彼の乱れていた軍服も正されて、先程露になっていた痕は見えない。
先程は苛立っていたようだが、すっかり機嫌も良くなったらしく。膝に居るクリスの腰に腕を回して支え、時折猫でも愛でるかのように銀髪を撫でている。
……何なんだろう、この甘い雰囲気は。確かにクリスは美しく愛らしい外見をしているが、間違いなく男だ。上半身だけだが、黒衣の下の肉体をこの目で見たのだから間違いない。ならば、同性同士のそういう関係ということ……なのだろうか。
そう訝しんでいると、応接室のドアが小さく開いた。見ると、金色のツインテールを揺らしながら少女がティーセットを運んできたようだ。
そつがない動作で、紅茶を注いだカップをディータの前に置いてくれる。それから、自分の主である二人の前にもカップを置いた。
「あ、ちなみにその子はセシルちゃんだよ。きみと同じ人間だから、いじめないであげてよねー」
「……セシルと申します」
ぺこりと少女、セシルが丁寧に頭を下げる。三人とも、性別や年齢がバラバラだ。しかし、それぞれが恵まれた容姿に特徴的な衣装を身に纏っており、屋敷の雰囲気と相俟って何とも絵になっている。
「それで、お客さんだって聞いたけど……ディータは何の用でこんな山奥まで来たの? この辺りには他に誰かが住んでいるようなことはないし、ここにはボク達三人しか居ないよ」
クリスが不思議そうに首を傾げる。思わず、足元に置いたトランクを見下ろしながら、ディータは意を決して頭を下げた。
「そ、その……おれ、これでも一応絵描きをしていまして……この辺りの景色をスケッチしていたら、急に雨に降られてしまって。お願いします、雨が止むまでここで雨宿りさせてください! 玄関とか、物置とかの隅で構いませんので!!」
「……最近の人間は、ベッドよりも床で寝るのが普通なのか?」
「変わってるねー」
ディータの懇願に、ベルとクリスが顔を見合わせる。そんな二人に、セシルが呆れるように溜め息を吐いた。
「はあ……違いますよ、二人とも。ディータは遠慮しているだけです」
「あ、何だそういうことかー。それなら、普通に一部屋貸してあげるよ。ねえ、べるべる?」
「……仕方ねぇな。どうせ部屋は余ってるんだ、好きにしろ」
「ええ!? ほ、本当ですか……」
「ただし、条件がいくつかある。これから出す条件が飲めないようなら、今すぐ屋敷から叩き出すからな」
ぎろりと、金色の双眸が睨み付けてくる。ひいっ! 迫力のある表情に、ディータは胸中で悲鳴を上げた。
「きゃー、べるべるってばこわーい」
「テメェは黙ってろ。良いか人間、条件は三つだ。まず、一つ目だが」
そう言って、ベルが左手を上げて数えるようにして指を軽く折る。ふと、ディータは気づく。彼の左手の薬指で鈍く輝く、くすんだ銀色の指輪。
あれは、もしかして。それが意味することを、ディータは一つだけ知っているものの。問い掛ける余裕は無かった。
「雨が上がってこの屋敷を出た後、他の人間にこの屋敷の存在を知らせないこと。それから二つ目、屋敷の中にある物を勝手に持ち出したり意図的に破壊することは禁じる」
「も、もちろんです!」
ベルの言葉に何度も頷く。条件と言われて、一瞬身構えたものの。二つとも、常識的な範疇に収まるものばかりだ。
口は堅い方だし、他人様の物を盗んだり壊したりするだなんて度胸をディータは持ち合わせていない。うん、絶対に大丈夫だ。
だが、最後の条件には思わず耳を疑った。
「最後に、セシルには絶対に手を出すな。その娘は、数十年かけてやっと見つけた俺とクリスの『餌』だ」
「はい、もちろん! ……へ?」
「『処女』じゃなくなったら味が変わっちゃうからねぇ」
ベルとクリスの言葉に、ディータの思考が止まる。また、だ。この屋敷へ足を踏み入れてから、何度も聞いた言葉。
餌。それは間違いなく、セシルを意味している。ディータと同じ、人間の少女である彼女が餌とは一体どういうことなのだろうか。
「あ、あの……餌って、何ですか? どうして、彼女が――」
「あっははは! やだなぁ、ディータ。きみ、もうわかっているくせに。脳では既に理解しているのに、更に確実な答えを見たり聞いたりしようとする。人間という生き物特有の悪い癖だよ?」
「クククッ、確かに。クリスの言う通りだ。俺とクリスがお前とは違う、人間ではないという事実をテメェはちゃんと察しているんだぞ」
自覚は無いみたいだが。そう言って、二人がくすくすと笑う。そうだ、ディータは既にわかっている。見せつけられている。ただ、見ないようにしていただけだ。
クリスの唇から覗く、鋭い犬歯。ベルの鋭く尖った赤黒い爪。人とは思えない、ぎらついた瞳。それらは全て、二人が『人外』であるという証だ。
「改めて、初めまして。ボクはクリス、『吸血鬼』だよ」
「俺はベル。七十二柱の一つを担う『悪魔』だ」
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