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第1話 駆出し陰陽師と春の帰り路
いずれの御時かはわからねど、平安の代。蝶が舞い飛ぶ、春の事である。
麗らかな春の日差しを浴びながら、死相を浮かべて大路を歩く青年が一人。直衣に冠姿なので、恐らく仕事帰りなのだろう。
青年は角を何度か曲がり、四条の小路沿いにある邸へと足を踏み入れた。今をときめく藤原氏の邸とは比べ物にならないが、それでもそこそこに広くて立派な邸だ。
門をくぐり、青年はため息を一つ吐く。そしてとぼとぼと階を上り、渡殿を渡り、簀子縁を歩く。そして、ある一角まで来ると下ろしてあった御簾を掻き上げて体を中へと滑り込ませた。ここが、青年が自室として使っている区画なのだろう。隅に置かれていた脇息にもたれかかり、青年はほっと息を吐く。
……が、安らぎを得たのも束の間。
「若君、帰っておいででしたら、すぐに参るように、との姉君様からの言伝でございます」
御簾の外から女房に声をかけられ、青年はがくりと項垂れる。そして
「わかったよ」
力無く返事をすると、手早く狩衣と烏帽子姿に着替えた。そして、再び御簾を掻き上げて南庇に出、簀子縁に降り、西の方角へと歩き出した。ここは邸の東の対屋。先ほど彼を呼び付けた姉がいるのは、西の対屋だ。
「姉上、お呼びでしょうか?」
「遅い」
目的の場所へ辿り着き、御簾の前で声をかけた瞬間に、御簾の奥から静かな罵声が飛んできた。
「私があなたに来るよう、女房を遣わしてからどれほどの時が経ったと思っているのですか? 待ちくたびれて、物語を三冊も読み終わってしまいましたよ?」
決して、のろのろとしていたわけではない。寧ろ、急ぎに急いで着替えてきたほどだ。
だが、姉の発言も真らしく、彼女の傍らには決して薄くは無い草子が三冊、綺麗に積み上げられているのが御簾越しに見える。一体どれほどの速度で読めば、彼が着替えてここまで来るだけの短い間に、あれだけを読み終える事ができるのだろうか。
そう、疑問を頭に浮かべ。そして、彼――豊喜季風は姉に知られぬよう密かにため息を吐いたのだった。
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