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でもこれは夏の始まりの匂い。もうちょっとするとオレンジティーがとてもおいしくなる。レジ締めのお供に作ろうかなと心が夏へと向かっていく。
潮風とオレンジの……。そして男臭い、湿ったジャケットの匂い? 千円札を数えていた美鈴はハッと顔を上げる。
灯りを落とした店の入口ドアに、黒い人影が映る。一目でわかり、美鈴ははらりと千円札の束をレジに落としていた。
潮の香とオレンジの匂いと、彼の匂い。気のせいではなかった。
ドアがそっと開く。
「こんばんは」
もう息が止まりそうなほど驚き、言葉が出ない。
宗佑もドアが開いたため、キッチンから出てきて、彼が来たと知り驚きで硬直していた。
「お久しぶりです。閉店ですか、間に合いませんでした」
厳つい男と警戒していたのに、いまそこにいる彼の何もかもが穏やかで優しく見える。
男に表情もあった。憂いを含めた眼差しで、でも、申し訳なさそうな微笑みを湛えていた。
あの時のお礼を、美鈴が一歩、レジカウンターから出て彼に向かおうとした時だった。
「帰ってください。二度と、この店には来ないでください」
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