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レジカウンターからやっと足が一歩動く。
姉ちゃん!
弟が叫ぶ声が後ろから聞こえたけれど、美鈴はエプロン姿で店の外に飛び出していた。
「待って!」
港の道を行く男の背に叫んだ。黒いジャケットの背中に。彼が立ち止まった。
港のライトが照らす道を美鈴も駆けていく。
「待ってください」
彼の目の前までやっときた。
「美鈴さん」
初めて彼に呼ばれ、美鈴は驚く。
どうして私の名前を? 聞かなくてもそんな美鈴の表情を彼は読みとってくれる。
「マスターがそう呼んでいたのを聞いたことがあったので。営業中に『姉さん』と呼ぶわけにはいかないからなのでしょう。自分はあなたの名が知れて嬉しかったけれど」
「私は、あなたの名を知らない!」
「知らなくていいでしょう」
彼がなにもかも諦めたような笑みを見せた。
「いままで、ありがとう。あなたの声に癒されていました。あなたと少しでも話せるのもとても楽しみだった。ここ最近いちばんの、俺の拠り所でした」
行っちゃう、この人が行っちゃう。美鈴の中に、あんなに格好いい男の姿を焼き付けて、匂いを記憶させて行ってしまう!
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