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4.匡樹
あれから、保にはなんとなく避けられている気がする。
メールを送っても返ってくるのは一日せいぜい二回くらいで、ひどいときには、
『ごめん。メールくれてたの気づかなかった。そろそろ寝る。おやすみ』
これで一通カウントだ。
そんなことをしてるうちにタイミング悪く挟まった盆休み、お互い予定が合わずに休暇もさっぱり会えないでいた。
このまま自然に疎遠になってしまうのかな、と考えると落ち込んだ。
保と恋人同士になれると打算して離婚したわけではもちろんない。だからこそ、どこまで気持ちを表に出していいのか悩んでいたら、気づけば溝はこんなにも深まってしまった。
盆休み明けの一日内勤日。昼食を食べ終わって、まだエンジンのかからない頭を抱えながら運動でもしようと食堂から十一階まで階段をえっさえっさ上っていたところだった。
「あれ、保?」
会議室階でばったり保と出くわした。
久々に顔を見た。この暑い日に、涼しい顔でネクタイをきっりちと締め、ジャケットまで着込んでいる。
あ、夏色のグレースーツ、よく似合ってる。
匡樹は内勤の日は絶対にネクタイなど締めない。置き弁ならぬ置きタイをデスクの引き出しに仕込んでどうしても外出しなければならなくなったときのみ召喚しているから、夏でもボタンひとつ外さない姿は保らしいなあと思った。
「あ」
見つかった保は気まずそうな、なんとも言えない顔を一瞬作ってから、それでも堪えきれず最後にはぷっと吹き出した。
「なんでそんな息切れてるの」
会えない間想像してたよりも保の声は柔らかかった。今日も独特の憂いがあって、ああ可愛い。
「ちょっと、身体なまってるから階段使ってたの。はーきっつい」
膝に両手を置いてぜいぜいしていると更に笑われる。
もちろん元々の性格もあるけれど、朗らかな佐上部長に上手く伸ばされて育ったのだろう、保は本社じゃあんまり見かけないタイプだ。
良い意味でマイペースというか、他人に染まっていないかんじがする。母体にずっと勤めていると、人間関係は何重にも絡み合うので良くも悪くも影響し合ってせかせかしてしまう。近くの部署で一緒に仕事してみたいなと想像することはあるが、保が今まで本社勤務じゃなくて良かったとも思う。
「一気に上ってきたの?」
「うん、駆け足で」
「それはきついでしょ」
「いやいや前は余裕でできたんだよ。はあ、ジムでも契約しようかな、ほんと考えるよ。保こそ、こっちに来るなんて珍しいな」
「うん。一から三年目対象品質管理の講習で、一日詰めてる」
一番大きい会議室をゆび指す。
「そんなんやってたんだ」
「うん。管理課では恒例行事」
「保が先生?」
「メインは一応」
昨日のメールでは一言も言ってくれなかった。やっぱり、自分と何かしらの理由で会いたくないのだろう。ため息を吐きたくなる。
「へえ、すごいな」
「全然すごくない。たまたま役が回ってきただけ」
「でも講習できるってかっこいいじゃん。俺も受けたい」
「無理だって。営業一切関係ないし」
「だよなあ。今から昼休憩?」
「うん」
「入れ違いだ。あー残念の二乗」
もうちょっと遅かったら時間もかぶったのに、と考えると、もうたまらなかった。我慢の限界だ。話したい。二人で。
「終わりは何時?」
「おそらく七時前には」
「じゃあ今日、一緒に帰ろう」
もごもごしている保に気づかないふりで、強引に誘った。
「でも時間、合うかわかんないし」
「俺が早く終わらせるから大丈夫」
どうせ長期休み明けの内勤なんて大したことはしない。営業先にアポの電話を掛けて、下半期の売り上げ計算するくらいだ。
「携帯、連絡して。終わるまでずっと待ってるから」
保は困ったように、それでもこくりと頷いた。
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