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6.匡樹
誰にも聞かれない静かなとこ、と言ってはみたが思い浮かばず駅前のビジネスホテルに入った。
「わざわざ宿泊料金払うことないのに…」と保はつぶやいたけれど暢気な歌声なんかが隣の部屋から聞こえてくるカラオケよりはマシだった。
ベッドに腰掛けた匡樹の向かいで保は椅子に座る。
「さっきの続きな」
「…うん」
「俺は保以外で、誰か他の人とやり直す気なんて一切ないよ。そりゃ個人的にアウトドアとか好きだけど、だからって自分の趣味嗜好に合った人をこれから新しく見つけようなんて思ってない」
「でも…まんざらじゃなかったじゃん、前の飲み会で」
「ええ? どこが」
「ずっと最後まで後輩の女性たちに囲まれてたし」
「あれはな、しょうがなくだよ! 保が斉藤と端のほうで仲良く話してたからっ。むやみに移動できなかったの! そもそも後輩とかどうでもいいし、喋った内容なんて何ひとつ覚えてないわ。それよりも保こそ、良い感じだったじゃん。斉藤とさ」
「…斉藤さんと?」
保の首が傾げられる。
「そうだよ。けっこう思い悩んだよ。気になってるのかなとか、こっちこそ二人の邪魔しないほうがいいのかな、とか」
「まさか」
「だってさ…、手にちゅーしてなかった? 斉藤の」
「ええ?」
若干の間沈黙して、保は考えている。
「あ、まつげを」
「まつげ?」
「そう。俺の目の下にまつげがついてたから、斉藤さんが取ってくれて。どっかの国のまじないでその場で吹くと、願いごとが叶うんだってさ。それで飛ばしてただけ」
安堵プラス拍子抜けして匡樹はがっくりと肩を落とした。
「なんだよ…俺あの場面見て、めちゃくちゃ怖かったんだから」
「怖いって、なんで」
「斉藤と保が付き合っちゃったらとか、俺たちこのまま会わなくなっちゃったらとか色々考えてさ。そもそも最近、保にどうアプローチしていいものか悩んだりヘコんだりしてたから」
保は意外なように目を見開く。
「俺も…喜久川さんはどういうつもりなんだろうってずっと思ってた。このまま、週一飲み友達のままでいたいのかなと」
「いたいわけないって。でも、いきなりがんがん詰め寄られたら、保、引いちゃうだろ?」
「引くかはわかんないけど…。でも…俺なんかでいいのかなって喜久川さんに申し訳ないのと不安にはなる」
「なんでよ」
「俺は男だし愛想も良くないし、喜久川さんの好きなことを楽しく振る舞えない」
「保、堂々巡りしてる。さっきもおんなじような事言ったけど、俺は男で無愛想でそっけない保が好きなの。あの後輩たちみたいに笑顔でキャピキャピしてもらおうとか思ってないから」
「…そこまで言うか?」
目を嫌そうに細められる。
「だってこのままだったらずっと無限ループにはまってそうなんだもん。でもさ、三つ目のことは間違ってる。保は俺の好きなこと、優先させてくれてるし面白がってくれてるよ。映画とか、真剣に見て感想言ってくれるじゃん。飲み会とか誘うと結局来てくれるし。そういうの、すごい嬉しいって感じてる」
「それは、喜久川さんの好きなことだから、とりあえず一緒にはやりたいよ」
「それだけで十分だよ。テレビのお笑い芸人みたいなリアクションが欲しいわけじゃない。それに俺も、保の事が好きだから保が良いと感じること、楽しいことももっと一緒にやっていきたい」
「特になかったりまだわかんないなら?」
「そしたら、ゆっくり一緒に見つけたい。ふたりでさ。バンジージャンプでもスカイダイビングでも、真夜中のプールに忍び込むんでも」
「あ、最後のはちょっとやってみたいかも」
保の頬が緩んだのでこちらもようやく笑顔になれた。
「なんだ、俺たちなんか一緒のことでぐるぐるしてたっぽいね」
倒れるようにベッドに背中を預けるとくすっと笑う息づかいがした。
「そうみたい」
よかった。嫌われていたわけでも、斉藤が気になっていたわけでもなかったようだ。保もちゃんと、自分とのことを考えてくれていた。
起き上がって、手を取りながら保と目を合わせた。
「俺、今でも好きなのは変わらずに保だけだよ。正直に言うけどまじでキスとかそれ以上のこととか、めちゃくちゃしたい。でも保の心の準備がまだなら待つから、出来れば言って欲しい」
「…俺も、喜久川さんが好きだから、…そういうこと、喜久川さんとしたい」
らしからぬ素直な物言いに、匡樹の頬はだらしなく垂れ下がった。
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