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紫苑はとても偉いという大神達にお目付け役を任されたから俺と一緒にいるのだ。俺も妖から身を守るためにあいつのことを傍に置いている。仕方ないから一緒にいて、成り行きで一緒に仕事をすることになっている。
大切なのかと問われれば、大切なのかもしれない。紫苑がいなければ、俺はあっという間に妖の腹の中である。己の身を守るために、今の俺にはあいつが必要だ。しかし、それはチサの言っている「大切」とはまた異なる意味合いのような気がする。彼女が言っているのは、おそらく友愛とか親愛とか、そういう友情めいた感情から来る「大切」だ。
俺にとって紫苑って何なんだ?
チサは魚の写真が並んでいるパネルを眺めている。『道南近海に生息しているおさかな』を見つめる女神は、ただひとこと「美味しそう」と呟いた。俺の視線に気が付くと、気恥ずかしかったのか顔が少し赤くなった。シャチ故に魚肉が好みなのだろうか。本体は人型のはずだが、シャチの体で長い時を過ごして来たため趣味嗜好がシャチに寄っているのかもしれない。
「わたくしにとって、彼はとても大切な存在でした」
「彼……。探しているシャチのことか」
「はい。共に過ごした群れのシャチ達は、突然現れたわたくしのことを快く迎えてくれました。みな良き方々でした。けれど、わたくしがただならぬ存在であることを知ると、態度が変わってしまったのです」
「よくも騙したな、とでも言われたのか」
「いえ、逆です。わたくしのことを必要以上に敬うようになってしまったのです。わたくしも、貴女達も、同じシャチではありませんか。今のわたくしはしがないシャチなのです。そう伝えたのですが、駄目でした。チサ様、チサ様と敬われ、畏れられ……。そんな中で、彼だけは変わらなかった。変わらずに、わたくしに接してくれた。家族なんだから、と。今のチサは神様じゃなくて、俺の家族だから、と……」
「彼」に引っ張られるようにして、次第に他のシャチ達も改めて家族として接するようになったそうだ。チサは懐かしむように遠くを見つめ、嬉しそうに笑顔を浮かべる。とても楽しい時間だったのだろうな。
「彼の行方が分からなくなってから、わたくしは群れを離れました。探し回りながら、海を巡りました。何年も、何年も。ただ一時を共に過ごしただけのシャチに、なぜそこまで肩入れするのかと他の眷属に問われたこともあります。わたくしはその時、『大切だから』と答えたのです。家族はみな大切でした。中でも、彼はわたくしのことをとても大事にしてくれて……。神様のチサにはいつかきらきらの石をプレゼントしてやるよ、とか面白いことも言ってくれて。えっと、神様って呼んだのは、その、冗談みたいなもので、家族への贈り物だよって言ってました。もらうことはできませんでしたが、わたくしとても嬉しくて」
「……好きだったのか?」
「そっ、そんなんじゃないです……! あくまでわたくし達は家族なので。あと、あまりそういうのは直接訊かない方がいいと思いますよ」
「すまない」
「わたくしは普通のシャチではないから、守る必要なんてなかったのに、彼は……」
展示物を眺めながら順路通りに歩いていたチサが立ち止まった。角を曲がった先、次の展示スペースに何か見付けたのだろうか。小さく驚きの声を漏らすと、わき目もふらずに駆け出す。
館内を走るわけにはいかないので、俺は速足で後を追った。
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