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そこにあったのは、大きな骨格標本だった。五メートルを優に超える巨体である。強そうだ、という率直な感想を抱いた。子供も大人も、その姿に圧倒されていた。チサは骨格標本の前に置かれている、説明が書かれたパネルに目を落としていた。
曰く、オスのシャチの骨格標本……の、レプリカだそうだ。原物は別の場所に保管されているらしい。説明によると、どうやら十年程前のもののようだ。
「十年前……。まさか、もしかして、と思ったけれど……彼ではありませんね。この方も、きっと立派な方だったのでしょう……」
「チサ様」
「朝日様、もうしばらくここにいてもいいですか」
「あぁ、いいよ。気が済むまでこのシャチの傍にいればいい。俺は一通り展示を見て、エントランスで待ってるからさ」
「はい、ありがとうございます」
チサは少し寂しそうに言った。
骨格標本を見て、『もしかして』と彼女は言っていた。探してくれと頼んできたが、「彼」がもうこの世にいないことは理解していたのだろう。例え骨になっていても、例えそれがレプリカでも、再び会い見えることができたかもしれないと、僅かな希望を抱いたのだ。しかし、それは叶わなかった。
きっともう死んでいるに違いないと思っていながら、探すように言ったのはなぜなのだろうか。チサは俺に何をしてほしかったのだろう。俺は何をしてやるべきなのだろう。
企画展示のスペースを抜け、ミュージアムショップの横を過ぎる。否、過ぎようとした。
「見たいものは見られたのか」
「あっ、晃一さん」
子供の声に紛れ込ませるように声を掛けると、ポストカードの棚を眺めていた紫苑が振り向いた。
「はい、どれも大変興味深いものでした。……チサ様は一緒ではないのですか?」
「少し一柱になりたいらしくて」
名残惜しそうにミュージアムショップを見ている紫苑を連れ、俺はエントランスに移動した。自動販売機の横にあるベンチに腰を下ろし、ショルダーバッグから携帯電話を取り出す。人の目に映っていない今の紫苑とやり取りをするためである。筆談でもいいのだが、メモ帳に無心にペンを走らせているよりはメールを打っている方が目立たないと思われる。
メールの入力画面を開くと、隣に座った紫苑が画面を覗き込んだ。俺はシャチの骨格標本を見付けたことを打ち込む。探している「彼」がとても大切な存在であったという情報も加え、紫苑に画面を見せる。
「そうですか。人の集まっているスペースがあるな、とは思っていましたが、なるほどシャチの……」
『おまえはシャチを見なかったのか?』
「あまり人の多いところに行くと、質量のある虚無が発生してしまうので」
例え目に見えていなくとも、紫苑はそこに存在している。人混みに割って入ろうとすれば、見えない何かが現れたと言って騒ぎになる可能性がある。子供の多い部分に注目して観覧していたのは、小さな子供ならば大人よりもぶつかる部分が少なく、背が低いため翼などが接触する確率も低くなるからかもしれない。
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