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陸 渚に鳴く歌
銀色の髪が風に揺れている。
「海の匂いがしますね。海を感じると気分がとても穏やかになります」
「浜辺まで歩こうか」
汽車に揺られ、俺達は長万部へやって来た。汽車の都合があるため、確保できる滞在時間は二時間程度である。
シャチの骨格標本をじっくりと見たチサは、エントランスに出てくると「諦めます」と言った。
「わたくし、もう彼がこの世にはいないと分かっていたのです。分かっていながら、貴方達に『探してくれ』と言いました。申し訳ありませんでした。……あの標本を見て、決めました。わたくしは、もう諦めます。ありがとうございました……。海に……帰ります……」
しょんぼりとしているチサに、俺は紫苑と話した内容を要約して伝えた。すると、彼女はハッとした様子で目を見開いた。夏の海のように美しい瞳が爛々と輝いたのだ。
大切な人がいなくなってしまった。もうこの世にはいないと分かっている。それでも、探し続けていた。
「そうだ……。そうです。わたくしが追っていたのは、彼の痕跡だった……。探すこと自体が目的になっていて、わたくしは大切なことを忘れてしまっていました……。朝日様、改めてわたくしの願いを聞いてくださいますか? 彼の痕跡を、彼が生きた証を、一緒に探していただけないでしょうか。わたくしは、あの人のことをしっかり見送らなければなりません。ありがとうと、伝えたいのです」
生きたシャチならば、まだ形があった。死んでしまったシャチの痕跡には形がない。探し物は、より困難な形状となって提示された。
しかし、俺には断ることなどできなかった。乗り掛かった舟だから、というのが理由の一つである。そして何よりも、俺は目の前で涙を浮かべる女神を突き放すようなことのできる人間ではなかった。祟られそうだとか、不敬になってしまうのではないだろうかとか、翡翠の覡の使命だからとか、そういうことではない。ただ、彼女の力になってやりたいと思った。俺を頼って泣いているやつを邪険に扱うほど、俺は無慈悲ではない。
俺が了承すると、チサは嬉しそうに涙を拭った。
「彼」の痕跡を探すのならば、やはり海に行くべきではないかとチサに提案した。そうして俺達は海を訪れたわけである。
「本当は根室とか知床の方へ行くべきなのかもしれないけれど、そうなると『お出掛け』ではなく『旅行』になってしまうからな……。高校生の一人旅は親に心配されそうだからちょっと厳しい」
「お気持ちだけでも嬉しいですよ」
目の前には夏の噴火湾が広がっている。遠くに駒ケ岳が見えるが、今日は生憎曇り空のためその姿はぼんやりとしていた。
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