26人が本棚に入れています
本棚に追加
視界に捉えた物を余さず吸引してしまうような目に見据えられて、チサは不安げに視線を彷徨わせた。
「貴女が忘れてしまうのに要した時間は、シャチにとっては長い時間でした。シャチの時間で忘れてしまったということは、貴女が群れのシャチ達と同じ時間の流れを過ごして来たということにはなりませんか? レプンカムイの眷属としては短い時間だったでしょう。忘れてしまって辛いという気持ちは分かります。けれどそれは、時間の感覚さえも寄せてしまうほど、貴女が群れに馴染んでいたという証なのだと私は思います」
個神の意見ですけどね、と付け加えて紫苑は苦笑する。なるほど、そう考えることもできるのか。
チサは群れを離れてなおシャチとしての時間を過ごして来た。それならば、何十年も経てば忘れてしまう可能性が大いにある。現に彼女は、探しているうちに何のために探していたのか分からなくなってしまった。それを女神として情けないと考えるのではなく、シャチとして仕方ないと考えろと言うことだ。すなわち、あんたは紛れもなく群れの家族なのだと。
目からうろこが落ちたかのように、チサは驚いた様子で紫苑のことを見つめている。吸い込まれたくない、捉われたくない、と逸らそうとしていた漆黒に見事に掴まっていた。
深く暗いあの瞳とばっちり目を合わせると、こちらの全てを見透かされている気分になる。遠くを映す千里眼を持っているものの、紫苑に相手の内面を見る能力などない。それでも、あの瞳にはそう感じさせる魔性の魅力があった。
「私もいくつかの群れに属していたことがありますが、あれはどれもほんの短い時間に過ぎませんでした。なので、引き寄せられてしまうほど素敵な時間を共有することができた貴女のことが、羨ましいとさえ思ってしまいますね」
「そのような考え方もあるのですね……。今すぐに、考えを変える……とは行きませんけれど……」
「はい、私の考えを強制するようなことはしませんよ」
「……今は? 晴鴉希命様、今はどうなんですか?」
ちらりと一瞬俺の方を見てから、チサは紫苑に訊ねた。問われて、紫苑も一度俺の方を見る。
「今は……。今は、そうなればいいなと思っています」
「ふふ。星の街で素敵な出会いがたくさんあったのですね」
「はい。良き方々です」
「わたくしも……。そうですね、わたくしの大切な家族は……。家族と、過ごした時間は……。とても濃密な日々だったのかもしれませんね……」
チサにとって「彼」は特別大切な相手だった。しかし、大切だったのは「彼」だけではない。
俺は何をすればいいのか。
チサを「彼」の痕跡に導くだけでは足りないだろう。もう一つ、探すべき場所がある。
「あんた、家族にも会いたいんじゃないか」
「い、いえ……。多くは望みません。わたくしは彼に」
「あんたの素直な気持ちを教えてくれ」
最初のコメントを投稿しよう!