26人が本棚に入れています
本棚に追加
「ひろったおかしなんだ! おいしい!」
『旧鼠』
俺が書いた解答を解説している先生の声を聞き流しながら、メモ帳をちぎってネズミの名を記す。旧鼠は食事を中断してメモ帳に目を落とした。
『用があるなら講習が終わってからにしてくれ』
「いやぁ、おまえにべつにようじはないぞ。ちょうどおまえがいたからあいさつにきてやったんだ」
『邪魔はするな』
「はーい。おとなしくしてるぞ!」
机の中央を占領していたので手で払うと、旧鼠は机の端へ移動した。腰を下ろし、足をぶらつかせながら最中を頬張る。
俺の目には人ならざる者達の姿が映る。
それは例えば鎌のような鋭い爪を持つイタチであったり、天井からぶら下がりながら細い鋏を振り上げるエビかザリガニのような者であったりする。人ならざる、とは言えないかもしれないが、幽霊も見えるということが小学一年生の時に曽祖父の葬式で証明されている。
俺の机に座って最中を食べているネズミもまた、旧鼠と呼ばれる妖である。見えるということ自体には困ってはいない。いたずらをされると非常に困るのだが、今日の旧鼠は落ち着いているようだから安心できそうだ。
そして、俺の目に映る存在は妖と幽霊の他にもいる。神様だ。
窓の外を見遣ると、電線に留まったカラスが一羽うつらうつらと夢見心地だ。そうしていると威厳というものが全く感じられないが、あれでも本性は神なのだ。異様に綺麗だと名の知れたカラス、夕立。実の名を雨影夕咫々祠音晴鴉希命という、齢千年を超える神格化した八咫烏である。
居眠りをしているようだが、あれで俺のことを見守っていると言えるのだろうか。
一介の高校生である俺がなぜ神に監視めいたことをされているのかというと、それは偏に俺が翡翠の覡だからである。覡とはすなわち男の巫女のことだ。しかし、神社の関係者というわけではない。翡翠の覡というのは言うなれば選ばれし者である。神を導くとされる翡翠の神通力を操る人の子のことを翡翠の覡と呼ぶ。
その人の子を食べれば妖はたちまち神格化すると言われ、俺は度々妖に追い駆けられる。そんな俺を警護している彼は最初の依頼神であり、とても偉いという大神達から任命された俺のお目付け役である。
旧鼠は最中を食べ終えたらしく、手に付着したかすを舐めとっている。そして「またな!」と元気よく言ってから俺の机を後にした。机や椅子の脚、生徒の足、置かれた鞄などの間をすり抜けて教室を出て行く。
暑くても旧鼠は元気だな。その元気を少し分けてもらいたい。
窓の外ではまだカラスが舟を漕いでいた。
最初のコメントを投稿しよう!