シェリー

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シェリー

 自分の笑顔について、ハッピー・スマイルと呼んでいるのは、そう呼んだ方が必殺技っぽくてカッコいいからだった。  必殺、ハッピースマイル。  そんな風に意識して発動させやすいので、中学時代に気づいて以来そうするように心がけている。  幼馴染には中二病の一言で片づけられてしまった。  そんな彼女は今、俺の隣でとぼとぼと歩いている。 「お疲れのようだね、神林嬢。そんな時もこのハッピー・スマイルを使うことで疲労の7パーセント解消が見込めるぞ。ぜひこの笑顔大使とともにやってみよう!」 「誰が笑顔大使よ、このどあほう!」  幼馴染、神林明日香はゾンビのようにむくりと起き上がると一応のツッコミをしてくれた。本当に疲れているのなら無理をしなくてもいいのに。 「一生の不覚だわ……っ! まさかあたしが補習を受ける羽目になんてっ」 「それも人生の醍醐味さ」 「嫌いな科目のために余計に勉強して、余計に時間をとられることに何の醍醐味があるって言うのよ!」 「じゃ、逆転の発想として科目を好きになってみるというのは」 「却下。あんな場所も時間も飛びまくる世界史なんて、誰が好きになるもんか!」  栗色の髪を振り乱しながら力説する姿には相応の迫力があった。 ごもっとも。 「あーあ、本当に一生の不覚よ……本当なら、お父様と一緒に美術館の下見に行けたはずなのに」 「美術館の下見というと、あの?」 「そ。うちが建設から内装まで全部やった、神林記念美術館よ」  そう言って彼女は、顎で駅前の一角を示す。  駅前特有の、くすんだ灰色の建物に埋もれるようにして、突如として現れた白い建物。ローマやギリシャの建物のような、あの忌々しい世界史のナンタラカタラ様式の紋様は、明らかに周囲から浮いている。  噴水もある。ヴィーナスっぽい石像もある。場所も時代も間違えた美術館が、美術のビの字もわからないような田舎町にでんと突っ立っている。  ここまで突き抜けてたらいっそ清々しい。 「神林財閥この地にあり、ってとこだな」  神林明日香は露骨に顔をしかめた。 「自分だけでなく、おじいさまの代まで顧みて、あまりにも地元に貢献できていなかったから、せめて何か、後世に遺せるようなものを、って言うのが、お父様の言葉だったわ」  間接的な批判の言葉。  実際俺もそう思う。  後世に遺すのであればいっそ学校に出資した方が、よほどのことがない限り潰れることはないだろうし、美術館なんて建てたところで、中身がなければただの箱だ。  外見だけは金ぴかで中身が空洞、というか外見に釣り合っていないのは、いかにも高度経済成長という時流を堪能した成金と言った感じがする。  手ひどく言うならば、戦争成金の最後っ屁、といったところだ。 「でも、なんだかワクワクするよな。ああいう建物は」 「そ、そうよね?」  取り繕った言葉に食いつかれた。  発言者を盗み見ると、彼女は胸に手を当て、何度も深呼吸を繰り返していた。 「そ、それで、それで、ね? その……」 「何?」  ぎゅっ、とスカートの端が握り潰される。俯いた顔からは表情は窺えない。 「な、何でもないわよ、バカぁ!」  突如顔を上げた彼女は叫ぶと、びしっと人差し指を突き付ける。 「いい!? 二人で、さっさと世界史の補習だけでも終わらせるわよ!」 「ん、ああ、そうだな……」 「返事は!?」 「イエッサー」  よくわからんがとりあえず敬礼。  ついでにハッピー・スマイル。 「じゃ、じゃあ、そういうわけだから、今日からあんたの家でと、泊まり込みで勉強するってことで、その……」 「あ、すまん。そろそろ時間だわ」  腕時計を見る。  彼女から離れ、歩き出す。 「え、ちょっと! どこ行くのよ!」 「儀式だよ、儀式」 「儀式!?」 「そ」  振り返った。 「ハッピー・スマイルは、遠くアンドロメダ星雲の彼方、ニーナ・ゲールトの啓示を以て初めて発揮できるからな。彼女のご機嫌取りの儀式をやる必要があるのさ」  顔文字ばりの唖然とした顔。  顔面が沸騰するまで約二秒。 「勝手にしなさいよこのボケナス!」  カバンの中に手が突っ込まれる。引き出すと同時に、高速で何かが飛んできた。  避けきれなかった。額に激突してたたらを踏んだ。そのまま倒れる。  俺の顔面をぶち抜いたオロナミンCが、腹の上で勝利の踊りを踊っている。 「……やれやれ」  果たしてこの未開封のオロナミンCは、彼女なりの激励なのだろうか。  不器用な少女だった。
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